短編3話

「……なぜだ……なぜまだ起きないんだ……」

 オレはもういただきますするだけでいいはずなんだ。目の前に並べられた本日の朝ごはんたちから立ち上る湯気を見るためだけにお預けしているわけじゃないはずだ。

 見える物香ってる物は朝ごはんモードなのだが、耳はというと、

(なんでまだ起きてこねぇんだよ!)

 けたたましいジリリリリーンがどれほどの時間続いているか。聞かされるこっちのためにももっと優しい音の目覚まし時計にしてもらいたいところだ。

「ぬぁー! だめだ、もう我慢ならねぇ!」

 オレは見下ろしていただけの朝ごはんを背にリビングから出た。


(つってもさぁ……)

 リンリンうっせぇ音が聞こえてくる部屋のドアの前までやってきた。しかしオレはドアノブに手をかけるのを少し悩む。

(いや……う~ん……だけどなぁ……)

 でもそうして悩んでいる間もドアの向こうからリンリンリン。

(くそっ、こうしててもしょうがないか!)

 オレは意を決してドアを開けた。リンリン音量MAXIMUM。

 部屋の中は勉強机の横に大きめのダンボール箱が二箱積み重ねられていることを除けばきれいな部屋だと言えると思う。オレの部屋よりは間違いなくきれいだ。

 ベッドに目をやると、ふくれあがったピンク色の布団が。リンリンはそこから聞こえる。

 オレは一歩目を踏み出すのこそ一呼吸あったが、一歩踏み出せばベッドの前まで一直線。

 たどり着くと、考えるより先に手が出て、掛け布団を引っペがした。

 淡い紫色のパジャマを着た女の子が、ひじとひざを軽く曲げてこっち向いて寝ていた。

 髪が長いけど思ったほど散っていなかった。

(人生で、初めて女の子の布団めくったよ……)

 なんて思っている場合じゃない。耳がやばいな。うん。

 オレは二度深呼吸をする。そして改めて大きく息を吸い

紫桜しおうー! 起きろ紫桜~! しーおーおぉー!」

 お、紫桜の目が少し動いて……

「再び気持ちよさそうに寝直すなぁー!」

 オレはとっさに紫桜の両肩を揺さ

(ぶるのも人生初めてだよな……)

 女の子としゃべることくらいは慣れているはずだが、寝てる女の子の扱いなんて初めてなのでかなり緊張している。なのに標的はこれまたいい寝顔しやがって。

「……むにゃぁ……?」

 紫桜はやっと目を覚ましてくれた……ようか?

 オレは手を引っ込めると、紫桜は腕を動かし始めて、遅い動きなものの慣れた手つきで目覚まし時計の裏にあるスイッチを操作。オレの耳が救われた。

「ってだからさらに気持ちよさそうな寝顔すんなぁー!」

 オレのポトフは救ってやれなかった。後で温め直すか。そう思いながらまた紫桜の両肩に手を置いて揺さぶった。髪揺れてるのに目は閉じたまま。

「……むにゃ……ん……んんっ」

 オレはこの短い時間でちゃんと学習していた。ここで引くとまた振り出しに戻ることを。

「寝るな紫桜、起きろ紫桜、起きろったら起きろぉーーー!」

 オレ。なんで朝っぱらからこんなに叫んでんだろう。

「……んん、うんっ……」

(っておいっ!)

 今まではツッコミのおいっだったが、今回のは驚きと戸惑いのおいっだ。

 紫桜が寝ぼけながら両手でオレの右手を握ってきた。

 寝ぼけながらということもあってか力は弱いし動きも遅いので容易く解くことができるだろうけど、なぜかそんな気持ちにはなれず、紫桜の好きに握らせていた。

「……んぅ~……そぉ、ちゃん……?」

 やっとまともな単語を聞けた気がする。長く苦しい戦いだった。

「そーだよ。ってシャレじゃねぇからな!」

 寝ぼけている紫桜にはこの意味がまったく届かなかったらしい。むなしい。

 オレの名前は爽矢そうやだ。そうやで。いやなんでもない。

「おはよぉ……」

 紫桜はオレの手を握ったままゆっくり目を開けた。

「お、おはよう」

 紫桜は薄目でオレを見上げている。眠そうではあるがちょっと笑顔に見える。

「爽ちゃんが起こしてくれたんだねぇ……ありがふあぁ~」

 まだまだ眠そうだ。

「な、なぁ紫桜」

「なにぃ?」

 っておいおいオレの手使って起き上がろうとするなよ。ちょっとよろけて危なかったがなんとか踏ん張った。アキレス腱の体操作ってくれた人に感謝!

「ありがとぉ~……はふっ」

 紫桜は寝ていた体勢から座っている体勢に進化したが、顔は下に向けてしまった。

「で、さぁ紫桜」

「なにってばー」

 紫桜は右手こそ離して目をこすっているが、左手はオレの右手を変な握り方したまま。

「お、オレ。男なんだけど」

 紫桜はおめめゴシゴシするだけで、これといった反応はなかった。

「スルーっスか?」

「ふあぁっ、ぁ~……ん~っ、よく寝たあっ」

 すぐさま伸びが始まった。強制的にオレの右手も連れ去られた。

 今度はしっかりと目を開けてオレを見てきた。

「おはよう爽ちゃんー」

「ああおはよう」

 そのまま目をぱちぱちさせている紫桜。たぶんオレもぱちぱちさせている。

「今日はなんだか目覚めがいいよ! 爽ちゃん明日も起こしてほしいなっ」

「目覚まし鳴ってからどんだけ経ってっと思ってんだっ!」

 やっと本人に渾身のツッコミをお見舞いすることができたぞ!

「ごめ~ん、私ってなかなか起きないみたいなの~。てへ」

 ようやくオレの右手から紫桜の手が離れたと思ったら、そのまま頭の横に手を置いて舌を出した。なんというお手本通りすぎるテヘだ。

「オレ朝ごはんあっため直してくるわ」

「えっ? 爽ちゃん朝ごはん作ってくれたの?」

「今日の分は昨日母さんたちが作ってくれてたろうがぁ!」

「あ、そだったね」

 ここで追加テヘを少し期待したが、手はほっぺたに添えられただけの普通の笑顔だった。


 オレたちはテーブル挟んで向かい合わせに座り、朝ごはんをおいしくもぐもぐしている。

 夏服の制服に着替えた紫桜が元気に食べている。いい食べっぷりだなおい。給食でじゃんけんしててもおかしくないな。オレ? 朝ごはん並べてるときからすでに制服だ。あともちろんじゃんけん参加派。

 夏服を着ているオレたちだが、今は八月、夏休み。オレと紫桜は同じ吹奏楽部の部員だ。

 紫桜としゃべるようになったのは小学校六年生からだが、中学校で一緒に吹奏楽部へ入ったことから一気に仲良くなった。

 結局同じ高校に進み、また同じく吹奏楽部に入部。同じ中学校でここの高校に進んだやつが少なかったからか、オレたちの中学校から連続してここの高校で吹奏楽をしているのはオレたち二人だけだった。

 とはいえ紫桜自身元気な性格なので、高校でもすぐ友達を増やしていったようだ。まだオレたちは高校一年生なんだから、紫桜の友達はこれからもっと増えていくだろう。

 ……ん? じゃあなんでそんな元気な女の子と一緒に暮らしているのかって?

「なぁ紫桜」

 ご丁寧にかみかみごっくんしてくれた。

「なにー?」

「お父さんお母さんいなくてさみしいか?」

「ん~……」

 きっとおはしを握ってなかったら人差し指辺りがその口元ポジションを押さえていたことだろう。

「昨日の夜はちょっとさみしかったかな。でも眠くなったらすぐ寝ちゃった」

「いかにも紫桜らしい」

 オレの父さんと母さんは同じ会社で働いている。んだが、父さんの上司が紫桜の父さんらしい。紫桜の父さんが上司としてやってきたタイミングがオレたち小学六年生のときで、それから家族ぐるみでの付き合いが始まっていった。

 中学校ではオレらに共通点ができたからなおのこと家族ぐるみで会う頻度が増えて、今や紫桜とは気楽にしゃべりあえる関係となった。

 それまで紫桜とはクラスが違ったし、紫桜はだれかしらとよく一緒にいてたし、同じ班や委員会になったこともなかったのに……

(今こうして目の前でおいしそうにごはん食べてんだよなぁ)

「ごちそうさまでした!」

「げ、ちょい待ち、オレももうすぐ終わるはぐはぐっ」


「いってきまーす!」

「いや、だれもいねぇよ」

「ああそっかっ」

 太陽のまぶしさのせいか、紫桜の顔はさっきより輝いていた。いや単にごはん食べて目が覚めてきただけか。

 オレはドアの鍵を閉めた。鍵は昔友達が旅行先で買ったが使いづらいとかでオレにくれたキーケースに入れて、カバンのファスナー付き内ポケットにしまった。ここまでは何年も繰り返してきた作業だが、この朝はオレの横に紫桜がいる。いなかった。すでに歩き始めていた。これ別に使いづらくないと思うんだがなー。


 紫桜とは仲がいいほうだと思うが、紫桜の家って学校挟んで向こう側にあるので、一緒に登校するのもこれが初めてになる。そうだこれも初めてじゃん。

 オレは紫桜の左にポジションを決めて、一緒に並んで歩くことにした。肩よりもさらに少し長い髪は、ひとつに束ねて下ろされている。

「ねぇ爽ちゃん」

 オレが声かけようと思っていたら先に声をかけられた。

「なんかようかここのかとうか!」

「ぷはっ! なにそれーっ!」

「オレの友達の友達の父さんのネタ。らしい」

「爽ちゃんのネタじゃないのっ? あははっ」

「残念ながら」

 紫桜は女の子だが、気兼ねなくしゃべることができる間柄だ。こう、空気感が合うっていうかなんていうか。紫桜も同じように思ってくれているのだろうか?

「って! もぉー爽ちゃんのせいで何言おうとしたか忘れちゃったじゃんかー!」

「すまんすまん」

 なんて紫桜は言っているが笑っている。昔からよく笑うやつだ。

 結局思い出せないままなのか、そのままオレたちは黙って歩き続けていた。

「じゃあオレが聞こうとしてたことを聞こう」

「なに?」

 紫桜が顔だけこっち向けた。

「紫桜はさ、オレのこと、どう思ってる?」

 そういや紫桜に限らず女子と一緒に登校するっていうこと自体珍しいよなぁ。

 高校に入ってからは、途中で中学までの同級生に会うと一緒にしゃべりながら歩くことはあったが、それは男子ばかりだ。たまたまこのルートは男子ばっかだったのだろうか。

 だから気の合う紫桜と最初から一緒に並んで登校……ん? 紫桜がいつの間にか右隣から右斜め後ろに位置していた。オレそんな早歩きしてたっけ?

「そ、爽ちゃん。急に……どうしたの?」

「なにが?」

 返答は普通にしたが、紫桜は少し上目使いにオレを見ている。てまぁオレのほうが身長でかいんだけどさ。

「だってそんな、いきなり……その……」

 ふむ。ふむ? うん? まさか今になっていきなり布団引っペがしたことを? いや急にってんだから……ああっ、さっきの聞き方が伝わらなかったのか?

「さっきのオレの聞き方があれだってことか? いやぁ~オレは紫桜と一緒にいるのって楽しいからさー。しかも家から一緒に歩くのもおもしろい。紫桜はどうなんかなって」

 オレは前を向きながらセリフを発して、変わらないスピードで歩いていたはずなのに、聞こえていた足音が消える。

 振り返ると紫桜は立ち止まっている。小銭でも落ちてた? いやいやそれならオレのほうが先に気づいてるはずだ。うん。

「そっ、爽ちゃん……」

(……さすがにー、様子が変だな)

 オレの父さんがお盆前の一週間、出張するってことになり、母さんや上司である紫桜の父さんもそれについていく流れになった。紫桜の母さんは別の会社だけど、毎夏定期的に外国へ行く仕事があるらしい。どっちの家も共働きだ。

 ちょうどそれらが全部重なってしまい、一人になるオレのために母さんだけでもこっちに残ることも考えたそうなんだが、母さんは母さんでオンリーワン的な仕事があるらしく、結局みんな行くことに。

 だったら夏休みだしオレを出張先に連れてくって案も出たには出たが、オレ、副部長だしなぁ……てことでオレは一人暮らし。とはならずっ。

 そう。紫桜も一人になるのであった。しかーしなんせあの寝起きの悪さ。いつも紫桜の父さん母さんが適当に起こしてくれてたらしいんだが、その両方がいないとなると、夏休み中に部活がある紫桜の出席欄には『遅』の字が並びかねん! と、紫桜の父さんが力説していた。

 ……こうして、オレたち二人暮らしの一週間が始まったのであった。

 紫桜は母さんの部屋に住むことになった。勉強机があったが、あれ相当古い物で、昔母さんが使っていた物をそのままこっちに持ってきてまだ現役で使っているらしい。

 あちこち壊れては直したり新品パーツ取り寄せたり。イスだけは別物だが当時使ってたイスもちゃんと持ってきている。あの机だけは欠かせないものらしい。

 ……と。紫桜が歩き出すのをずっと待っていたら、ようやく紫桜は歩き出してくれた。まだ大丈夫だと思うが、これ下手すると遅刻するぞ?

「……そぉちゃぁ~ん……」

「なんだなんだそのへにゃへにゃな声はっ」

 紫桜はカバンのひもを両手でぎゅっと握っている。

「爽ちゃんこそなんでそんな余裕なのぉーっ?」

「よ、余裕?」

 なんかむにゅにゅにゅって言っているような気がするが、気のせいかもしれない。

「……な、なんでこんな、どきどきしちゃってるんだろうね。あっ」

 いやいや立ち止まったときの計算はしたが逆走したときの計算はしてねぇから遅刻するってばよぉ!

(待てよ。この展開……そうだっ、これは!)

 朝の紫桜起こしの展開と酷似しているではないか!

 ここで引いたり渋ったりしていてはだめだ。紫桜を充分なスピードで駅へ向かわせるのにいい手段は……

(……うしっ!)

 オレは後ずさりする紫桜にタッキングで詰め寄る。あっという間に至近距離。

「えっ? え、あ、あの、爽、ちゃん……?」

 ほほう。オレ様の見事な接近術に驚いているな。

「紫桜」

「ひゃいっ」

「カバン。ちょっといいか?」

「へ? あ、ああっ、爽ちゃんっ」

 オレは紫桜からカバンを奪取した。

「紫桜」

「ひゃいっ」

「駅まで競争よーいどんっ!」

 オレはダッシュした。紫桜から奪取したカバンを持ってダッシュした。ダッシュした。さすがにダストボックスシュート略してダッシュートはしないから安心しろ。

「えぇーーーっ?」


 オレたちは駅に着いた。いつも乗っている電車に充分間に合うようだ。

「紫桜結構速いな」

「はぁ……はぁっ……んもぉー爽ちゃーん!」

「わりぃわりぃ」

 オレは奪取したカバンをちゃんとお返しした。

 夏休みだし休みの日にある部活は十時スタートなのでいつもの人混みはない。でも学生服姿の人も結構いるもんだ。

 ともかくオレは慣れた手つきでカバンの中から定期券を出した。これ夏服だと胸ポケット入れるだけじゃしょっちゅう落とすんだよなー。冬服のときは内ポケットに入れる。

 一応紫桜を待つことにする。

「ちょっと爽ちゃん、私この区間の定期券持ってないよぉ!」

「ぶはっ! わりぃわりぃ」

 この辺から高校に向かうのには二本の鉄道がある。この駅から見てオレん家側だったらほぼこの駅から乗るのを選択するんだが、紫桜の家がある反対側だったらそれがばらける。

 てことはお客を取り合っているかと思いきや、しょっちゅうコラボレーションしてる仲良し二人組鉄道なのであった。めでたしめでたし。

 紫桜がたぶんお財布を開けて

「待て紫桜っ」

 オレが紫桜と券売機の間に割って入った。

「な、なに?」

「この一週間の間にある部活の日数を考えたら、ここは回数券の方がいい」

「あぁそっか、そういうのあったよね」

「すいませーん」

 オレはつぶつぶ透明板の向こうにいる駅員さんに声をかけた。


 紫桜はお得な回数券を手に入れて、改札を一緒にくぐり、ホームでも一緒に電車を待つ。イスが空いていたので並んで占拠した。

 紫桜は回数券を裏表まじまじと眺めている。これ裏面に乗車記録が印字されるんだよな。

「……えへ。楽しいなっ」

「はぁ? この貴重な夏休みを部活に潰されてるというのに楽しいとは一体何事かね?」

 オレはさらに手の平を上に向けてオーマイガアピールを強調させた。

「そ、そういう意味じゃないよぅ。もぅっ」

「あ、電車来た」

 出発の時間はまだなんだが、先に電車だけ来たのでオレと紫桜は立ち上がった。


 電車に乗ってる間と高校の最寄駅に着いてからはいつもの調子でやり取りしていた。

 高校に着いて部活が始まった。部活中はお互い担当パートが別で、練習に使う教室も別なため紫桜がどんな様子だったのかはわからない。

 昼ごはんはこれまた昨日母さんたちが作ってくれていたおかずを弁当に補充した物。

 紫桜の分もオレが入れたが、好き嫌いとか大丈夫だったんだろうか?

 朝のあの様子からだと嫌いな食べ物とかなさそうだが。

 オレは男子グループで一緒に食べていたので、やはり紫桜の様子は知らない。


 今日の部活は午後三時で終了。オレは楽器を片付けてとっとと帰り支度。

 していると部員からあれやこれやと報告やら連絡やら相談やらがあるのも日常で、帰る前に部長としゃべることも多い。

 未だに先輩たちの指名でオレが副部長になったのほんと謎。副部長は一年が担当するものってなんだその慣習。さすがに中学校で吹奏楽やってた人に限ってるようだけど。

 部長にちょっと楽譜のことを伝えたらオレは帰る。帰るよオレは。

(……紫桜を待たなきゃならないよな。やっぱ)

 オレは一人で帰ることが多いが、誘われれば一緒に帰るっていうタイプだ。紫桜は女子グループで帰ってるんじゃないかな。

 帰りに女の子を待つなんてしたことないなー。どこで待とうか?

 の前に紫桜が今どこにいるのか確認しておこう。


 オレは音楽準備室にいてたので、音楽教室を改めて見回してみると。おお、ちょうど紫桜もみんなにばいばいしていた。その紫桜は音楽教室の入口に、つまりオレに接近。

「爽ちゃん、通せんぼでもしてるの?」

「フフフ……そうだ! ここを通りたければオレを倒してからにするがよい!」

「出たな怪物め! えーいっ!」

「ぐっ、ぐああぁーっ! おのれ、おのれ紫桜めぇーーーっ! がくっ」

 ひざをつくオレの横をルンルンで通り過ぎる紫桜。と、顔は見えないものの明らかにオレに視線を落としつつクスクス声を発しながら横を通り過ぎていく部員たち。

 いい加減じゃまになるのでオレも立ち上がる。先輩たちとあいさつ。オレはいよいよ完全帰宅モードに入った。

「ておい紫桜、一人で帰るのか?」

「えっ? ううん、爽ちゃん一緒に帰ろっ」

「あ、ああ」

 華麗な素通りを披露していたのでてっきり。


 一緒に廊下を歩いて、一緒に階段を下りる。今年初めて一緒のクラスになったからげた箱でも並んで立って。そして一緒に玄関ポーチを抜けて、校門も抜けた。

「いつもの女子グループは?」

「帰る方向が違うもん。一週間一緒に帰れないけどごめんねって言ったよ?」

「そっか」

 一緒に帰る、か。

「ああちょっとストップ」

「うん?」

 紫桜の頭にそこそこ大きめのほこりが。

「ほれ」

「あ、ありがとっ」

 掃除かなんかしてたんだろうか? 紫桜に見せた後、ほこりさんは風に乗って飛んでいきましたとさ。


 電車に乗って、またオレたち馴染みの地元駅までやってきた。


「爽ちゃん。あのねっ」

「ん?」

 今度はオレが右側の陣形。

「朝……その。私と一緒にいると、楽しいって……言ってくれたよね」

「ああ」

 ちょっとウェイト。

「……うれしかった」

 今まで紫桜が見せてきたとびきりの笑顔とはまた違った優しい笑顔だった。

「そ、そんなマジに返すなよっ」

「そんなっ、でもそう思ったから」

 歩くスピードは一緒だった。

「で、紫桜はオレのこと、どう思ってるんだ?」

「ひゃあっ!」

「うおっ?」

 なんか突然変な声を発した紫桜にオレびっくり。

「だ、だから爽ちゃんどうしたのっ。突然すぎるよぉ……」

「あ、あぁそういうこと? わりわりっ」

 聞き方というか脈略がなさすぎたんだな!

「オレはさっきのとおり、紫桜と一緒にいて楽しいんだ。この空気感が居心地いいっていうかさ。父さんたちのことでこんなふうな状況になっちったけどさ、でも紫桜でよかったよ。まだ一日目だけど、紫桜と一緒に暮らすってすっげー楽しいよな! いやむしろずっと一緒にいててもずっと楽しいだろうなってさ! ってーオレは思ってるんだけどぉー……紫桜はオレのことどう思ってくれてんのかなって、さ。うん」

 あぁ紫桜がまた立ち止まった。今度は遅刻の心配しなくていいからいいけど。

「そ、爽ちゃん!」

「おう?」

「ごめんっ、明日伝えるから、待って! 今日おやすみ前に一人でゆっくり考えさせて!」

 紫桜が突然声を強めたと思ったら、そんな言葉が届きました。

「あ、ああ。わかった」

 いやわかったっていうかなんていうか。でも紫桜はふぅっと息を吐いた。吹奏楽部ですからブレス大事ですよね。


 程なくしてオレん家に到着。ただいまーだれもいねぇよあそっかの鉄板ネタもばっちりOK。しまったそれに気を取られておじゃましまーすじゃますんなら帰ってーあいよーなんでやねんネタを発動させるのを忘れていた。これは明日だな。


 紫桜の荷解きがまだ途中だったので、それを手伝い、晩ごはんまだ昨日の残りあったからそれ食べた。もう全部食べきったので、明日からはごはんを作らないといけない。紫桜は料理得意なんだろうか…………いや、紫桜が朝あの激弱さなら、オレがやるしか……。


 なんやかんやでおやすみ時間になりました。


「それじゃあ爽ちゃん、おやすみなさい」

「ああおやすみー」

 紫桜は自分の部屋に戻っていった。

(う~ん。やっぱり不思議な感じだ)

 たまに両親そろって帰ってこない日があったので、その点は慣れているのだが……

「……さてっと。オレも部屋戻って……宿題するか……ぐぬぬ」

 しまった、紫桜誘えばよかった。まいっか明日誘おう。


「ぬぁぁーーー? 紫桜紫桜紫桜しおぉーーーう?」

 今日も今日とてリンッリンリンッリンリンリンリンリン!

 オレはリンリン部屋のドアを開けた。もうてめぇの名前をリンリンにしてやろうかこんにゃろっ。

 ふくらんだ掛け布団を引っペがす。パジャマ紫桜は見事に昨日の再現がなされていた。

「ん?」

 いや、手の位置自体は同じだが……ペンに紙? これはつまり……

(間違い探し?)

 ちょっと今日はリンリン黙れ。

 たしか紫桜は昨日この辺をこう……お、カチッという歯切れのいい音と共にリンリン鳴りやんだ。今度からこの先手を打ってやれ。しめしめ。なんて思いながらもこの紫桜のなんとまぁ幸せそうな寝顔だこと。目覚まし時計を元の位置に戻す。最後の抵抗のリンッ。

(……女子って、男子にパジャマ姿見られても平気なものなのか?)

 まぁそんなことは後で本人に聞こう。

(しかしペンにチョイ折れ紙かぁ……あんなぽけーっとした寝起きじゃペン刺さりそうで危ないな。よけとくか)

 これでもしキャップ開けっぱだったら布団がやばいことになってたろうな。オレは紫桜の手からピンク色の花柄ペンと単なる白い紙を取り上げた。それを目覚まし時計の横に置

(んっ?)

 ペンに紙。そんな物握ってたんなら、まず間違いなく紙になにか書かれているだろう。特に見る気はなかったんだが、折れた紙のすき間から文字が見えてしまい、そうすると内容が気になってきてしまった。

(ん~………………)

 やっぱやめた。

「おーい紫桜~、朝だ起きろ紫桜ー!」

 オレは昨日と同じように紫桜の両肩をゆっさゆっさした。ああちょっとゆっさゆっさしすぎたか、紫桜の顔ががくんがくん。

(ぶぷっ、すまん、いい顔だ)

「ん~……んむぅ~……ぅん……」

「紫桜起きろ紫桜~! 紫おげほっ、うぇせき込んじまった。紫桜紫桜ー!」

「……んんっ……そぉ……ちゃ、んぅ……?」

「おぉ昨日より目覚めよさそうだな起きろ起きろおらおら起きろぉー!」

「……そう、ちゃんっ……おはよおぉ~……」

「すごいぞ紫桜! 明らかに昨日より目覚め早いな! よしそうだその調子だ紫桜!」

「……かい、たよ……かけ、たよぉ……ぉへんじ……」

「貝? かけ? なに、うどんの話か? それともそばか?」

 紫桜はむにゅむにゅ言っている。そこから先は何語かわからないため聞き取れない。

(かいたよかけたよおへんじ……ひょっとしてこれのことか?)

「おい紫桜、紙、読んでいいか?」

 紫桜はオレの右手をこれまったとんでもない遅さで握ってきた。今日も両手だがポジションは昨日と異なる。

 オレはこれが許可であると認識。左手で紙を取る。

「ぺらっ」

(うわガッタガタな字だなおいっ)

 しかも穴あるってこれペン貫通してんじゃねえか。

(ああこれ反対か? いや九十度か)

 改めて紙に書かれた文字を読んでみた。脳内音声は紫桜に切り替える。

(そーちゃん。私も楽しいよ。ありがとう。大好きです。いっしょに演奏できて幸せ。大好き、すごく。ずっと)

 最後のこれは途中っぽいが、読んだ瞬間、一気に胸に込み上げるものがやってきた。

 ガタガタ文字から視線を外し、改めて紫桜を見つめる。本当に幸せそうな寝顔だ。

(確かに気持ちを知りたかったけどさ、こういう意味じゃなくって……でもここに書いてあることは、やっぱり紫桜の気持ち、なんだよな……)

 紙はさっきと同じような形にたたみ直して、

(……これ。もらってっていいのかな?)

 胸ポケットに入れてた生徒手帳を開いて、いちばん後ろの透明になってて挟めるとこに挟んだ。また胸ポケットに生徒手帳を戻したが、このままかがんで落としたらえらいこっちゃ。もちろん後でカバンの内ポケットにしまうが、よりこの生徒手帳を大切にしようって思えた。

「紫桜」

 寝ている。

 オレはひざをついて、オレの右手をつかんでいる紫桜の手をいったん解き、紫桜を抱きしめた。だらんとした紫桜の手は自然とオレの背中に回っていた。

(いや、これでも起きねぇのかよ)

「紫桜っ」

 耳元なので静かめに呼んでみた。

「……んん~…………そぅ、ちゃん……?」

「おはよう、紫桜」

 ………………しーん。

「いや寝るなよ!」

 あ、つい耳元で大声出してしまった。

「……んむ? はれ、そう、しゃん……? おはよぉ……」

 なんか。おはようって返すより、ぎゅっと抱きしめたくなった。

「ふぇ……ふぁ、そうちゃん……」

 おっかしいな。あんなガタガタ文字を読んだだけなのに。

「……爽、ちゃんっ……? あ、そ、爽ちゃんっ。爽ちゃん爽ちゃんっ」

 ほんの少しだけ抱きしめる力を強めた。

 紫桜はなんだか慌てた様子だったが、すぐに優しく抱きしめ返してくれた。それと同時に、ちょっと頭をすりすりしているような。

「おはよう紫桜。今日の目覚めは?」

「……最高だよっ」

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