第五話
駅前の明るい広場を抜け、ガブリエルはダベンポートとリリィの二人を通りの反対側の住宅地へと連れて行った。
馬車が往来する南大通りを渡り、大通りから路地に入る。
大通りには
「ブフ、ブフ……」
ガブリエルが鼻を鳴らす。どうやら猫が歩いた道筋を辿っているらしい。ブロックを一周したり、通りを引き返したりしながら一心に匂いを辿っている。
通りがさらに暗くなった。犬には平気でも人間には厳しい暗がりだ。
ふと、ダベンポートはリリィがコートの端を握ったことに気づいた。
「旦那様、少し怖くて……あの、こうしていてもいいですか」
「ああ」
優しく微笑む。
「だが、それだったらこうした方が怖くないかも知れんな」
ダベンポートは手首に巻いていたガブリエルのリードを外した。
「さ、手を出して」
とリリィの細い手首にガブリエルのリードを通してやる。
「リリィのことはガブリエルが守ってくれる。これで大丈夫だ」
「ブフッ」
ハンドラーが変わったことに気づいたのか、ガブリエルの歩みが少し遅くなった。ジャンキー犬はジャンキー犬なりに、リリィのことを気遣っているらしい。
片手でダベンポートのコートをしっかり握り、もう片手をガブリエルに引かれるリリィを中心に、三人ひとかたまりになって路地を進む。
やがて、三人は路地を抜けて
中型のアパートメントの並ぶ住宅街だ。
「なんだよガブリエル、ここにくるならもっと近道があっただろう」
「ブフッ」
少しムッとした口調。
「うるさいとさ」
ダベンポートは肩を竦めた。
ひとしきり鼻を立てて周囲を嗅いだのち、ガブリエルが周囲をふんふんしながら再び歩き始める。
しばらくぐるぐると歩いた後、ふとガブリエルは一軒のアパートメントの前で立ち止まった。
右足をあげ、アパートメントのドアをポイントしている。
「ここかい? ガブリエル」
「ブフ」
それは、少々年季の入った小さなアパートメントだった。
「今、何時だ?」
懐中時計で時間を確かめる。
「十一時少し前か。訪問するにはあまり友好的な時間ではないが、まあまだ起きているだろう」
ダベンポートは引き紐式の呼び鈴を鳴らした。
二回、三回。
『なんですか、こんな夜更けに』
階の上から女性の声がする。
コツコツと階段を降りる音。
不愉快そうに玄関のドアが薄く開く。
「魔法院から来ました、ダベンポートと申します。少々時間が遅いことについてはどうかご容赦を。ただ、ちょっとだけ確かめたかったことがありましてね。中にあげては頂けませんか。お茶も一杯頂けるとありがたい」
ドアを開けた女性の顔は暗がりでよく見えない。
女性はしばらく考えるようだったが、やがて
「どうぞ」
と言うと先に立って階段を登って行った。
「ああ、その犬はね、そこらへんにくくりつけておいて下さいな。猫がいますの、犬を上げると大変なことになってしまいます」
女性のアパートメントは狭いながらも整理の行き届いた部屋だった。暖かい
「久しぶりね、ダベンポート君」
その女性がダベンポートに言う。
ダベンポート君? 僕はこの人を知っているのか?
ダベンポートは明るい光の中でまじまじと女性の顔を確かめた。
「カーラ、女史?」
カーラ女史。かつて魔法院で何回かすれ違った女性に間違いない。
なるほど。こんなところに来ていたんだ。
ダベンポートは得心すると、
「カーラ女史、こんなところで何をしておられるんです?」
と訊ねた。
カーラ女史はまだ着替えをしていない。リリィと同じくグレーの合理服を身につけている。ただ、カーラ女史の合理服は少し疲れ、ところどころにほつれが見えた。
「お茶が欲しいんだったわね」
カーラ女史は奥の小さなキッチンで三杯の紅茶を淹れてくれた。
ダベンポート、リリィ、それに自分。それぞれの前にティーカップを置く。
小さな丸いティーテーブルの前に座りながら、ダベンポートは興味深く周囲を眺めた。奥にあるのは実験用のテーブルだろう。蒸留用のガラス管や各種フラスコ、それに薬品が整然と棚に収められている。今机の上に散乱しているのはちょうど携帯時計と同じくらいの金属のケースだ。側には蜜蝋のブロックも置かれている。外に魔法陣が描かれているところを見ると、何かのマジック・アイテムらしい。そのケースはばね仕掛けになっているようで、今は開いたハマグリのように口を開いていた。
「それでダベンポート君、ご用はなに?」
怪訝そうにするダベンポートにカーラ女史は笑顔を見せた。
さっきから妙に親しげだ。『ダベンポート君』って、そんなによく会ったっけか?
「覚えてないかしらねえ、私が二年の時にあなた、魔法学校に入学したのよ」
「そう、でしたかね?」
「私の学年があなたたちのお世話係だったから、あなたたちの事、色々と面倒を見たのよ。もっとも、もう十年以上も昔のお話だから覚えてなくても当たり前だけど」
カーラ女史はしばらく思い出話に花を咲かせた。
ダベンポートが目立たない一年生だった事。それがメキメキと実力をつけて、五年になる頃には学年トップになっていた事。背が大きいせいかボクシングがめちゃめちゃ強かったこと。
「そうでしたか」
全く覚えていなかった。
「立派になったのね。魔法院の捜査官って行ったらエースじゃない」
「そんな大したものではないですよ」
とダベンポートは謙遜した。
「所詮は宮仕えです」
と、頃合いよしと見てダベンポートは話題を変えた。
「ところで、今日伺ったのは猫の事なのです」
ダベンポートはカーラ女史に切り出した。
「最近セントラルの駅前広場で歌っている猫、これはカーラ女史の猫だったのですね?」
「ああ、キキの事」
お茶を飲みながらカーラ女史が微笑みを浮かべた。
「今はベッドで寝ているわ。ここに引っ越してきたら、通りで迷っていたのよ。それで保護したんだけど、なんかやたらとおしゃべりな猫でね。ペラペラペラペラ盛んに喋っているからこれはちょっと面白いかも知れないと思っていたずらしちゃった……キキ、いらっしゃい」
「ニャー?」
すぐにベッドの上から黒い毛玉のような猫が降りてくる。
「あ、猫」
ダベンポートの隣でリリィが小さな歓声をあげる。
カーラ女史は猫を膝の上に載せると、手際よく首輪を外した。
「ほら、見て、ここ。ダベンポート君ならわかるでしょう?」
「…………」
手渡された首輪を見てみる。
首輪が猫の喉に当たるあたりには、小さな魔法陣が仕込まれていた。とても小さい。コイン1枚くらいの大きさだ。
「これは何の魔法陣なんですか?」
ダベンポートはポケットから虫眼鏡を取り出すと魔法陣を読み始めた。
「むしろ、護符ね。その陣は術者の介在をほとんど必要としないの。起動したら大気をマナソースにして終了式を唱えるまで働き続けるわ」
「……音速の、加速?」
「ご名答」
少し驚いたようにカーラ女史が片眉を上げる。
「音速をランダムに変化させるの。それで猫が歌をうたうのよ」
「でも、猫ってそんなに歌うものなのですか?」
とリリィがカーラ女史に訊ねた。
「どちらかというと無口な生き物だと思っていたのですけど」
「そうね」
カーラ女史は紙巻きたばこに火をつけた。
「お出かけする時、その子には少しお薬をあげてるの。
「それを音速を変える事で歌にしているのか」
「そういう事。薬が切れると帰ってくるわ」
「でも、なぜ?」
「なぜかしらね」
カーラ女史が紫色の煙を吐く。
「目立ちたいのかもね。魔法院が気がつくように」
眠いのかキキはカーラ女史の膝の上で丸くなった。毛ばたきのような尻尾を気だるげに振りながらゴロゴロと喉を鳴らし始める。
「それにしても、ダベンポート君が急に来るとは思わなかったわ。今日の夜のサプライズね」
カーラ女史がタバコの灰を灰皿に落としながらダベンポートに言う。
「でも、もう夜も遅いわ。私も眠くなってきちゃった。申し訳ないけど、続きは明日にしましょう。明日また来てくれれば、続きを話してあげるわ」
+ + +
カーラ女史のアパートを辞去したのち、ダベンポートはリリィとガブリエルを連れて予約してあった宿屋に入った。ふた部屋、リリィの部屋と自分の部屋を隣り合わせに借りている。
「ではお休みなさいませ、旦那様」
寝際にリリィが礼儀正しく深々と礼をする。
「ああ。明日は宿が朝食を準備してくれるようだ。リリィもゆっくり休みなさい」
「はい」
ニッコリと頷く。
「……ほら、お前はここで寝るんだ」
ダベンポートはブフブフ言っているガブリエルを自分の部屋に押し込んだ。
「それではおやすみ」
寝支度をしてベッドに入ってからも、なぜかダベンポートは寝付けなかった。
カーラ女史は『魔法院が気がつくように』と言っていた。
これはどういう意味なのだろう?
(魔法院に見つけてもらいたいのだろうか?)
(しかし、それはなぜ)
(そもそもカーラ女史は自分の意思で魔法院を退官したんだろう? それがなぜ今更)
様々な疑問がダベンポートの脳裏を渦巻く。
どうもカーラの女史の行動には裏がありそうだ。
ブフー、ブフー。
ガブリエルの寝息がうるさい。
考え事をしながらガブリエルの規則正しい鼻息を聞いているうちに、ダベンポートはいつの間にかに深い眠りへと沈んでいった。
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