第三話

 その週の週末、ダベンポートはリリィを連れて魔法院の馬車でセントラルへと向かった。

 魔法院にはすでに話を通してある。『歌う猫』の話は魔法院でも話題になっているだけあって申請は簡単に許可が出た。

 正式捜査となれば捜査費用もそこそこ使えるし、魔法院の馬車を使うこともできる。それに魔法院の制服を着用できることは大きい。魔法院の黒い制服を着ていれば警官すらも手先のように使う事が出来た。

 リリィの持っていた雑誌によれば、『歌う猫』は夕方から夜にかけて出没するらしい。猫は夜行性だ。確かに昼間に猫が歌っていてもどこか絵にならない。猫は夜の方がよく似合う。

「とりあえず、猫を見つけるのが先決だね」

 馬車に揺られながらダベンポートは向かいのリリィに言った。

「はい」

 よほど楽しみなのか、リリィがニコニコと頷く。

 リリィはダベンポートの言いつけ通りに私服を着ていた。とは言っても彼女の持っている合理服は一着きり、他には厚手の外套マントしか持っていない。ブラウスは以前買った少し凝ったものを着ていたが、リリィのいつもの服装から見てみると黒いメイド服の方がフォーマルな感じがする。

「でも旦那様、このような服装でよかったのでしょうか?」

 ふと不安になり、リリィはダベンポートに率直に訊ねた。常に自己評価が低いリリィから見てみると、どんな些細なことでも不安材料に繋がるらしい。

「いつものメイド服の方がちゃんとしているように思うのですが……」

「そうは言ってもリリィ、わざわざメイドですって言って回る必要もないだろう?」

 とダベンポートはリリィに微笑みかけた。

「その服は似合っているよ。それにそうしていれば使用人扱いされることもないだろう」

「そうでしょうか」

「ああ。立派な貴婦人レディだ」

 貴婦人にしては手袋していないけどな。ついでにパラソルもないし扇子も持ってない。大丈夫だろうか?

「それにしても」

 リリィは話題を変えた。

「ん?」

「さっきから気になっていたんですけど、この犬はなんですか?」

 リリィはダベンポートとリリィの間に寝そべっている毛玉だらけの黒っぽい犬を指差した。

 元はどうやらスパニエルだったようなのだが、大らかな性格だったのか、あるいは飼い主がブラシをかけてくれなかったのか、毛がこんがらがってモップのようになっている。顎をだらしなく床に延べ、長い垂れ耳を広げている様子は本当に汚れたモップの様だ。時折尻尾を振っているところを見ると機嫌は良いようだが、なんとなくみすぼらしい。

「ああ、そいつは今回の秘密兵器だ。猫の飼い主を突き止めるには絶対に必要なんだよ。こいつはジャンキー麻薬中毒でね、特定の匂いに対しては普通の犬の一万倍以上の感度を示すんだ」

「ジャンキー犬……」

「錬金術の応用だよ。動物管理部から借りてきた」

「錬金術ってそんなことにも使えるんですね」

 モップのような黒いスパニエルに手の匂いを嗅がせながらリリィは言った。

「コカインやヘロイン、それに街の人がよく使っている阿片チンキも元をただせばみんな錬金術にたどり着く。これをさらに研究して目的別に精度を高めたものが魔法院にはあるんだよ」

 ところで、とダベンポートはリリィに向けて人差し指を立てて見せた。

「もう聞き飽きたかも知れんが、リリィはくれぐれも阿片チンキローダナムを使わないように。阿片ってものは麻薬なんだ。街の薬屋では頭痛薬として売られているようだが、とんでもない。頭が痛かったり具合が悪かったりしたら早めに僕に相談してくれたまえ。違う薬を出してあげるから」

「はい」

 神妙に頷く。

「旦那様、この犬は何に中毒しているんですか?」

「詳しくは知らないんだが、犬用に調合された麻薬らしい。これが効いている限りは頭脳も明晰で、匂いに対する感度も超一流なんだそうだよ」

「……あなた、お名前は?」

 リリィはそう言いながら犬の鑑札を手に取った。

「……ガブリエル……随分と偉そうなお名前なのね、あなた」

「ブフッ」

 ガブリエルと呼ばれてその黒モップは一言返事をした。

「まあ、お利口さんね」

 リリィは額に白い筋の入ったガブリエルの頭を撫でてやってからダベンポートの方を振り向いた。

「それでお薬が切れちゃうとどうなっちゃうんです?」

「寝るらしい。頭痛がするのかなんなのか知らんが、とにかく不貞腐れるんだそうだ。大丈夫、予備の薬は持ってきている」


+ + +


 馬車が森の中をゆっくりと駆け抜けていく。

 窓から外の様子を眺めながらリリィは少しメロウな気持ちでいた。

 旦那様とお出かけというから楽しみにしていたのに、なんだかちょっと様子が違う。私は旦那様と一緒に猫を見られればそれで十分だったんだけど、旦那様は何かを調べる気満々だ。

 一緒には麻薬中毒の犬もいるし、なんか思っていたのと微妙に違う。

 でも旦那様と一緒だから、とすぐにリリィは気を持ち直した。

 今日のお出かけは一泊だ。土曜の夕方に着いて、一泊して日曜日に帰る。

 一泊で旦那様とセントラルに行くなんて初めて。

 一緒に美味しいもの食べてくれるかな。お話しする時間あるのかな。

「リリィ」

 不意にダベンポートがリリィに話しかけた。

「はい」

「リリィはセントラルのレストランは詳しかったんだっけ?」

「いえ、そんなでも……」

「やあ、それはしまったなあ」

 とダベンポートは頭を掻いた。

「せっかく来たんだ、どこか美味しいところで一緒に食事を楽しみたいものだ。ちょっと街で聞き込みでもしてみるかね」

 旦那様はちゃんとわかっておられたんだ。

 不意にリリィの胸が暖かくなある。

 捜査のことだけじゃなくて、ちゃんと私のことを考えてくれていた。

「この前は南大通りのカフェに入ったのですが、良い感じのお店でした。あの一角には隣国のシェフが開いたお店が並んでいるから良さそうですよ」

「店は駅前の広場から遠くないのかね?」

「広場を取り囲むようにビストロが並んでいる一角ですから、そんなには遠くありません」

「ではそちらの方に行ってみるか。どうせまだ猫が出るには早いだろう。何か素敵なものをゆっくり食べようじゃないか」

 ダベンポートは小窓から御者に何事か言うと、馬車を駅前広場の南大通り方面へと向かわせた。

…………


 馬車を降りて、周囲をしばらくそそろ歩く。周囲にあるのは隣国風のビストロ、南の方のレストラン、カフェ、その他色々。エキゾチックなシノワの店もある。

「シノワはちょっと難しそうですよ」

 とリリィ。

「お箸で食べるのは大変そうです」

「そうだな」

 食事は基本、リリィの言いなりだ。黒いモップのような犬を引きつつ、ダベンポートはリリィの後ろを歩いている。

「旦那様、お魚とお肉とどちらにしましょう? あるいは鳥でも」

「ここしばらく魚が多かった気がするから、今日は肉にしようか。マトンなぞはないかね」

「ありそうですが、お店で食べるマトンのお料理はみんな南の植民地風で辛いらしいです。お口に合うかどうか」

「なら、ここはどうだい?」

 ダベンポートが指差したのはラムのクラウンローストを自慢にしている店だった。どうやらムール貝やオマールエビも出すらしい。

「これなら二人でシェアすれば色々楽しめるんじゃないか?」

「そうですね。良さそうです」

 ふたりは少し古臭い感じのレストランのドアを押した。


 食事は最高だった。薄暗い内装もムーディで文句ない。

 リリィはダベンポートと二人で食事をしながらなんとなくロマンチックな気持ちに浸っていた。

 家でもいつも二人で向かい合わせに食事を取っているにも関わらず、やはりお店だと雰囲気が違う。

 ふわっと上気しながら、リリィは(上品に、上品に)と心の中で呟きつつ二人でシェアしたクラウンローストを齧った。

「ははは、リリィ、そんなに緊張しなくていい」

 ダベンポートが笑う。

「ゆっくり、楽しみながらお食べ。楽しそうに食べるのが一番のマナーなんだから」

「はい」

 ダベンポートに言われて急に気持ちが軽くなった。ローストをつまみ、パンにソースをつけて味を楽しむ。付け合わせに頼んだロブスターも隣の人と同じように素手で折りながら食べてみた。まるでセントラルの市民になったみたい。

「そうそう、郷に入っては郷に従えってね」

 ダベンポートものんびりと子羊のクラウンローストを片付けていく。

 二人の皿が空になったとき、二人の胃袋は満タンを通り越して破裂寸前になっていた。

 紅茶では多すぎる気がしたので、食後の飲み物は濃いコーヒーにする。滑稽なほど小さなカップに入ってくるのだが、コーヒーが強いので一杯で十分に満足する。

「やあ、美味しかったね」

「はい」

 二人で椅子に浅く腰掛け、お腹を突き出す。

「ふふふ、ちょっとお行儀悪い」

「いいんだよ。満足したって意思表示さ」

 と、その時。

『🎶────────』

 と妙なる音楽が聞こえてきた気がした。

『♬────────』

 音階を変えてもう一度。

「猫、か?」

 ダベンポートとリリィが顔を見合わせる。

『🎶────────』

 さらにもう一度。

「手分けしよう」

 素早くダベンポートはリリィに指示した。

「僕は会計を済ませてからあとを追う。リリィは猫を探すんだ」

「はい」

「くれぐれも猫に素手で触るなよ。どんなものがついているか判らないからね」

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