382話 一筋の希望

「雫。すまないが……水理も落ち着いているようだから、麿はそろそろ木の王館へ戻ろうと思う」

 

 少しの沈黙のあと、木理王さまが気まずそうに言った。木理王さまが出来ることは全てやってくれた。これ以上、ここにいても出来ることはないということだろう。

 

 それにお世辞や曖昧な意味で『落ち着いている』という言葉をいう方ではない。安心は出来ないけど、小康状態という意味で取っていいだろう。

 

「ありがとうございました」

 

 もし木理王さまがベルさまを救えるなら、留まって欲しいと泣いて縋っただろう。でも木の王館も皆、復活待ちで桀さんひとりしかいない。大変なときに水の王館で独り占めは出来ない。


「そんなに間を開けずに来るさ。まだ木精にも回復待ちの者は多い。出来る限り水理の理力を吸収できるように、また連れてくる」


 また来るとは言っても、木理王さまが木の王館を長く開けるわけにはいかない。そう頻繁には来ないだろう。

 

 でもそうやって木精にベルさまの理力を少しでも吸収してもらえれば、負担は軽くなるかもしれない。それを繰り返していれば、その内に落ち着いて目を覚ましてくれるかも、と微かな希望を寄せてしまう。

 

 木理王さまが僕の背中をポンポンと軽く叩いた。


「麿の前に土理が来る方が先だろうな。土理はあれで水理のことが心配で心配で仕方ない。土の王館に戻ったところで、どうせ何も手につかないはずだ」

 

 土理王さまは以前、ベルさまが退位するかも、と誤解したことがあった。そのときの土理王さまの慌てようが忘れられない。

 

「ようやく表情が軽くなったな。さっきまで麿に斬りかかってきそうな顔をしていたぞ」

「すみません」

 

 そんなことはしないけど、冷静さを欠いていたのは自覚している。ふと視線を下げると庭の氷は溶け始めて水に戻っていた。

 

「いや、麿も同じような立場だったから気持ちは分かる。雫がすぐに即位しなくて良いように祈っている」

「ありがとうございます」

「……即位しないよう祈るって変な言い方だな」 

 

 木理王さまは自分の鼻の辺りを押し上げた。眼鏡をかけていたときの癖だろう。


「出来る限り助力はする。何でも言ってくれ」

「理力を減らす薬なんて……ありませんよね?」

 

 何でも言えという言葉をありがたく受け止めて、遠慮なく尋ねた。木理王さまは困ったように少し笑った。 

 

「需要がないからな。皆強くなろうとするばかりで、弱くなりたい精霊などいないからな」

「……ですよね」

「薬というのはあくまでも自己の治癒力を引き出すものに過ぎない」

 

 治癒を望まない者や亡くなった者には効かないということだ。瀕死の漣先生が薬を断った姿を思い出してしまった。

 

「理力に干渉する薬はないってことですか?」

「いや、事故で本体が欠けたり、悪質な他者に奪われたりして理力が減少した場合、一時的に高めることは可能だ」

「その逆は出来ませんか?」

 

 僕も大概しつこい。相手が土理王さまや垚さんだったら、口説いと怒られているかもしれない。添さんがここにいたら、厳しく小言を言われているだろう。


「一時的に理力を高めるというのは、元の理力に戻ることを前提としての前借りみたいなものだ。その分、数ヶ月先のからだに負担を掛けることになる」

 

 木理王さまは嫌な顔をせずに、僕に分かるように説明してくれた。

 

「仮に理力を減らす薬があったとしても、数ヶ月先の水理に、今よりも大きな負担を掛けることになるぞ」

 

 薬で理力を高めることは出来ても、減らすことは出来ない。それが木理王さまの結論だ。木理王さまが出来ないと言う以上、不可能だ。

 

 …………いや、待てよ。さっき確か……。

 

「本体を欠いたり、奪われたりすれば理力は減る……」

 

 木理王さまはそう言った。いや、木理王さまが言わなかったとしても当たり前のことだ。何故、思い付かなかったのだろう。

 

「どうした?」

「僕も水の王館に戻ります」


 こうしてはいられない。ベルさまを救えるかもしれない。


「戻って御上の本体を減らせないか考えてみます」

「はぁっ!?」

 

 だいたい僕はベルさまの本体が何であるかすら知らない。 

 

 まずはそれを調べないと。潟なら知っているだろうか。もしくは養父上に聞けば……。

 

「失礼します!」

「まままままま待て待て待て待て」

 

 木理王さまが桀さんのようになっていた。水流を出そうとしたら服を引っ張られた。

 

「前代未聞だ。成功してしまったら謀反だぞ!」

 

 分かっている。理王の本体を狙うのだから反逆だ。しかも水太子がそれを実行するのだから、クーデターと言われるだろう。でもそんなことはどうでもいい。

 

 僕がどんな汚名をきようと、ベルさまが助かってくれれば良い。それにベルさまは僕が謀反を起こしたなんて絶対に信じない。他の誰に非難されようとも、ベルさまが僕のことを信じてくれれば問題ない。

 

 そう伝えると木理王さまは僕の服を放してくれた。袖が伸びていた。

 

「覚悟はあるようだけどな。水理の本体を知るのは難しいかもしれないぞ」

「木理王さまもご存じありませんか」

 

 理王仲間なら知っていてもおかしくはないと思ったけど、必ずしもそうではないようだ。

 

 僕も太子仲間全員の本体を知っているわけではない。

 

 焱さんは雷による火事で、鑫さんは黄金だ。桀さんは斧折樺オノオレカンバで……垚さんは分からない。丘とか台地とか、聞いたような気もするけど確かではない。

 

「本体はあってないようなものだと、太子時代から言っていた。それしか分からないな」

 

 本体が『あってないようなもの』だとすると、僕のような泉や潟の塩湖とは異なる。

 

 恐らく雨や波など、現象系の精霊だ。絞ることは出来た。


「それだけでも貴重な情報です。ありがとうございます! 木理王さま、お帰りはお気を付けて!」

「あ……あぁ」


 戸惑い気味の木理王さまをその場に残して、水流で執務室へ戻った。

 

 潟も添さんもいなくて、当然ながらベルさまの椅子も空だ。

 

「潟。どこにいる?」

 

 自分の席に掛けながら、潟に通信を試みた。添さんと取り込み中でなければ良いのだけど……。


『雫さま! お探ししていたところです。今、謁見の間の前でして……』

 

 すぐに応答があった。僕を探して王館を走り回っていたようだ。今はベルさまの理力が満ちていて、僕の気配が探しにくいのだろう。

 

「竜宮城が王館上空に停泊しているはずだ。養父上を呼んできて」

『は? 雨伯をですか?」

「そうだ。早くしろ」

『は……は! かしこまりました』

 

 潟は戸惑っているようだった。それもそうだろう。執務室を出て行く前の僕は現実から逃げようとしていた。もしくは、ベルさまのいない現実を何とかやり過ごそうとしていたのかもしれない。

 

 今は違う。

 ベルさまを助けたい。

 

 いや、絶対に助ける。

 僕が出来るすべての方法を使ってベルさまを助けてみせる。

 

 冷たかった椅子が熱を持ったように温かくなっていった。

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