354話 折れた玉鋼

「……っ!」

 

 予想外のことに……どうしたら良いか分からなかった。柄の方を持ったまま免から離れるのがやっとだった。

 

「そう驚くことはないでしょう。形あるものは壊れるものです」

 

 免は体を起こし、立てた膝の上に腕を乗せた。その先の指には玉鋼の刃が握られていて、わざと僕に見えるように、掲げて見せた。太陽に翳されて、残酷なほどの眩しさを放っている。

 

「傑作品もこうなると、文字通りの形無しですね」

 

 免が指にグッと力を入れて、玉鋼の刃を粉砕した。割れるならともかく、信じられないくらい粉々にされてしまった。

 

 最上級理術である大気氷結ダイヤモンドダストのように、キラキラと輝いていて、思わず見とれそうになる。

 

 玉鋼は僕が仲位ヴェルに昇格した祝いに金理王さまから贈られた剣だ。実用的なだけでなく、思い入れもあって……ショックというよりもただ虚しさに襲われる。

 

 これだけ粉々にされてしまうと、もう……修復は難しいかもしれない。

 

「さてそろそろ……じゃれあいは終わりにしましょう」


 免の顔が目の前にあった。慌てて退いて距離をとる。

 

 全然、動きが分からなかった。免の動きが先程までと違う。もっと言うなら、前回会ったときよりも速い。認めたくないけど、霈の義姉上よりも数段上だ。

 

「っ氷刃!」

 

 玉鋼の折れた部分に氷の刃を付け足した。強度はかなり落ちる。ないよりマシという程度だろう。

 

「それでどうする気です?」

「っ!」

 

 また免の顔がすぐ近くにあった。灰色の目と視線がぶつかる。

 

 微かな風の音が耳を掠めた。反射的に頭を下げると、少し遅れて免の拳が素通りしていった。

 

 動きを先読みしても、かわすのがやっとだ。

 

 ひと息つく暇もなく、今度は足が来た。長い足を使って、反動をつけた重いひと蹴りだ。攻撃を防いだ右腕がジンジンしている。


 でもその甲斐あって動きが一瞬止まった。免の足首を掴んで、引き寄せながら立ち上がる。免がやや前のめりになったところを狙って、首に剣を当てた。

 

 辛うじて玉鋼の残った部分だ。切れ味は活きている。むしろ角がたっていて予想外の切れ方をするかもしれない。


 免は眼球をギョロッと動かし、僕に一瞥をくれた。それから形の良い口元を美しく歪め……玉鋼に自分の首を押し当てた。

 

「っな、何を!」


 僕の方が驚いて、剣を引いてしまった。免の首には横に一本の線が入り、遅れて血が滲んできた。そこまで深く切ったわけではなさそうだ。

 

「バカですね。私を倒す絶好の機会だったのに……」

 

 免の言うとおりだった。

 

 免を倒せたかもしれないのに。何をやっているんだと、自分を叱責したくなる。

 

 落ち込んでいる暇もなく、免に腹を蹴られた。距離が近かった分、威力は思ったよりも小さい。

 

 しかも、目が免の動きに追い付いてきた。休む間もなく、拳が飛んで来るのが見えた。

 

 伸びてきた腕を剣で払う……けれど、場所が悪かった。氷で補った刃は免の腕を素通りした。

 

 しまった! ……と思ったときには首を掴まれていた。

 

「ぁぐ……っ!」

「学習しませんね」

 

 今度は僕が首を痛め付けられる。


「こんな初級理術……私に効くわけがないでしょう。バカにされているようで不愉快ですよ」

 

 免に首を抑え込まれ、背中を石柱に押し当てられた。ズルズルとからだごと持ち上げられる。

 

「私を舐めているのですか? これまで何度も貴方を見逃してきましたが、今度はそうはいきません。これで最後ですね」

 

 苦しい。息が出来ない。思考が朦朧とする。

 免の手は容赦なく、僕の気道と脈を絞めている。

 

 免の指を外そうと両手を掛けた。免の指を二本掴んで反らすと、バキッと音がした。多分、折れたのだろう。それでも免は残った指で器用に僕の首を絞め続けている。 

 

 視界が暗くなっていく。


 ここで僕が負けたらどうなる?

 

 ベルさま……は強いから、きっと免を倒せるだろう。でもどうだろう。

 

 僕がいなくなったら、ベルさまは悲しむだろうか。魂繋たまつなの約束までしたのに……。

 

 ここで倒れるわけにはいかない。痺れてきた指先を誤魔化すために、腕を下ろした。

 

 それを諦めと受け取ったのか、免が勝ち誇った顔をしている……ように見えた。

 

「その理力……寄越せ」

「……とわ、る」 

 

 掠れた声しか出なかった。下ろした手をさやに這わせる。添えてあるこうがいを手探りで外し、免の額に突き刺した。


「ギャあァッ!!」

 

 免のものとは思えない声が上がり、僕の首が解放された。急にからだが自由になって、尻餅をついた。咳が止まらないのは仕方ない。

 

 自分のからだとは思えないほど、動きが緩慢だ。それでも出来るかぎりの速さで、免から離れた。手頃な石柱に寄り掛かって、呼吸が整うのを待つ。

 

 こちらの体勢が整う前に、免はすぐに向かってくるはず。唾を飲み込むのも痛いけど、ここは我慢だ。指先の感覚が戻ってきた。しかし身構えていても、免は一向に攻撃してこない。

 

 まさか背後を取られているのかと思って、後ろを確認してしまった。でも誰もいなかった。余計に不安に陥る。

 

 呼吸が整ってきた。石柱の陰から免の様子を覗く。免はまだ額に笄をさしたまま、悶絶していた。くぐもった呻き声を上げながら、笄に手を掛けている。

 

 引き抜こうとしても抜けないらしい。近くの石柱に手をついて倒れるのを防いでいる。

 

 それでも痛みに耐えかねたのか、支えにしていた石柱を倒した。八つ当たりだ。自分でも石柱を壊すなと言っていた癖に、それどころではないらしい。

 

 免のらしくない無様な一面を見た。

 

 僕の意識が朦朧としていたせいで、余程深くこうがいを刺してしまったのか。

 

 それとも竹伯特製のあのこうがいに何か秘密があるのか。そんなことを考えていたら……免の叫び声が大きくなった。

 

 状況が分からない。一本前の石柱に移って免に近づいた。

 

 免の額に刺さった笄が、細くなっていた。免が抜こうとして削ってしまったのか。

 

 いや、それだけでは説明がつかない。僕が貰った笄は平べったくても幅はあった。今はもう筆記具といっても良い。いくら免が掻きむしったのだとしても細すぎる。

 

 しかも……長くなっている。菜箸みたいだ。

 

 眼を凝らしてよく見ると、免の額にはビキビキと血管のようなものが広がっていた。免の秀麗な顔をひどく引きつらせている。

 

 笄は伸びることを止めない。

 

 その内、節が出て、葉が伸びてきた。青々とした葉は筋が多く、見知った植物だ。細い笄にピシッとヒビが入った。

 

「ふんっ!」

 

 笄を割いて……小さな手が現れた。幼児よりも少し成長した子どもの手。

 

「よいしょっ、……狭いっ!」

「その声は、竹伯……?」

「淼さま、無事だね! ちょっと待ってね。もうちょっと、でっ! よいしょっ、ふんっ!」

 

 まぬがから竹伯。

 

 瓢箪からかちわたさんが出るよりも、はるかに衝撃的だった。

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