343話 火付役との攻防

 颷さんが二本目の矢に気づいた。その一瞬の間に、一本目の矢が左の翼を貫いた。付け根ではなく羽の間だ。でも動きを鈍らせるには十分だった。

 

 間髪入れずに二本目の矢が右の翼を捕らえた。首に近い位置だ。ギャアと鳥らしい啼き声が上がった。颷さんを射ても矢の勢いは止まらない。

 

 勢いそのままに、颷さんを王館の壁に縫い止めた。颷さんがもがいても矢が抜ける気配はない。更に左側の矢も羽の間から落ちることもなく、颷さんの動きを邪魔している。

 

「観念しろ、ひょう

 

 颷さんの正面に来ることが出来たとき、手の中に違和感を覚えた。そっと手を開くと桜桃さくらんぼが灰色になっていた。

 

 あんなに美しかったのに面影がない。ゆっくり撫でてみたら真っ二つに割れてしまった。ギョッとして握りしめたら、指の間からサラサラと灰がこぼれていった。

 

 恐る恐る手を開いたときには、皺の間に僅かな灰が残っているだけだった。

 

 先代木理王さまの残してくれた力を全て出しきってしまったようだ。申し訳なさと感謝がごちゃ混ぜになっている。まさか王館の中で、雲を全力で走らせることになるとは思わなかった。

 

「雫。箱でも縄でも何でも良い。颷を押さえてくれ」

「ぼ、僕が?」

 

 焱さんだって火の牢で捕らえられるはずだ。

 

「同じ火精の理術よりも、水精の理術の方が確実だろ?」

 

 それもそうだけど……。

 

 暴れる颷さんを見ていたら少し気の毒になってきた。羽や背中を壁にぶつけているせいで、射られたものとは別の傷が付いている。壁が薄く赤に染まっていた。

 

 颷さんは罪人だ。でもやっぱり酷い扱いはしたくない。威力を弱めた『水の箱』に颷さんを閉じ込めた。

 

 颷さんに思い切り睨まれたけど、縄よりは苦しくないだろう。


ひょう、ただで済むとは思ってねぇだろうな」

 

 焱さんが低い声をかける。弓に矢が掛かっていないところを見ると、これ以上の攻撃はしないだろう。ただの脅しだ。

 

 颷さんは矢が刺さったまま、人型に姿を変えた。それに合わせて水の箱も自然に大きさが変わった。

 

「ふざけるな! ただで済まないのはそっちよ! 私の子が……あの子が帰ってくるのに……何故、邪魔するのよ!」

 

 颷さんは鳥型のことが多い。声は聞いたことがあるのは数えるほどだ。でもこれほど悲痛な叫び声を聞くのは初めてだ。

 

「颷さん。まゆみは本当に颷さんの子を取り戻すって言ったの?」

「うるさいうるさい! 水精の若造に私の何が分かるって言うのよ!」

 

 免に騙されている可能性もあると諭そうとした。でも颷さんは僕に最後まで喋らせなかった。

 

 まるで指摘されることが嫌みたいだ。

 

 颷さんも多分、分かっている。心の奥底では免に利用されているだけだと、気づいている。

 

「あの子が帰る可能性が少しでもあるなら、何だってやってやるわ。水精だって、火精だって、何だって……。えん、あの子の復活に貴方の魂が必要だって言うなら、迷わず狙うわ!」

「……そうかよ」

 

 焱さんは、もう颷さんの言葉を聞き流していた。颷さんから反省したり、後悔したりする様子は感じられない。この先、何を言っても颷さんは態度を変えないだろう。

 

「颷。味方を裏切り、同属を煽り、襲い、その上、敵に理力を渡そうとした罪は重い。捕縛し、火理王おかみの沙汰を……」

 

 不自然に焱さんの声が止まった。段々、眉が寄っていき、険しい表情になる。

 

「焱さん、どうしたの?」


 ちょっと待て、と手で制される。異変があったわけではなさそうだ。でも、視線が定まっていない。

 

 時々、「しかし……」とか「はい」とか、相づちを打っている。

 

 これは……火理王さまとの通信だ。

 

「……火精がひとり脱走を図ったらしい。石炭に火の理力を集めて、な」


 その言葉は僕に向けたものか、それとも颷さんに向けたものか。

 

「は、早く捕まえに行かないと……」 

「だが、そいつは結界の外に出た瞬間、理力によらない炎で焼かれた。その上、石炭だけを黒い飛行物体に奪われたそうだ」

 

 黒い飛行物体と聞いて、免が以前扱っていたことを思い出した。確か……ドローンだ。

 

「火精の理力を集めて外に出たってことは……つまり、免に届けようとしたってこと?」

「さぁな。知りたくもねぇ……が、仮にそうだとしたら、免の利になる行動をしたところで襲われるってことだ。どういうことか分かるだろ?」

 

 免の側に付こうとしたところで無駄だということだ。免が必要としているのは、理力や魂だけ。仮に自分に理力を献上してくる者がいたとしても、その行為に報いることはない。それこそ理力がひとり分増えた、くらいにしか思わないだろう。

 

「分かったか、颷。お前が免の言う通りにしたところで、お前の子は帰ってこない」

 

 冷たいようだけど現実だ。

 

 颷さんは唇を噛んでいる。泣くのを耐えているようだった。


ひょう火理王おかみの言葉だ。良く聞け」

 

 颷さんから反論する言葉が出ないことを確認して、焱さんが続けた。

 

「即刻処罰するところだが、旧情を鑑み、選択肢を与える。火付役の任を解き、名と理力を全て没収。あるいは火付け役として、その地位に就いたまま自害せよとのことだ」

 

 どちらにしても命で償えということだ。颷さんは火理王さまに絶対的な忠誠を誓っていたはずだ。

 

 その火理王さまから死を命じられるとは夢にも思わなかったに違いない。

 

 颷さんは声にこそ出さなかったけど「おかみ……」と唇を動かしていた。

 

「あの子がいない世を……ここまで生きてこられたのは火理王おかみのおかげよ。私の能力を高く買って下さった恩に報いるためだけに生きてきた……」

「だから何だ。お前は火理王おかみを裏切ったんだ」

 

 焱さんが冷たく言い放った。

 

「私は火理王おかみを裏切ってなどいない。ただあの子を取り戻したいだけ……」

「同じことだ!」

「……もう良いわ。私の高尚な忠誠心なんて焱には理解できないのよ。私はこのまま死ぬわ」

 

 そう言うと颷さんは血だらけの右腕を動かせるところまで伸ばして、左腕を掠めた矢を引き抜いた。

 

 それを自分の喉を目掛けて振り下ろす。

 

「……っ!」

 

 決定的な瞬間を見たくなくて目を逸らしたら、湿気のある風が耳を掠めていった。

 

 目を上げると颷さんの手から矢が消えていた。颷さんは凄い顔で遠くを睨んでいた。

 

 その視線の先には、透明な魚が太陽を反射して眩しく輝いていた。

 

「漕さん!」

「漕、邪魔するな。火理王おかみの命を施行中だ」

 

 思わぬところで無事を確認できた。

 

 漕さんの口には焱さんの矢が咥えられている。颷さんと同じように人型になると、矢を手に持ち替えた。

 

「焱サマ。颷を罰するならうちも罰してや」

 

 漕さんは颷さんを背に庇うように前に立った。人型になっても宙を泳げるのは変わらないらしい。

 

「お前も画策したのか?」

「せやない! せやないけど……あの子を取り戻したいのはうちも同じや。配偶者つまだけ罪人にするわけにはいかれへん!」

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