283話 父、参上

 ちょうど執務室の真ん中あたりを突き抜けたまま、水柱は飛沫しぶきを放っている。逆流している滝のようだ。


 でも勢いは程々で、地下で会った水柱よりは細い。片腕で抱えられるくらいだ。


「父上! 何でこんなところに」


 玉座の下から王館を支えているはずだ。出てきてしまったら、王館が崩れる可能性がある。大丈夫なのだろうか。


『何カないカな?』


 何かって何? 


 水柱が右へ左へとねじれている。キョロキョロしているのだろうけど、雑巾を絞っている様子にそっくりだ。


「初代さま。ひとまずこれをお使いください。長持ちはしませんが」


 ベルさまは冷静だった。


 父上に自身の茶器を差し出した。まだ中身が入っている。新しいものを出した方が良い気がする。


『流石、当代。分かッテるネ』


 父上はそう言うと茶器の中に入っていった。水柱は途中で折れて先端は茶器の中へ、残りは床にズブズブと沈んで見えなくなった。濡れた床があっという間に乾いていく。


『いやー、案外居心地が良いね』


 ベルさまの手にした茶器の中に人型の父上が入っていた。人形といってもとても小さい。もし、手に乗せたとしたら僕の手のひらから少しはみ出すくらいだろう。


「父上、そのお姿は……」

『可愛いでしょ?』


 茶器の中でポーズをとる父上。


 父親に可愛いという表現は果たして適切なのだろうか。


 ベルさまが茶器を僕に手渡した。茶器の中でくつろぐ物体は、どう見ても以前会った父上そのものだ。


「初代さまの魂がこぼれないように物質的な器かはこが必要なんだよ。入れ物に合わせて形状が変わるから、このサイズなんだ」


 父上の代わりにベルさまが解説してくれた。父上はうんうんと首を縦に振っている。


 魂だけの父上をここに留めておくための、仮置き場みたいなものか。


『流石だよ、当代。僕が説明しなくても分かっちゃうなんて』

「私がよく使っていた方法です。ご存じでしょう」

『あはー、バレちゃった? だって当代ばかりお出掛けしてずるいじゃないか』


 父上が茶器の中で拗ねている。茶器の縁にかけた僕の指をつつき始めた。くすぐったいので止めてほしい。茶器ごと父上を落としそうだ。


「ずるいとは心外です。その分、二倍以上の仕事をこなしていたと自負しております」

「二人とも何の話をしているんですか?」


 話についていけない。一人蚊帳の外だ。


 そもそも初代理王と当代理王が何で言い争いをしているのか。


 悪い夢でも見ているような気分だ。


「自身の魂を一部切り離す方法があってね。理王になると魂が王館に縛られる。けど、一部を残せば外出できることに気づいてね。兼任時代にその方法で視察に行っていたんだよ」

「へぇ……」


 便利な方法があるものだ。


 その方法を使えば理王でも外へ出掛けられるわけだ。他の理王方もそうしているのかもしれない。


 理王は王館から出られないと言われたけど、問題なさそうだ。


『真似しちゃ駄目だよ? 失敗したら魄失はくなしどころか魂もなくなっちゃうからね』 


 ダメだった。根本的な問題があったようだ。


『僕はそもそも魂だけだから簡単だったけどね。お薦めしないな』

「ベルさまだからこそ出来るんですね」

「そんなことないよ。初代さまの言うように簡単だよ」


 試してみる気になれない。


 挑戦したら最後……帰ってこられなくなりそうだ。


『当代の強さは異常だね。その強さは理王としては理想的だ。息子が骨抜かれちゃうのも分かるね』

「父上!?」


 茶器を落としそうになった。その振動で父上が茶器の中で転ぶ。


「骨が何ですか?」

「ななな何でもないです!」


 動揺が過ぎて桀さんみたいになってしまった。


「雫、まさか……」


 ベルさまが近づいてきた。動悸が激しい。僕の気持ちに気づかれてしまったかもしれない。そう言うのは自分で言いたいけど、言うつもりもない。


 ベルさまのことは好きだけど、だから僕のことも好きになってほしいとは思っていない。ベルさまが幸せなら何でも良い。だから僕の気持ちをベルさまに伝える気は……。


「雫」

「べ、ベルさま」


 ベルさまが間近で僕の顔を覗き込んでくる。ベルさまの濃い色の瞳と視線がぶつかる。


「雫、衡山で骨折したのか?」

「………………へ?」


 ベルさまが僕を上から下まで眺めた。一通り観察を終えると、もう一度僕の顔を覗く。 


「怪我しているのを隠しているじゃないのか?見せてごらん」

「………………無傷です」


 ほっとするのと同時に残念な気持ちに襲われたのはどうしてだろう。ベルさまは疑いの眼差しで僕を見上げる。色々な感情が混ざって、気まずさから目を逸らした。


『いいねぇ、青春だねぇ。あぁ、きよらさんに会いたいなぁ』


 父上は茶器の縁に肘をかけて、頬杖をついている。小さいせいで表情が今一つ読み取れないけど、にやにやしているに違いない。


「登城命令を出しましょうか?」


 ベルさまが茶器に向かって話しかける。端から見たらおかしな光景だ。


 父上は小刻みに首を振った。


『清さんには別れを告げてあるからね。会いたいけど会う必要はない。僕が会うべき精霊は太子たる者のみだよ。……あ、それで何か用?』


 急に思い出したように父上が茶器の中で振り向いた。


『太子は僕に話があるんでしょ?』


 僕の親指に両手をかけて、小さな瞳が見上げてくる。


 顔を上げるとベルさまと目があった。ベルさまは僕に話を促すように、軽く顎をしゃくった。


「父上。人間が精霊界に侵入したかもしれません」

『そうみたいだね。それで?』


 やはり父上は知っている。牢とはいえ、水の王館の敷地内だ。全てお見通しだろう。 


『前にも行ったけど未来は自分で……』

「いえ、過去を知りたいんです」


 父上の言葉を遮る。そう言われることは予想していたので、率直に目的を告げた。


「過去に人間が来たことがあるなら教えて下さい。過去なら教えてくれるんですよね?」

『なるほどそう来たか』


 父上は良い笑顔で納得したように頷いた。


『残念だけど僕が分かるのは王館での出来事だ。王館に人間が入った記憶はないよ』


 流石に王館に侵入されるようなことはないか。


「じゃあ、父上の個人的な記憶を見せてもらうことは出来ませんか? もしくはお話を聞かせていただけませんか?」

『ダメに決まってるでしょ』


 即答だった。


 父上は精霊界を作り上げた精霊のひとりだ。だとしたら精霊界に来る前に人間と接触している。父上の記憶が見られるなら確実だと思ったのに。


『だって……清さんとのアンナコトやコンナコトなんて見せられないし、聞かせられないよ』


 父上は急に照れだした。両手を頬に当てて体をくねくねさせている。照れているわりに嬉しそうなのは何故だ。


「誰もそこまで見せろとは言ってませんよ」


 ベルさまが呆れて席に戻ってしまった。銀髪が茶器に掛かって父上を撫でていった。父上は鬱陶しそうにしているけど、僕はちょっと羨ましいと思ってしまった。


「じゃあ、人間についての会話がされたことはないですか?」

『……へぇ。今度はそう来るか。余程、人間のことが知りたいんだね』 


 父上はちょっと嫌そうな顔をした。

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