273話 銅苔の菳

 ベルさまの助言を受けて、土と木の混合精か、木と金の混合精まで絞ったところまでは良かった。

 

 数日後、土の王館から候補の取り下げがあった。僕が試しに会ってみたいと言ったら、辞退したらしい。会うだけで辞退されたと聞いてちょっとショックを受けた。

 

 その知らせを持ってきた土理王さまの侍従によると、いざ選ばれそうになったら本人が怖じ気付いただけだから、気に病まないようにと慰めてくれた。

 

 けど、それを聞いたベルさまが激怒した。僕に非はないのに、気に病むなとは何事だ……と静かに言いながら、机に霜柱が立ち始めていた。

 

 そうなる前にしっかり吟味しなかったのか。とか、水精うち太子たいしをそんな軽々しい輩に預けるつもりだったのか。とか、大変だった。

 

 怒鳴ったり、机を叩いたりせず、寧ろ口角が上がってさえいるから余計に怖い。少しずつ雪が降り積もっていくように、相手にダメージが溜まっていく。

 

 土理王は一体どういう基準で選んだのか、と質問を繰り返しているけど一般的な侍従では答えられない。

 

 答えがないと分かると、選定に手を抜いたのか、とまたもや延々と脅し……いや、質問をし続けた。

 

「私は候補者をあげるのが遅かった。だがそれは、念入りな人選を行うためであって、土太子の身の安全を最大限考慮しているからであり…………」

 

 不満の言葉はまだまだ続く。

 

 ベルさまがほとんど息継ぎをせずに話すので、言葉は疑問系でも侍従は相づちすら打てずにいる。尤も反論しようものなら即凍りづけになってしまいそうだ。

 

 実際、乾燥していた執務室の床は土の侍従がいる場所だけ、凍り始めていた。下がって良いと言われないので、寒さと恐怖でガタガタ震えていた。

 

 窓の外側が結露し始めたところで、何とかベルさまを止めた。執務室があちこち傷みそうだ。僕が下がるように言うと、侍従は足をガクガクさせながら去っていった。

 

「本当はまだ言い足りないけどね」

「分かってます。僕のことを思って言ってくださったんですよね。でも侍従にあれ以上言っても何にもならないですよ」

 

 最近、ベルさまは時々子供っぽいことを言う。僕が大人になったからか。それとも僕が今まで気がつかなかったのか。ベルさまの助言を本音が見えるならどちらでも良い。

 

「失礼します。御上、雫さま。入っても宜しいでしょうか?」

「あ、潟さんですね」

 

 そうは言ったものの気配がひとり分ではない。

 

「まずは潟だけ入れ」

 

 当然ながらベルさまも同じことを感じ取ったらしく、潟さんだけに入室許可が出た。

 

「失礼します。木の侍従長が候補の混合精ハイブリッドを連れてきたようです。お会いになりますか?」

「勿論、会うよ。早く入れてあげて。ベルさま良いですよね?」


 呼び出しておいて廊下で待たせたままだ。一応ベルさまにも許可を取って、潟さんに二人を繋いでもらう。

 

 僕がベルさまの隣に僕が立ち、離れて潟さんが横に控えた。最近、執務室で誰かを迎えるときは、大体この配置だ。


 執務机を挟んで正面に二人が入ってきた。


 ひとりは木の……恐らく木理王さまの侍従長だろう。木理王さまの紋章が縫い込まれた装いは、何を隠そうす少し前まで自分が着ていた格好だ。

 

 桀さんの侍従なら何度か顔を見ているけど、今いるのは知らない精霊だ。木理王さまの推薦だから、名代として侍従長が来ているということか。

 

 そうすると、もうひとりが混合精ハイブリッドの木精。金の性質を持つという珍しい精霊だ。性別は今のところ不明だ。

 

 深緑の髪はとても短い。刈り上げているだろうに、頭皮は見えない。毛髪量が多そうだ。残念ながら瞳の色は分からない。

 

 ただ今のところ木の気配しか感じない。集中すれば僅かに金の理力が読み取れるというレベルだ。金理王さまから贈られた刀の方が金の理力が強い。

 

 勝手に観察している内に、侍従長からの形式的な挨拶が済んでいた。もうひとりからの挨拶を待つ。

 

 ……待っても

 

「こ、こら、水理皇上と淼さまに挨拶をせぬか」

 

 初老の侍従長が年齢に合わない慌て方をしている。肩を両手で持って前後に揺さぶっていた。


「えー……おはよー」

 

 え、寝てたの?


 なるほど。瞳の色が分からなかったのは、目を閉じていたからか。

 

 いや、それよりこの状況でよく寝られるな。

 

「私たちを前にしてよく寝られるね」

 

 ベルさまが僕だけに聞こえるよう囁いた。同じことを思っていたらしい。

 

「シャキッとせんか!」

「……しゃきっ」

 

 声だけ精いっぱいシャキッとしてもダメだ。顔は眠そうだし、目は半開きだ。その隙間から深い緑の瞳が見えた。髪と同じ色だ。湖水を思わせる深くて落ち着いた色だ。それだけで親近感が湧いた。

 

「んー……こんにちはー」

「……こんにちは」

 

 声を聞いてようやく男の子だということが分かった。挨拶を返すと、にへらっと笑顔が返ってきた。まだ若そうに見えるけど、幼くはない。青年というには早いけど、少年と言うには年を取っている。


「こんにちは、ではない!」

「えー……こんばんは? もう寝る時間?」

 

 何だろう、これ。漫才?

 

「ひ、跪くようにと教えたであろう」

「えー……あー……そうだっけー?」

 

 ベルさまを見ると、笑いをこらえていた。

 

 ベルさまは悪意のない無作法には寛容だ。侮ったり、陥れたりする目的があっての無礼は容赦しないけど……。

 

「そのままで良いですよ。侍従長」

「し、しかし」

「淼が良いと言っているなら構わない」

 

 ベルさまは慌てふためく侍従長の様子を楽しんでいるようだ。同じ立場だった者としては、ちょっと複雑だ。

 

「名前はごん……くんで合ってるかな?」

「そうだよー。ごんで良いよ、淼さま」

 

 ごんは顔をヒラヒラと前で手を振った。侍従長の顔色が悪い。

 

「じゃあ、ごん。菳は仲位の苔だって聞いているんだけど、君のことを具体的に教えてくれる?」

 

 苔と一口に言っても色々ある。木の精霊です、と言われただけでは何の木か分からないのと一緒だ。

 

「えーっとぉ……元々は季位だったんだけど、ご飯をいっぱい食べてたら仲位ヴェルになってた」

「……すごいね」

 

 ご飯を食べているだけで昇格出来るなら、皆が真似しているだろう。

 

 いや、違う違う。本体について詳しく聞きたかったのに、完全に相手のペースに飲まれている。

 

「僭越ながら私から申し上げますと、このごん本門寺苔ホンモンジゴケにございます」

「ホンモン……?」

 

 本物ってことか?


「通称、銅苔どうごけ。銅を喰らう苔でございます」


 銅を喰らう……。腐食のような気もするけど……。イメージが出来ない。

 

「私も文献では知っていたが、実際に会うのは初めてだな。この子ではないだろうけど、かつて銅苔は溶け出した銅で汚染された土壌を救ったことがあるそうだな」

「仰る通りでございます!」

 

 侍従長が急に生き生きし始めた。目がキラキラしている。淡い黄色の目だ。そういえばこの侍従長は何の精霊なのだろう。

 

「一部の地域では英雄扱いされているようだけど、長らく出現は確認されていなかったはすだ」

 

 ベルさまが感心したように呟いた。

 

「はっ。生年は定かではありませんが、高位になってから数十年は経っております。この銅苔ならば、土を抑えることも助けることも可能です。必ずや淼さまのお役に立てると思い、連れて参った所存です」

 

 ごんは船を漕いでいた。しかも立ったまま。どこでも寝られる体質なのか。


「……本当に水太子の役に立つと思っての推薦だな?」

「無論です。木精の危機を救ってくださった淼さまに、ご恩返しが出来ると信じております」

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