248話 季位の兔たち

「痛ででででで!」

「本当にっ! いったいわね!」

 

 焱さんと垚さんに大量のうさぎが襲いかかった。主に飛び蹴りだ。一羽一羽は小さな力でも多数のうさぎに攻撃されては、多少でもダメージがある。

 

 潟さんが僕の隣で大剣を大きく振りかぶった。この位置から攻撃するつもりらしい。でも……。 

 

「ダメだ、潟さん」

「雫さま?」

 

 うさぎの群れから、まぬがのような理力は感じない。引き込まれるような不純で魅力的な理力は一切ない。あるのはただ弱くて消えそうな木と土の理力だ。


「焱さん、垚さん! 攻撃しちゃダメだ!」


 屋根の上から二人に向かって叫ぶ。高みの見物をしているみたいで心苦しい。


「分かってるわ、よ!」

「あぁ、こいつら、ただの季位ディルだ!」  

 

 焱さんも垚さんも致命的な怪我はないけど、地味に傷が増えている。

 

 季位がいくら集まっても、戦闘なら二人の相手にはならない。でも戦わずに……となると難しい。迂闊に手を出せば、たちまち消えてしまいそうだ。季位ディルの精霊がこんなに儚い存在だったとは思わなかった。

 

 決して見下しているわけではない。僕も季位だったから。

 

 あの当時、ベルさまや焱さんが、僕に接するときには理力を抑えてくれていた。それは知っている。けどこうやって多数の季位ディルを目の前にすると、如何に自分に気を使ってくれていたか。改めて感じ入ってしまう。

 

「くっ、『不越高壁ふえつこうへき』!」

 

 垚さんが高い土壁を編み出した。一部分のうさぎが四方を壁で囲まれる。でも囲われたのはごく一部の兔だけだ。あまり効果を感じられない。

 

「だめね。地下に何か埋まってるわ。あいつ、ふざけた真似をしてくれたわ!」

「無駄口叩いてねぇで、っ何とかしろ!」

 

 焱さんが威嚇の炎を上げる。見た目は大きな炎だけど、温度は低くて持続時間は短い。うさぎたちは火が怖いのか、一瞬、火から離れる。でも火が消えれば効果はない。

 

 垚さんは垚さんで、思うような威力を発揮できなかったらしい。免の物質が埋まっていて、垚さんの理術を邪魔しているようだ。

 

「潟さん、さっき混凝土コンクリート? とかいう物質が埋まってるみたいだ。潟さんの塩水でなんとかならないかな?」


 潟さんは立てた片膝に手を乗せて、屋根から身を乗り出していた。僕が問うと、少し身を引いて真剣に考え出した。

 

 先程までの免との戦闘で、塩に弱いことが分かっている。実際、免もそう言っていた。地下の混凝土コンクリートを崩してしまえば、垚さんの理術で兔が防げるようになるかもしれない。 

  

「どれ程の深さか分かりかねます。水攻めにすればあるいは……しかし太子はともかく、兔は溺れてしまいますが」

 

 潟さんは出したままだった大剣をしまいながら、恐ろしいことを言った。いくらなんでも荒すぎる。

 

「そんなことしたら駄目だ。兔は泳げないよ」

「しかし免の体から出てきたのなら奴の配下なのでは?」

 

 免の配下だったらまだ良かった。たちの悪いことに普通の木精と土精だ。敵意も殺意も感じない。ただただパニックを起こしているだけかもしれない。

 

「多分、違うと思う。焱さん、垚さん! こっちへ!」

 

 僕たちのいる屋根に上がれば、ここまで兔は届かない。二人を乗せて引き上げようと雲を作り始めた。

  

「いやぁ、やっと、追い付きました。皆様、足がお速い」

 

 等さんの呑気な声が聞こえてきた。呑気と言いつつも息は切れている。兔を踏まないように、変な歩き方をしている。

 

 等さんの存在をちょっと忘れていた。額に汗をかいている。急いで僕たちのことを追ってきたに違いない。

 

「おやおや、痛たたたっ。可愛らしい精霊がこんなに……痛いたたっ! 可愛いですな」

 

 突然現れた等さんにも兔たちは容赦なく蹴りかかる。等さんの口からは可愛いという言葉と、痛いという言葉が交互に出てくる。本当に可愛いと思っているのか怪しい。

 

 等さんは自分を蹴飛ばそうとした兔を一羽捕まえた。足の裏が自分の腕に乗るように安定的に抱えている。

 

「よしよし。こんなに荒ぶって……お腹が空いているのですかね」

 

 それは違うんじゃないか、という心の声は届かなかった。

 

 等さんがそう言ったと時には、すでに兔の口元にスッと笹の葉を差し出していた。兔の顔をすっぽり包めそうな大判の笹だ。

 

 僕の予想を覆して、うさぎは素直に笹の葉を食べ始めた。潟さんと顔を見合わせる。

 

「本当に空腹だっただけなのかな?」

「さぁ、そうなのでしょうか」


 作りかけの雲が僕の周りを漂っている。天気が良いので、意識していないとすぐに散ってしまう。

 

 等さんが抱えていた兔を下ろすと、食べかけの笹は取り合いになっていた。

 

「では少々失礼して……」

 

 等さんがパンッ……パンッ……と手を叩く。ひとつ叩く毎に笹群生が一ヶ所生まれる。しかしそれも束の間。そこに兔が集まってあっという間に食いつくされた。

 

 また一ヶ所、また一ヶ所と少しずつ場所を変えて笹が生えていく。その都度、兔が群がって緑が埋め尽くされる。

 

 何度かそれを繰り返している内に、地面を覆う灰色が半分くらいになった。残りの半分は笹の緑だ。兔の食べるスピードが落ちたのか、目にも鮮やかな緑色が目立つようになってきた。

 

「おー、よしよし。良い仔だ良い仔だ」

 

 等さんが屈んで兔を撫で始めた。食事中の兔たちはそれを気にもしていない。

 

 空いたスペースを見つけて潟さんと一緒に飛び降りた。

 

 引っ掻き傷だらけの太子二人が呆れたように兔を眺めている。その中に中年の男性がひとり、兔を愛でている。何とも異様な光景だ。


「等さん……」

 

 誰も声を掛けないので、僕が等さんに近づいた。付いてこようとする潟さんをその場に留めて、兔を避けながら等さんに歩み寄る。

 

 僕の姿をとらえた等さんは笑顔でゆっくり立ち上がった。

 

「おぉ、坊っちゃん。失礼。つい夢中になってしまいました」

 

 夢中になって……と言うほどではない。周りはしっかり見えているようだったし、我を忘れていたようには思えない。

 

「あの……」

「はい、何でございましょう」

 

 何故、王館にいるんだ、とか。

 何故、免を知っているんだ、とか。

 

 聞きたいことが色々ある。初めて王館の外へ出たときから、暮さんの事件のときまで何かとお世話になっている。

 

「う、うさぎ好きなんですか?」

 

 色々考えてやっと聞けたのはそれだけだった。そうじゃねぇだろ、という焱さんの声が後ろから聞こえた。

 

うさぎに限らず小動物は好きですね。兄にも好んで細工に織り込んでおりますよ」

 

 そういえば竹伯の作品には、蛙や小鳥が彫り込まれていることがある。でも竹伯には申し訳ないけど、今はそれに興味を持てなかった。


「この仔たちは季位ディルですな。半分は木精のようですので、この後、木の王館へ連れていきましょう。出自を調べた方が良いですしょうからな。土精の方は、恐れ入りますが垚さまにお願いしても宜しいでしょうか?」

 

 僕と向き合っていたのに、垚さんに話を振った。ちょうど垚さんは高い土壁を崩して、捕らえたうさぎを解放しているところだった。

 

「ええ、分かったわ。そっちは任せるけど……笹の精霊が何でここにいるのよ?」

 

 振り向くと垚さんの隣で、焱さんが激しく頷いていた。

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