225話 塩の効果
「
吹雪が視界を覆う。白い塊が塩なのか雪なのか判別できない。潟さんと添さんは水の箱の中だから、巻き込まれないはずだ。
雲を呼ぼうとしたけど、勢いに任せて直接吹雪に乗った。吹雪は僕を乗せて塩湖の中央へ向かう。
中央で膨らんだ塩湖の木は、たくさんの塩を実らせている。そこを目指してブリザードを下ろした。
バキバキと音を立てながら次々と枝が折れていく。幹の部分もブリザードに水を剥ぎ取られて少しずつ細くなっていった。
直に手をかけた。この細さなら手で倒せるだろう。
「ーーっ!」
耳の奥で悲鳴が聞こえた。まるで耳鳴りのようにキーンとしている。不思議なことに、悲鳴の中にはいくらかの歓喜も混ざっていた。
長くも短くも感じる悲鳴が終わる。けれどまだ鳴っているような違和感がある。耳の近くをグリグリと刺激してやり過ごした。
僕の耳が落ち着いた頃、水の大木が倒れていった。僕は力を加えていない。まるで自らの意思で倒れていったような……そんな手応えだった。
意外とあっさりしたものだった。
中央で固まっていた水が塩湖全体に広がっていく。徐々に塩湖が元の姿へ戻っていった。
吹雪を止めて変わりに雲に乗った。塩湖のスレスレまで降下して、飛びながら水面に触れる。
特に変わったことはない。ただ塩気は弱い。これは陸に塩が打ち上げられてしまったせいだろう。
適度な場所まで近づいて
「
僕が駆け寄ると潟さんが顔を上げた。水の箱を解除して潟さんの肩に触れる。
「私は大丈夫です。少々目眩がしますが、大事ございません」
潟さんの瞳がピクピクと左右へ揺れている。これは酷くなると吐き気を催しそうだ。
「
「へ、平気! 寄らないで!」
添さんは腕を押さえている。
「添、怪我をしたのですか?」
「してない! ちょっとぶつけただけよ」
この状況でどこにぶつけるというのか。夫婦の会話とは思えないほど、白々しい。
「ちょっとごめん」
「は、放して! 放しなさいよ!」
小さい手を引っ張る。肘から手首に掛けて皮膚がめくれていた。滴るほどの出血はないけど、血が滲んでいる。これは痛そうだ。
添さんは僕の手を振りほどこうとジタバタしている。
「潟さん。悪いけど添さんのこと、押さえてて」
配偶者の手を借りて大人しくさせる。その間に真水で傷口を手早く洗い流す。
「っ!」
添さんが息を飲んだ。
傷口の洗浄が終わって、腰にぶら下げた小袋を取り外す。袋の中には薬が入っている。桀さんから貰ったものだ。出掛けるときは必ず持って歩いている。
その中から外傷用の塗り薬を取り出した。木精お手製の軟膏を傷口に乗せていく。塗り込むのではなく、置くようにそっと傷口を覆った。
僕が手当てをしている間、何度も添さんの視線を感じた。一度、目を合わせてみたら思い切り逸らされてしまった。
照れているのか、本当に嫌なのかは判断できなかった。理力の質や感情を読み取ることは割りと得意な方だ。だけど、それは関わりの強い精霊や、良くも悪くも強い感情を持った精霊の場合だ。
添さんは最初こそ、強い怒りや悲しみを感じた。だけど、今は何も読み取れない。
その後は視線に気づかない振りをして作業を進めた。薬と一緒に入れておいた清潔な布で、傷口を軽く覆う。
「さ、終わったよ。
ここで初めて、自分の潟さんへの話し方が変わっていることに気づいた。いつから敬語ではなくなったのか、自分でもハッキリとは分からない。
まぁ、良いか。この方が話しやすいし。
「雫さま。私に怪我はありません。添を手当てをしていただきありがとうございます」
潟さんは顔の前で手を横に振っている。でも顔色が悪い。無意識なのか、時々目を押さえている。
「潟さん、目はどうですか? 酷くなってますか?」
「…………」
潟さんは答えない。それが答えだ。
外傷はないかもしれないけど、悪化しているに違いない。本人でなければ分からないけど、例えば痛みがあるとか、光が感じられないとか。
これだけ塩が使われて、目の状態が悪化しているということは、そもそも目が見えなくなった原因も塩のはずだ。
ベルさまが何故、塩を持って行くように言ってくれたのかようやく分かった。
ちょうどそこへ
今度は逃げても誰も文句は言わなかったと思う。でも戻ってきてくれて良かった。手が欲しいところだった。
「馮さんたち、ちょうど良かった。散らばってる塩を全部集めてきて」
馬群が足元の塩を避けながら走っている。只でさえ走りにくいのに、馮さんが急停止したので馬群の後ろの方が詰まっていた。
馮さんが瞬時に馬から人型に戻った。もしかすると馬の姿のままだと話せないのかもしれない。
「雫の兄貴! こ、この塩、全部でやすか?」
馮さんがあたふたしている。それもそうだ。塩湖の畔は打ち込まれた塩の塊で真っ白になっている。
花壇に降った
「そうだよ。出来るよね? 潟さんのためだからね」
ぐっと言葉に詰まる馮さん。
僕に悪戯を仕掛けようとしたのを忘れてはいない。ちょっと仕返しだ。
「早くしてね」
「塩湖に戻しちゃって良いからね」
馮さん達は半泣きで塩を集め始めた。仲間の
「雫さま。ありがとうございます。戻す手間が省けました」
潟さんは何故か僕にお礼を言った。
「それは後で馮さん達に言ってあげて。それより潟さん、お見舞いを持って来たから受け取って」
潟さんが答える前に、二人に背を向ける。塩湖に向けて腕をピンと伸ばした。僕の理力に収納した大墫を指の先に呼び出した。
すると瞬く間に、目の前が大墫に阻まれた。壁の前に立たされた気分だ。塩湖が全く見えなくなってしまった。
「塩を大墫二つ分、土理王さまに用意してもらったんだ。塩湖に入れてくれる?」
潟さんの腕を引っ張ってきて、大墫に触れさせた。潟さんは墫を撫でながら、感嘆のため息をついた。
「土理皇上が何故……?」
「御上が頼んでくれたんだよ。潟さんの手紙を見て、お見舞いに塩を持っていくと良いって」
本当ならこんなに大量の予定ではなかった。でも、その話は長くなるので割愛だ。
「そうですか、御上が。……流石です。添に代筆させたせいかも知れませんが、私の状態に気づいていたのですね」
あの几帳面そうな字は添さんの手によるものだったのか。チラッと添さんを盗み見ると、向こうもこっちを見ていた。
「何よ。何か文句あるの?」
「…………ないです」
うっかり敬語だ。
「雫さま。この塩、ありがたく使わせていただきます」
潟さんが塩湖を手招きする。遠くの方から静かに波が立ってきた。近づくにつれて波は高くなり、僕たちの目の前で大墫を飲み込んだ。
大墫は簡単には動かない。それでも何度か波を受けている内に塩湖に引きずり込まれていった。
「墫は後でお返し致しますので、ご心配なく」
あ、そうか。入れ物は返さないといけないのか。
「目はどうです?」
潟さんの目を覗き込んだ。でも潟さんはニコニコしているだけで、何の反応もない。その様子を見ると、まだ効いてはいなさそうだ。
「そんなに早く効くわけないじゃない! バッカじゃないの!?」
久しぶりに添さんがしゃべった。思ったよりも元気そうだ。
「添の姉御ぉ。回復したんなら手伝って欲しいっすー」
「はぁ? 私は怪我してるのよ! 見て分からないの? あんた達、大して働いてないんだから、サッサと水太子の言うこと聞きなさい!」
ん?
添さんの態度が軟化した?
一方、
「酷いっすよ、姉御! 昨日まで『水太子が来たら邪魔してこい』って言ってやしたよね!? 俺たち昨日から流砂川作ったり、落とし穴掘ったりしてたんすよ!」
「あーあー、聞こえませーん!」
何これ漫才?
二人のやり取りが何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。
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