182話 泥と汢

「まさか覚えていただいていたとは……」

「感激です! 私たちは雫さまが初めて王館を出られるときに門番をしておりました」


 感極まった様子で僕を見上げる二人にどう対処していいか分からない。そんな尊敬のまなざしで見られても……。


「俺と出かけた時だな。こいつらは混合精だから仲位でも生きづらくてな。色々あって今まで土の王館に預けてたってわけだ。良かったな二人とも。やっと水の王館で働けるぞ」


 元気よく返事をする二人を見ていると、徐々に記憶が蘇ってきた。確かに以前門の所に立っていた二人だ。土精のような見た目なのは混合精だからか。


「じゃ、雫も無事帰って来たし、俺は帰るからな。水理皇上、失礼します」

「あぁ」


 焱さんは大きな炎を上げて、姿を消してしまった。何か用だったんじゃないのかな。


「二人とも立つと良い。雫にお茶を入れてやって。可能なら私も欲しい」

「「はいっ!」」


 二人は意気揚々と奥へ入っていった。立ち上がったら結構小柄だった。僕の背が伸びたからそう見えるだけかもしれないけど。


「お茶なら僕が」

「彼女たちの仕事を取るんじゃない」


 一緒に奥へ入ろうとしたら、ベルさまに腕を引かれた。大人しく向かい合ってソファに腰掛ける。


 っていうか泥さんと汢さんは女性だったのか。男装しているから深く考えなかったけど、確かに男性にしては小さいかもしれない。


「雫さま!」

「は、はいッ!」


 泥さんだか、汢さんだか分からないけど、どっちかが満面の笑みで駆け寄ってきた。手には缶が握られている。


「このお茶はお好きですか?」

「あ。は、はい好きです」


 そう答えるとまたすぐに奥へ入っていく。楽しそうな話声がかすかに聞こえてきた。


「焱は心配してた。儀が終わるまでここで待つって聞かなくてね。雫が落ち込んで帰ってくるようなら、彼はきっと報復に行ったよ」


 焱さん、やっぱりずっと待っててくれたんだ。でも報復ってそれは流石に物騒だ。王太子の言葉とは思えない。


「それは……」

「雫さま!」

「はっはい!」


 また泥さんか汢さんがやってきた。今度はさっきと違う方だ。だんだん見分けがつくようになってきた。でも名前がどっちだか分からない。


「この果実はお好きですか?」

「はい、好きですけど」


 手に取った柑橘を持ち上げて僕に見せてくる。爽やかな良い香りが鼻をくすぐった。僕の返事を聞いて、またすぐ下がってしまった。何だかとても楽しそうだ。


「まるでここへ来たばかりの雫を見ているようだね」


 ベルさまもどこか楽しそうだ。目を細めて孫でも見るような顔をしている。


「あんな風にいつも私に好き嫌いを聞いてばかりだった」


 少しでも快適に過ごせるように主の好みを知っておきたかったのだ。ベルさまは仕事中でも手を止めて嫌な顔せずに答えてくれた。聞かれるほうの立場になるとは思わなかったけど、だからこそ二人の気持ちは分かる。


「あの子たちは私が王太子時代に拾って来たんだ」


 ベルさまの顔つきが変わった。さっきまでの穏やかな雰囲気が一変して、深いため息をついている。


「視察に行った湿地帯に捨てられていたんだよ」

「え、まさか」


 捨て子ってこと?


「当時は流没闘争前で、まだ水精もそんなに荒れてはいなかった。でも彼女たちは混合精だったから生まれてすぐに捨てられたんだろう。保護したのはそれぞれ別の場所だけどね」


 あぁ、だから出身地が違うのか。水精と土精の混合精なら湿地や湿原で生まれるのは納得できる。


「容姿や声、仕草……どれをとっても姉妹であるとは思うけど、それを裏付けるものがないからね。お互い通じるものはあるだろうけどあくまでも彼女たちは他人だ」

「理力の性質で分かることはないんですか?」


 僕だったら母上の理力を調べれば息子であるとすぐ分かるはずだ。


「難しいね。親子でも兄弟でもあくまでも似ているのであって、同じではないから。両親の理力と子の理力を分析すれば分かるだろうけど、混合精でうまくいくかどうかは分からないよ」


 親子関係が分かっているから、すぐ分かるようなものだとベルさまは言う。僕が思っているより理力は複雑らしい。


「彼女たちを引き取ってから流没闘争が起こって、その後私が即位した。私はその時王館に勤めていた精霊を全員解雇した。ただ彼女たちは元の場所へ戻すとまた迫害を受ける恐れがあったからね。土理に頼んで預かってもらってたんだ」


 焱さんもさっきそう言っていた。土の王館では辛い思いをしなかったんだろうか。混合精っていうだけでなぜこんんなに迫害を受けるのか僕には理解できない。


「人並みの仕事を出来ることが嬉しいんだと思うよ」


 そう思ったとき、奥でガシャーンという派手な音が聞こえた。思わず腰を上げたところでまたベルさまに止められる。


「雫はもう少し誰かに仕えられるということを学んだ方が良いね」


 当分、慣れないだろうな。

 

 お茶と果物を持って二人が戻ってきた。並べ終えると当然のように僕の後ろへ回り込んだ。


「雫と話があるので二人とも下がれ」

 

 それも本当は僕が言うべきなんだろうな。二人は軽く膝を折って続き間へ入っていった。

 

「漣どののことだけど」


 ベルさまが話を切り出してからお茶に口を付けた。すぐに眉が寄る。

 

「雫のお茶の方が美味しいね。私が不満を言うのはおかしいけど」

 

 ベルさまは茶器を置いてしまった。二口目を飲む気はないらしい。

 

「漣先生は……体調が良くないんでしょうか」

 

 それか忙しいのかもしれない。潟さんから何の連絡も来ていないみたいだし、僕の儀どころではないのかもしれない。

 

「いや、漣どのは雫の立太子を心待ちにしてた。もしかすると私以上に。そもそも元理王が指南役になることがどう言うことか、今の滴なら分かるだろう?」

 

 ベルさまは背中をドサッと背もたれに預けた。

 

 引退した理王は王太子の教育を担う。先代理王がいないから先々代理王の出番だったんだろう。

 

 僕に先生を引き合わせたときから、ベルさまは僕を王太子にするつもりだったんだ。

 

「漣どのは私がいつまでも太子を置かないから、時代が私で終わってしまうと心配していた。その漣どのが雫の儀をすっぽかすとは思えない」

 

 祖父に溺愛される孫みたいな気分になってきた。くすぐったさを誤魔化すためにお茶を一口啜る。

 

 ベルさまがお茶に不満そうな理由がすぐ分かった。蒸らし時間が足りていない。それに温度が低すぎて香りが感じにくい。

 

 早く出したいという気持ちと火傷しないようにという配慮が裏目に出ている。

 

 あとで教えておかないと……。

 

「おや、指導者の顔つきになったね。成長が早くて何よりだ。それこそ漣どのに見せたいね」

「ベルさま、からかわないでください」

 

 恥ずかしくなってきた。両頬に手を当てて顔を引き締める。

 

「まぁ、漣どのには登城要請を出しておくよ。潟も一緒に。それで来なかったら何かあったと思うしかない。視察が必要だね」

「分かりました。後で日程を確認しておきますね」

 

 最近は謁見続きだったけど、立太子の儀が終わったから少し落ち着くはずだ。先生に登城要請をして返事の有無までの期間を考えれば、七日から十日くらい後に予定を空けておけば良いだろう。


 日程表を思い出しながらそう告げると、ベルさまは怪訝な顔をしていた。

 

「雫が行くんだよ?」


 ……………………そうでした。

 

「すみません、自覚がなくて」

 

 視察は王太子の仕事。謁見は理王の仕事だ。今までひとりでこなしていたベルさまが凄い。

 

「でも初めての視察は華龍河だ。名目は美蛇江跡地の調査だよ」

 

 わざわざ名目って言ってくれるあたりがベルさまらしい。ついでに母上に立太子の報告をして来いってことだろう。

 

「分かりました。明日向かいます」

「必ず当日中に帰館すること」

 

 釘を刺された。

 

 母上が僕を引き留める姿が目に浮かぶようだった。

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