172話 理王と侍従長

 桀さんは号泣しながら僕たちを床に下ろしてくれた。そんなに泣いたら枯れてしまうんじゃないだろうか。

 

「桀さんが助けてくれたんですか?」

「ぶぁい」

 

 桀さんは大木を根こそぎ引き抜いたらしい。木の皮が肩にたくさん付いている。腕が回りきらない太い幹を担いでいたようだ。


「あらぁ、あたくしのことも忘れちゃやーよ」

「あ、ぎょうさま」

 

 黒髪をサラッと払いながら垚さまが僕の肩に手を置いた。垚さまのドヤ顔に今は何故かほっとさせられる。

 

「今、ちょっと失礼なこと思ったでしょ」

「い、いえ! 思ってません!」

 

 そう言いつつも顔がにやけてしまう。回りの壁は見慣れた黒い壁ではない。辺り一面木の王館特有の緑色だ。

 

 ……っていうか桀さん、室内でどうやって木を抜いたんだろう。

 

「まぁ、いいわよ。囮捜査ご苦労さま。おかえりなさい、雫ちゃん」

 

 おかえりなさいという言葉がとても嬉しい。ジーンと染みた。ただ、その言葉を垚さまから言われるとは思わなかった。

 

 視線を室内に泳がせる。薄暗い室内には垚さまと桀さんしかいなかった。窓には布がかかっていて蝋燭が点いている。多分夜なんだろう。

 

「囮?」 

 

 桀さんと垚さま。二人の王太子に出迎えられるなんて、ある意味盛大なお出迎えだ。

 

「そ、囮。御上たちが理王会議で決めたのよ」

 

 理解が追い付かない僕に垚さまが説明してくれる。その間に桀さんは木をゆっくり下ろしていた。

 

「そこの暮はそもそも怪しかったでしょ。野放しには出来ないから連れてきたけど、暮の理力を調べたら、どうも免の気配があったらしいのよね」

 

 そんなに早く免との繋がりに気づいていたんだ。どうして教えてくれなかったんだろう。

 

「で、雫ちゃんを騙るってことは雫ちゃんが狙いってことじゃない? あと免って奴、雫ちゃんのこと狙ってるらしいじゃなぁい? ここはもう雫ちゃんに頑張って貰おうってことになったらしいわよ」

 

 垚さまはいつもよりかなり早口だ。全部分かって、僕を囮にしたってことを気まずく思っているんだろうか。

 

「それは……つまり、理王会議で決まったってことは、淼さまの意思でもありますよね?」

 

 垚さまが目の面積を大きくした。すぐに細めて品のない笑みを口元に浮かべている。

 

「まぁ、そうなるわね」

「じゃあ…………良かった」

 

 少しは役に立てたのかな。少しほっとしていると、垚さまが盛大なため息をついた。

 

「基準は淼なのね」 

「あ、でも免を逃がしてしまいました」

 

 僕の言葉が垚さまが独り言に被ってしまった。

 

 淼さまから王館から出ないよう言われていた。それを破ってまで行ったのに、結局何の役にも立っていない。

 

「いや、大丈夫よ。雫ちゃんには免と戦ったという事実が必要だっただけ。むしろその方が良いわ」

「え? 良いんですか?」

 

 ドンッと大きな音がした。垚さまも僕も同時に顔を向けると、桀さんが暮さんを根から外し終えたところだった。

 

 もう少しそっと扱わないと暮さんが割れてしまう。

 

 垚さまは髪を頬から剥がしている。振り向いた勢いで顔にくっついたらしい。

 

「捕縛にせよ、成敗にせよ、それはあたくしたちの仕事よ」


 まぁ、確かに侍従の出る幕ではない。僕は淼さまの身の回りのお世話が出来れば十分だ。

 

「雫ちゃんの活躍は御上たちも知ってるわよ。無事に帰ってきたことは分かってるわ」

 

 そこまで言われて少し冷静になった。

 

 淼さまに筒抜けなのはまずい。王館に留まるようにという言いつけを守らなかったのだ。怒られるのを覚悟……最悪、クビも覚悟しなければならない。

 

「り、理王会議って終わったんじゃないんですか?」


 現実から逃げるように垚さまに尋ねる。理王会議はとっくに終わっていると言ったのは垚さまだ。それなのに淼さまだけ戻ってこなかったのだ。

 

 何故淼さまがいないんだと聞いてきたのは他ならぬ垚さまだ。それで、不安になっていたところへ暮さんが来て……。 


「垚さま……。もしかして僕のこと騙しました?」

 

 垚さまはあの時、淼さまを誘い出そうとしていた。僕に抱きついたり、頬をつねったりしたのだ。

 

 もしかして、わざと僕のことをからかったんだろうか。淼さまが会議中で来られないのを分かっていて。

 

「違うわ! 人聞きが悪いわよ!」

「え、違うんですか?」

 

 思わず大きな声が出てしまった。真夜中だから静かに、と桀さんから注意された。

 

 木精はほとんど寝ているらしい。そう言う桀さんも、ドスンドスンと結構大きい音を立てている。

 

「理王会議は確かに終わっていたのよ。でも暮と雫ちゃんの件で今朝から再開されたわ。その間、淼がどこへ行ってたかは知らないわ!」

 

 謁見か視察か。僕の知る限りではどちらも予定は入っていなかった。王館に留まっているみたいだとは聞いていたけど……。

 

「じゃあ、今はもうお戻りになってますか?」

 

 それは本人に聞けば良い。今もまだ戻っていないとしたら、王館内、全部探しても良い。早く会って謝らないと。

 

「えぇ、多分ね。会議が終わってれば……ちょっと雫ちゃん、まだ話があるんだけど!」

 

 垚さまの話の途中で駆け出してしまった。失礼な行為だとは分かっている。でももう止まる気はない。

 

「すみません、後で聞きます!」

 

 部屋から出ると真っ暗で、夜だということを実感する。廊下に灯された明かりがなければ、迷子になっていただろう。

 

 昼と夜とでは見え方にかなりの差がある。何度も訪れている木の王館だけど、鬱蒼とした中庭は方向感覚を狂わせた。

 

 月を便りに水の王館を目指す。新月だったら朝まで庭で過ごしていたかもしれない。

 

 水の王館に入ると、暗くても感覚でどこだか分かるようになる。自室の前を通りすぎて階段を駆け上がる。

 

 廊下を走ってはいけないと思いつつ、足を止めることが出来ない。すぐに目的の扉を確認できた。ノックもしないで勢い良く、執務室の扉を開ける。

 

 

 目に入ってきたのは正面の窓だ。夜の闇を映し出している。少し風が出てきたみたいだ。もしかしたら雨が降ってくるかも知れない。そんな風だ。

 

 すきま風でも吹いているのか、室内の影が揺らめく。炎で明かりをとっているせいだ。

 

 ドアノブに手をかけたまま、部屋の左方にゆっくり顔を向けた。

 

「………………おかえり」

 

 いた!

 

 淼さまだ。久しぶりに見ることが出来たその姿に、なんとも言えない感情が湧き出てくる。

 

「淼さま……あの」

 

 扉を閉めて淼さまの執務机に足を向ける。おかえりと言ってもらえたことが嬉しい。

 

「私の記憶違いかな」

 

 いつもと様子が違う淼さまの様子に足が止まる。机の上には蝋燭が置かれ、淼さまの手元を照らしている。

 

 下を向いた淼さまの顔は、はっきりとは見えない。ただ笑顔でないことは確実だろう。部屋の中が急激に冷えてきた。

 

「『外に出るな』と言わなかった?」

「あ、ごっ、ごめんなさい!」

 

 しまった!

 真っ先に謝るべきだった。さっきまでそう思っていたのに、いざ顔を見たら安心感の方が強くなってしまった。

 

「申し訳ありません。言いつけを破って……あの罰は受けます!」

 

 すぐに床に正座をした。執務机の目の前に座ったので、淼さまの姿が見えなくなってしまった。

 

 でも今はちょうど良いかもしれない。もし、淼さまが顔をあげたら、恐ろしくて直視できなかったと思う。

 

「罰? 何の罰? 私は『命令』はしていない。出ないように『言った』だけだからね」

 

 ふっと淼さまが笑う気配がした。


 隅に置かれた植木には霜が下り始めた。蝋燭は不自然に揺らいでいて危うさを孕んでいる。

 

「淼さま……あ、の、僕」

 

 淼さまは何も言わない。沈黙が辛い。ただ、いつもなら全然読めない淼さまの感情が、今日に限って勝手に流れ込んでくる。

 

 それは僕に対する怒りでも呆れでもない。悲しみと戸惑いと不安と……僅かな期待だ。

 

 負の感情の中にほんの少しの期待があることに希望を見い出してしまう。

 

「……の名で呼ぶな」

「え?」

 

 淼さまの声が小さくて聞こえない。咄嗟に聞き直してしまった。

 

「私をその名で呼ぶな!!」

 

 淼さまのこんな大きな声を聞いたのは久しぶりだ。僕を萎縮させるには十分だった。気づいたときには床に額を付けていた。

 

 どのくらいそうしていたのか分からない。ほんの一瞬だったかもしれないけど、とても長い時間のように感じた。

 

 ゴトッと不審な音がしても、頭を上げることは出来ない。

 

そう、戻ったのか」

 

 タイミングが良いのか悪いのか、漕さんが入ってきたらしい。

 

侍従長・・・、下がれ」

 

 名前を呼んでもらえなかったのは初めてだ。

 

「……シツレイ致シマス」

 

 言葉を口にするのもやっとだ。完全に顔をあげられないまま中腰で執務室を後にする。

 

 それからどうやって部屋に帰ったのかよく覚えていない。気づいたときには朝を迎えていた。

 

 鳥の声に誘われフラフラと窓に寄る。外はまだやや暗く、情けない自分の顔が映る。

 

 頬には筋がいくつか描かれていて、跡には雫が一粒付いていた。

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