133話 木理王の今
林さまは僕から七竈の
「……六、七。確かに」
林さまはそう言うと自分の腰ひもに笄を挿した。長いこと自分の腰にあったものを向かい合って見ているのは新鮮だ。ちょっと寂しくもある。
「お世話になりました」
「あぁ、立派にお役御免だな。わざわざ行くほどでもないが機会があれば火理皇上にも礼を伝えた方がいい。
そうだった。木理王さまから提供された七竈の枝に火理王さまがギリギリまで理力を込めて作ってくれたって淼さまが言っていた。出来ればお礼を伝えたい。後で焱さんに会えたら伝えてもらおう。
「あぁ麿としたことが。立ち話もなんだから入ってくれ」
「お、お邪魔します」
七竈の笄を渡したから帰ってもいいんだけど出来れば
「木理皇上のご容体はいかがですか」
「いやぁそれが……」
林さまが口ごもる。もしかして良くないのかな。木偶を倒したのに良くなっていないなんて。でも一回危篤に陥っているからもしかしたら……。
「まだ本調子ではないんだが、目を離すとすぐいなくなるので手を焼いていてな」
は?
「元気になったのは良いんだが政務にお戻りになろうとしない」
んん?
「昨日は寝室にいないと思ったらバルコニーで先々代水理王と札遊びをしていた」
先生!?
チラッと潟さんを見ると天井の方を向いていた。口元には乾いた笑みが浮かんでいる。先生は普段はとてもまじめだ。自分にも僕たちにも厳しい。だけど淼さまが言うにはサボり癖があるそうだ。
ここ最近の先生は僕たちがいてもいなくても淼さまのサポートをしているらしい。でもふらりといなくなることがあるそうだ。やるべきことをやってからいなくなるので、あまり文句も言えないと淼さまが漏らしていた。
そういえば、
ただ……十年前、引退していた先生が川に遊びに行ったおかげで母上と会い、淼さまに救援を頼めたそうだ。だから僕が今ここにいるのは先生のサボり症のおかげなのかもしれない。
「で、でも元気になって良かったですね」
少し疲れて見えた林さまに励ましになるかどうか分からない言葉をかけた。
「まぁそれが一番だ。だが、残念ながら元の状態には戻らないんだ」
「えっと、どういうことですか?」
部屋に着いてしまった。通されたのは前にも来たことがある部屋だった。採寸のために訪れた執務室だ。やっぱり机の上には書類がいっぱい乗っている。けど今日は前回の三倍くらいに増えている気がする。適当に座るように言われだけど椅子の上にも書類が散乱していて座る場所がない。
あまり勝手に動かすのも良くないだろうけど、二、三枚の紙切れを避ければ済むスペースを見つけた。体を詰めて潟さんにも座るよう促したら、当然のように僕の後ろに陣取った。
「やぁ待たせたね。どうぞ」
冷たそうな飲み物を出された。以前来た時は果実茶を出してもらったけど、今日は果実をそのまま絞ったみたいだ。爽やかな柑橘系の香りが鼻から頭へ抜けていく。
林さまが差し出したお盆を置くところがない。卓上の書類を濡らすのが怖いので速やかにグラスを手に取った。後ろの潟さんへひとつ回す。
「昨日実った物を絞ったんだ。最近御上は食欲も出てきて色々なものを召し上がる。供給が追い付かないよ」
そう言う林さまは少し嬉しそうだ。眼鏡を直す指が弾んでいるように見えた。
「そんなに元気になったのに回復しないんですか?」
先ほど途中で切れてしまった話を戻してみる。林さまは僕たちを同じものを一口だけ含んで床に置いてしまった。
「理力は回復した。だが長いこと蝕まれていたお体は前の状態には戻らない。これ以上悪くならないというだけだ」
そうなんだ。せっかく
「そんな顔をしないでくれ。勿論お若いころのようにはいかないが、起きられる時間が増えた。仕事をサボろうという気力も出ている。麿も御上も感謝している」
仕事をサボる気力って何だ。矛盾しているような気がする。
「それにしても参った。まさか
莬もそう言っていたけど今となっては彼の言葉は信じられない。けど林さまがそう言うなら間違いないだろう。
「そういえばいつから喰われていたか分かったのですか?」
潟さんが口を挟んだ。少し振り返ってみると飲み物のグラスが空になっていた。置くところもないからそのまま持っててもらおう。
「あぁ。君たちが持ち帰った木偶の一部を調べたところ、時期的に『木理王の病』が始まったあたりと一致する」
『木理王の病』は僕が直接木理王さまにお会いした時に教えてもらった。
――吾の病は木の理力の乱れにあってな。
――理力があれば循環させられる。でもな、巡らせるべき理力が減る一方ではな。どうしようもない。
――理のバランスを崩すわけにはいかないだろう? だから吾の持つ理力を世に回した。
減っている木の理力を補うために木理王さまは自分の理力を世の中に回していた。
「
林さまも同じ気持ちだったらしい。それ以上は想像の話だ。莬がいないので問いただすことも出来ない。
「何にせよ。
林さまは床からグラスを取って顔の前で少しだけ持ち上げた。
「僕じゃなくて……最初に木偶の様子がおかしいって言ったのは
「桀さん?」
林さまは誰ソレとでも言いたげな顔をしている。てっきり知っていると思っていたのでちょっと意外だった。
改めて花茨城で活躍した斧折樺の武勇伝を林さまに語る。木偶が木理王さまのことを敬称なしで呼んでいたこと。それに気づいたのは桀さんだ。それから襲ってくる木精を槌で次から次へとなぎ倒し……ちょっと盛ったのは内緒だ。潟さんにはバレているけど仕方ない。
「花茨にひとり残されている
「あ、ご存知でしたか」
熱弁してしまった自分が恥ずかしい。潟さんがクスクス笑っている。
「いや、詳しくはまだ聞いていないんだ。なにしろ木偶の処理はあるし、御上は動き回って気が気でない。色々と雑務が多くて」
「ハハハ……」
愛想笑いしか出てこなかった。林さまは凝った肩を解すように回し、片手を首の後ろに当てた。忙しいのにこれ以上お邪魔するわけにはいかない。
「一度視察に行くか。本当に
「あ」
思わず声を出してしまった。林さまは首に手を当てたまま驚いたように僕を見た。そんなに大きい声じゃなかったと思うんだけど。
「どうした?」
「あ、桀さんはどうなるんですか?」
木精のことに僕が口を挟んではいけないけど尋ねるくらいなら平気だろう。思い切って聞いてみた。
「
「そう、ですか。……残念です」
淼さまもそう言っていた。ひとりぼっちになってしまったのも悲しいけど、思い出がいっぱい詰まった城を出されるのはもっと辛そうだ。
「雫は何が最善だと思うんだ?」
「え?」
林さまが空になったグラスを少しだけ乱暴に机に置いた。結露で書類が濡れていく。
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