115話 理王の子

かけるどのは立派になられました」

 

 かけるというのは木の太子 林さまの真名だそうだ。木の王館からの帰り道、潟さんは割と機嫌良く昔のことを語ってくれた。

 

 緑の木々に囲まれた庭の道を、僕の斜め後ろに控えるように歩いている。まさに護衛なんだけど落ち着かない。

 

「ただ目が悪くなったようですね。理力分けの影響でしょうか」 

 

 林さまは昔、眼鏡をかけていなかったそうだ。思い返せば、木理王さまが危篤の時、林さまが眼鏡をしていた記憶がない。木理王さまに理力を分けたのはその後だ。削ったのは王太子の名前だけじゃなくて視力もだったようだ。


「木理王は代々病に侵されます。父の代だけで二人の木理王が譲位しました」 

  

 せきさんとしては教えてくれるつもりなんだろう。けど僕は無知を指摘されているみたいでチクチクする。

 

「そうなんですね」 

 

 その都度、相づちを返しているけど自然に返せているだろうか。潟さんは続けて喋っているけど、僕の耳にはあまり届いていなかった。正直、今はひとりになりたかった。

 

 正式な侍従になった途端、淼さまの側にいられなくなった。代わりに潟さんがいつでも淼さまの執務室に控えている。

 

「それにしても『氷雨ひさめくしろ』が直るとは思いませんでした。あれだけ粉々だった物を修復するとは金理皇上は流石です」

 

 次から次へと語られる僕の知らないこと。

 

 別にせきさんが悪い訳じゃない。でも急に居場所をなくしてしまったように感じる。折角正式に淼さまの側でお役に立てると思ったのに……。下働きでも良いから淼さまの近くで役に立っていたかった。

 

 こんなことなら……昇格なんてしなければ良かった。

 

 そう思った瞬間、何かが背中をゾゾゾと這い上がっていった。鳥肌みたいだけど少し違う。蛞蝓なめくじがあり得ないスピードで這うような……そんな気持ち悪さがあった。

 

 すぐに気持ち悪さは落ち着いたけど背中に這われた感触が残っている。肘を曲げて肩を回し、背中の違和感を誤魔化した。

 

「雫さま……」

 

 せきさんがためらい気味に声をかけてきた。でも待っても待っても次の言葉が来ない。何だか変だ。水の王館に差し掛かったところで足を止めて振り向いてみた。

 

「どうしたんですか?」

「私が何かご不快なことを申したでしょうか?」

 

 潟さんは眉を下げてあからさまに困った顔をしていた。さっきまで饒舌に過去を語っていたのに、突然そんなことを言う意味が分からない。

 

「今、ルールに反することをお考えになりませんでしたか?」

「え?」

 

 僕がルールに反する?

 そんなことしていない。ちょっとだけムッとする。けど反論する前に潟さんが畳み掛けてきた。

 

「雫さま、もし私が何か気に障ることを申し上げたのでしたら謝罪いたします。どうかお考え直しを」

 

 せきさんは廊下に完全に片膝を付き、謝罪の体制に入ってしまった。ピンとした姿勢が徐々に低くなっていく様子に慌ててしまう。

 

「せ、せっ潟さん、どうしたんですか?」


 腕を引っ張って立たせようとする。でもビクともしない。それどころか逆に腕を強く掴まれて痛い。

 

「雫さまの不軌ふきを感じました。ルールへの反逆とまではいきませんが。不服なことがございましたか?」


 ドキッとする。と言うよりギクッかも知れない。 少し前まで考えていたのは『昇格なんてしなければ良かった』だ。これが理に反することになるとしたら。

 

 ……良く考えればそうかも知れない。僕の昇格を決めたのは淼さまだ。その決定に不満を持ってしまった。僕はもしかして理王に……淼さまに楯突こうとしたのか?

 

「……ごめんなさい」

「私への謝罪は不要です。が、お考え直し下さいましたか」

 

 考え直すも何も、自分が何故こんなことを思ってしまったのか。淼さまの考えに反感を抱こうとしたことにショックだ。 

 

 潟さんはホッとしたように見える。立ち上がって前髪を軽く払った。

 

「雫さまは……私の発言で不愉快な思いをなさったのでしょう? 私は雫さまの護衛として長く側に仕えたく思います。今後のために差し支えなければお聞かせ願えませんか?」

 

 潟さんが目線を下げてくる。顔は真剣そのものだ。その表情を見ているだけで、申し訳なくなってくる。

 

せきさんのせいじゃありません」


 深呼吸をして自分を落ち着かせる。潟さんは中に入りましょうと言って、水の王館の奥を指し示した。 

 

 階段を上れば僕の部屋だ。今、執務室に行っても淼さまはいない。思いきって僕の部屋へ潟さんを招いた。

 

 移ったばかりの部屋だから誰かを招いたことなんかない。ひとまず部屋の真ん中のテーブルに着いてもらった。

 

「僕が悪いんです。僕が『昇格なんかしなければ』って思ってしまったんです。僕は淼さまに助けてもらったから恩返しがしたいんです。淼さまの側で役に立ちたくて……だから淼さまの側にいられる潟さんが羨ましくて、つい」  

 

 自分でもなんでこんなにペラペラ喋っているのか分からない。淼さまへ反感を抱いたことへの罪悪感かもしれない。

 

 潟さんは時々相づちをいれながらもほとんど黙って耳を傾けていた。僕は一方的にそこまで話すと潟さんにお茶を出すために一旦席を外した。

 

 慣れない場所にある茶器は取り出しにくかった。背が伸びたとは言え、棚の一番上から下ろすのにガチャンッと派手な音を立ててしまった。

 

「安心いたしました。その程度のことでしたら不軌にはあたりません。御上の決定に不服でも理そのものを否定したわけではありませんので」

 

 いつの間にか潟さんは隣にいて茶葉の缶を取ってくれた。手際よく給茶機サーバートレイを用意して音も立てずに置いていく。僕より余程侍従みたいだ。 

 

「理への不軌は魄失はくなしに繋がります。お気をつけください」

魄失はくなしっ!?」

 

 そんな……ショックだ。以前教えてもらった魄失になる条件は三つあった。本来の寿命が残っていること、未練があること、それと理を変えようとしたこと、だ。

 

 なるほど……理に従わないということは、三つ目の条件『理を変えようとする』に繋がるんだ。

 

「……気を付けます」

 

 二人分のお茶を乗せてテーブルに戻る。お菓子はないからから茶で申し訳ないけど、少しゆっくり潟さんと話が出来そうだ。

 

「雫さまは昇格したばかりでいささか理力余剰でございます。お気持ち次第ですぐに理力が動くでしょう」

 

 僕の気持ち次第で理力が動くというのはどういうことなのか。さっきみたいな高速の蛞蝓なめくじが這う感覚があるんだろうか。出来れば味わいたくない。

 

 僅かな沈黙のあと潟さんが茶器を置く。少し自分から離して、そこに組んだ手を置いた。白い手袋が濃茶色の机に良く映えた。

  

「雫さまは私のことを羨ましいと仰いましたが、私は雫さまが羨ましく思います」

「へ?」

 

 間抜けな声が出てしまった。潟さんの口元は笑みの形だったけど、別に僕の返事を笑ったわけではなさそうだ。

 

「父……漣からいつも教えを受けているのですよね?」

「そうですね。理術とか剣術とか体術とか……あ、あと、政治とか歴史とか」

 

 潟さんは軽く目を閉じて小さく二、三度頷いた。目を閉じると先生にますます似ている。潟さんが年を取ったら目が開かなくなるんだろうか。

 

「私が父から直接教えを受けたのは子供の時分のみです」

「どういうことですか?」

 

 まさか僕みたいに虐げられてたわけじゃないだろうけど、そう言うせきさんの顔は少し寂しそうに見えた。急に太陽が隠れたからかもしれない。

 

「私が子供の頃、父が理王に就任いたしました。理王経験者は王太子を教育するというルールがあります。いくら息子とは言え、王太子でない者を教えることはできません」

 

 そうなんだ。せきさんも案外寂しい精霊ひとなのかも知れない。話せて良かった。でなければ潟さんのことを良く知らないまま勝手に恨んでいたかもしれない。

 

「潟さんとちゃんとお話しできて良かったです」

「私も雫さまとゆっくりお話が出来て幸いです」

 

 潟さんは座ったまま体の向きだけを変えて僕に手を差し出した。握手ってことかな。握り返すと結構な力で絞められた。

 

「お互い元理王の息子同士。仲良くしていただけると嬉しく思います」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る