84話 魂魄修復
開いたままの扉を無視して、壁から枝が突き出ている。細長い針のような緑の束が揺れていた。
「
「おお、来たのであるか!」
パラパラと壁から細かい粒が落ちている。埃が待っているように見えるけど、全部壁の粉末だ。あまり吸い込みたくない。
「皆様! ごきげんよう!!」
煙幕の中から女性の声がする。松って言ってたっけ?
「杰ちゃん!
雨伯は撫でられるのが余程好きらしい。
「お義父様! 今日も可愛くていらっしゃる!」
枝から飛び降りてきた松の精霊は雨伯を胸に抱え込んで頬擦りしていた。ツンツンとした緑のショートカットは固そうだ。櫛が負けるんじゃないだろうか。薄茶のドレスが細い体に張り付いている。
「あれは松の精霊
林さまが耳打ちしてくれた。
杰さん。なるほど言われてみれば焱さんに似てるような……いや、やっぱり似てないような。
「杰ちゃん、父上は放っておけ! まずは熀を」
「キャーーーーッ!カズさまーー!!」
聞いちゃいない。
杰さんは今まで頬擦りしていた雨伯を後ろに放り投げ、雷伯の胸に飛び込んでいく。
「会いたかった! 会いたかったです!!」
「分かった、分かったから! 」
雷伯の首に腕をまわしてぶら下がった。足が完全に浮いている。杰さんの細い足が雷伯のがっしりした足に絡んでいる。
雨伯は…………火理王さまナイスキャッチ。
「カズ様はあたくしに会いたくなかったんですか!? まさか浮気!?」
「ち、違う! 俺様も会いたかった!」
僕は何を見せられているんだろう。
「麿は見慣れているけど……雫、大丈夫かい?」
「え、はい」
多分……。
二人が目の前で熱い
「お取り込み中悪いが……」
成り行きを見守っていた淼さまが遂に口を開いた。二人はお互いの頭や首の後ろに手をかけたまま、同時に淼さまを見る。
「これを……」
淼さまが袖から壺を取り出した。机の引き出しに入っていたものだ。
「っ感謝します!」
雷伯は真っ赤な顔で素早く淼さまから壺を受け取った。我に帰ったみたいだけど、首には杰さんがぶら下がったままだ。
「杰ちゃん、
「分かってるわ」
杰さんは首から手を離してストンと床に足を着いた。その足で壁から伸びた枝に登っていく。
「腕は一本?」
一方、雷伯は焱さんに近づいて丁寧に包帯を外していく。
「腕一本と、足もだな」
火理王さまが雨伯を抱えて寝台から離れてきた。静かだと思ったら放り投げられたショックで雨伯は目を回していた。
「じゃあ、このあたりね。カズさま、お願いします」
包帯を取り終えた雷伯は焱さんの頭をひと撫ですると、杰さんの乗る枝を見上げる。
「ここよ」
「分かった。離れろ」
杰さんが枝から降りると同時に、閃光と轟音が広がって反射的に目を閉じてしまった。雷が落ちたのだと分かるのにしばらく時間がかかった。
「熀ちゃん、もうちょっとの辛抱だからね」
杰さんの優しそうな声に恐る恐る目を開ける。杰さんが焱さんの頭を撫でていた。
さっきまで雷伯にぶら下がっていた
「淼さま、焱さんは治るんですか?」
「……魂が無事ならね」
雷伯が枝から持って飛び降りてきた。ドスンッという鈍い音が部屋に響く。両手に一本ずつ持った枝からは僅かに火が上がっていて、パチパチという音がする。
「杰ちゃん! これを熀に!」
淼さまが渡した壺が宙を舞った。受け取った杰さんは壺を傾け、焱さんの肩と足の付け根に液体をかけだした。そこに雷伯が枝を置いていく。ちょうど腕と足があったところだ。
「あれ、何ですか?」
「油だよ。雷で落とした枝の繋ぎに使う」
淼さまが答えてくれる間に雷が一発落ちた。肩が跳ねるのを押さえて平静を装う。ちょっとだけ背伸びをして焱さんの様子を盗み見た。
ちょうど雷伯が二発目の雷を焱さんに落としたところだった。寝台の一部から炎が上がる。
「うむ、見事であるな! 水精の
火理王さまの腕の中で立ち直った雨伯がふふんっと鼻を鳴らしている。
「焱さんは治りますか?」
さっき淼さまにも聞いたことだけど、再び聞かずにはいられなかった。
「当然である! 熀の本体は『落雷による大火』であるぞ! しかも松に……お主は誰であるか?」
火理王さまから床に下ろされつつ、首を傾げる様子は
「!?……っすいません! 僕」
「
僕が名乗る前に淼さまが紹介してくれた。それを聞いて雨伯が僕の服を掴んできた。
「お? おお! 『雫』だな! 初めまして我輩の子! 華龍どのはお元気か?」
「は、はい、元気にしております」
「それは上々!」
雨伯は短い両手を僕の腰に回して僕を見上げる。
「どれ、我輩が撫でてやるのだ。頭を出すが良い」
「え?」
撫でてって言われるかと思ったけど逆だ。僕の腰から片手を外して手を伸ばしてきた。
「早く頭を出すのだ」
言われるまま腰を屈める。小さな手が僕の頭をくしゃくしゃと撫でている。
特に疲れは感じていなかったけど、体が軽くなった気がする。スッと何かが抜けていった。
「ふむ。そこまで酷くはないが、軽く雨酔いしていたようであるな。だが、もう心配ないぞ! 胸を張って雨伯の
雨酔い……そういえば、外では雨が降っている。雨伯が王館に来てるから当然だ。でも以前ほどの体調不良はなかったし、それどころではなかったので気にもしていなかった。
体だけでなく、頭もスッキリした気がする。雨伯は腰に手を当てて、ひとりでうんうんと頷いている。雨にも慣れないと後が辛い、と淼さまが言っていたけど、雨伯が何かしてくれたらしい。
「ありが……」
「くそ! ダメか……」
ダメって何が!? 杰さんの肩を抱いて雷伯が焱さんを見下ろしている。背伸びをして見ると、焱さんはちゃんと腕も足も元通りになっていた。何がダメなのか分からない。
「魂まで傷つけられてる。俺様たちではこれ以上は……火理皇上、ご判断を」
「……」
火理王さまがゆっくり焱さんの寝台まで寝台に近づいた。雷伯と杰さまは、焱さんの手を握ったり、頭を撫でたりしてから、僕たちの所まで下がってきた。
静まり返った室内で火理王さまの低い声が響き出す。
『
燃え盛る火よ
この世の行の腐敗を明かし
この世の悪の毒を焼け
点けや点け点け
揺れ動く火よ
この世の行の温もりとなり
この世の善を照らし出せ』
聞いたことがあるような、ないような……どこか懐かしい響きだ。この唄……いつ、どこで、聞いたのだろう。
柔らかい炎が寝台に広がり、明るさを増していく。まるで火葬のようだと一瞬考え、頭を振って自分の想像を否定する。縁起でもない。
「ふむ……」
音も立てずに燃える炎は、火理王さまの静かな呟きさえも邪魔しない。皆、火理王さまの反応を待っている。
「火の太子
火理王さまが宣言した瞬間、シュッともパッとも言いがたい調子で火が消えた。杰さんの高い歓声と、雷伯のため息が同時に耳に入ってくる。
一方、雨伯は当然と言わんばかりに鼻を鳴らしている。林さまも肩が強ばっていたのか、先程よりも明らかに肩の位置が下がっていた。
淼さまは少しだけ長めに息を吐き出すと、前を見たまま口を開いた。
「焱は助かった。何があったのか話してもらおうか、
部屋の中を見渡すと、僕たちが通ってきた続き間の扉が開いている。僅かに金の巻き毛が揺れているのが見えた。
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