66話 水理王の守刀
嫌な音が聞こえた。ガタイのいい
続けざまに
「雫!」
ひっくり返った声で名前を叫ばれたけど、誰の声だか分からない。次に耳に入ってきたのは大きな水音だった。
あ、温かい……。
温泉に落ちたのだと分かった瞬間、苦しさに襲われた。水の中で苦しいと感じたのは初めてだ。水精が水の中で溺れるなんてことはない。
先ほどから感じている目の痛み。焼けるような喉の熱さと痺れを通り越した指先の痛み。その他表現しがたい苦しさや痛みが身体中を駆け巡る。
これが鉱毒……。
温かいという感覚さえもなくなりつつある。体が左に傾くのは何故だろう。あぁ、そうか。腰に刀を差しているから重いんだ。
もうなんの痛みも感じない。すっかり体が強ばってしまい動かなかった。さほど深くない温泉に沈んでいく。
鞘が温泉の底に触れた瞬間、体いっぱいに
お湯の中にいるのに清々しい風を感じる。爽やかな風……だけど、強力な竜巻に巻き込まれているかのようだ。その竜巻の勢いで温泉の外に弾き出された。真っ先に岩壁が視界に入る。
ぶつかる!
岩に叩きつけられるかと思い身構えたが、予想外に柔らかいものに受け止められた。恐る恐る目を開ると全面くすんだ緑色だった。颷さんの羽毛にダイブしていたらしい。すっごく嫌そう。
「ごごごごごごごめんなさい」
「いたっいたた、颷さん、いたいっやめて!」
今、ブチって言った。何本か抜かれた気がする。
「雫?」
「あ、焱さん!」
岩壁に寄りかかる焱さんが目に入った。近くには
僕が沈んでいる間に何があったのか分からないけど、まずは焱さんに駆け寄る。
「良かった! 無事だったん…」
「いででででででっ!」
駆け寄って腕を掴んだら焱さんが大声をあげたので慌てて手を離す。
「悪ぃ、ちょっと触らないでくれ」
あっちこっち折れてるからという焱さんの足は変な方に曲がっていた。手の指も腫れ上がって色が変わっていた。
「ご、ごめん。早く手当て」
「今からやる」
焱さんはズルズルと座り込んで、火の鍼を取り出した。きっと僕の母上を治してくれたみたいに治療が出来るんだろう。
「叔父さま、ギル、しっかり」
沸ちゃんの声がする。沸ちゃんは煬さんと滾さんを介抱していた。煬さんは大丈夫そうだけど滾さんは起きる様子がない。
「坊主……何をした」
「え?」
煬さんが杖を支えに立ち上がった。もしかしてまた戦わなきゃいけないのかな。
「鉱毒を浄化……水精に出来るわけがない。何者だ、お前は」
「え、と僕何も」
煬さんが襲ってくる様子はなかった。杖の刃先はしまわれて普通の杖に戻っている。煬さんは心底不思議そうな顔をしていた。
「坊主も
煬さんがひとりでぶつぶつ言い出した。話に付いていけない。
「水理王の
焱さんが話に入ってきた。僕よりも詳しそうなので返答を任せる。
「何だと?」
「なんでも『持ち主が正しい
ざっくりした説明だけど何となく分かった。水晶刀が鉱毒を浄化したってことだ。温泉の底に溜まった鉱毒に触れたことで浄化出来たんだろう。
「ちなみに当代水理王の私物だ」
……聞かなきゃ良かった。またとんでもないものを借りてきてしまった。沸ちゃんの温泉に入った時にうっかり手放したのを思い出してゾッとした。ぶるりと震えた僕を煬さんはますます不審な目で見つめた。
「ギル! 気が付いた?」
「こ……お、れ、ねぇさ……?」
滾さんの声は掠れてほとんど聞こえなかった。至近距離の沸ちゃんとは話ができているみたいだ。
「どこか痛いところある?」
「腕、が……」
さっき煬さんに斬られたところだろう。自分の治療を終えた焱さんがゆっくり滾さんに近づいて同じように癒していく。僕は出来ることがないのでただ様子を窺っているだけだ。
「悪い、感謝する」
煬さんが切れ目の入った帽子を手に取って焱さんに短く告げる。黒い髪が額に張り付いて不快そうだ。その隣では滾さんが意識を失ったらしく、沸ちゃんが繰り返し声を掛けている。でも休息が必要なだけで問題ないという焱さんの言葉にほっとしたようだった。
「残る問題はお前だな」
焱さんはそう言うと黙って弓に手をかけた。炎の矢が煬さんを狙っている。
「叔父さま!」
沸ちゃんが煬さんに駆け寄ろうとする。焱さんに目で促されてそれを止めた。それが
「罪状。水精への残虐行為。金精への略奪行為。火太子への反逆行為。言い残すことはあるか?」
「……罪は認識しております。強いて申し上げるならば、甥・
煬さんは跪いて杖を前に置き、その上に臙脂色の帽子を重ねた。友人ではなく、王太子に対する態度に空気が変わる。
「今後の調査次第では確約出来ない。が、検討する」
「焱さま! 叔父さまはっ」
「黙れ!!」
沸ちゃんは駆け寄ることは諦めたのか焱さんに弁明をしようとしている。先ほどの説明をするつもりなのだろうけど、煬さんに怒鳴られて黙ってしまった。
「失礼しました。あれで気が強いもので」
「
焱さんが王太子として接するのを止めた。友人としての二人の時間を過ごしている。
「……違いない。
煬さんが穏やかな表情を浮かべた。達成感に満ちたというべきか、疲れきったというべきか。跪いた姿勢を崩し胡座をかき、頭を低くする。
「……もういいか」
隣の沸ちゃんが顔を背けてギュッと目をつぶったのが分かった。身内が目の前で罰せられたら辛いと思う。沸ちゃんの肩を力を込めて抱き締めた。
「
「断る」
ドンッともゴンッとも言い難い音がして近距離から矢が放たれた。煬さんの足に炎の矢が刺さり、あっという間に燃えあがった。
「ギィャアアァアァーーッ!!!」
洞窟に悲痛な叫び声が響き渡った。
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