59話 雫と混合精

「僕、混合精に実際に会うのは初めてだよ」

 

 母上から二つの属性を持つ精霊がいると教えてもらったのを思い出した。教えてくれたのが美蛇の兄じゃなくて良かったと、ちょっとだけ安心している僕がいた。

 

「あたしも! 水の精霊とちゃんとお話するの久しぶり!」

 

 僕たちはあれから火山の中をどんどん下りていた。今もどこまで続いているのか分からない長い階段をひたすら下りている。

 

「でも、雫が叔位カールだなんて意外よ。水理王の使いも来るって叔父さまが言うから、どんな高位精霊が来るのかなってかなりドキドキしてたんだけど」

「ええと、僕でごめんね、わか……ちゃん」

 

 同じ位だということでお互いちょっとだけ緊張が解け、敬語も敬称もなしで話すことにした。でも、慣れていなくて呼び捨てることは出来ず、ちょっと変な間が空いてしまった。幸い沸ちゃんが気にしている様子はない。

 

「うぅん、雫がお使いで良かった! 貴燈山ここからあんまり出たことないから、正しい振る舞いなんて良く分からないし」

「出たことない?」


 沸ちゃんは小柄な体に似合わず、ずんずんと幅の広い階段を大股で下りていく。僕は段差に歩幅が合わなくて、一段一歩で下りつつ数歩置きに一段二歩という具合だ。

 

「うん。混合精ハイブリッドは迫害されるから、外へ出るなって叔父さまが言うの」

「迫害? 何で?」

「何でって……気持ち悪いんだって」

 

 沸ちゃんの声が小さくなって、足取りが重くなった。大きく振っていた腕も元気がなくなってしまった。

 

 デリカシーがなかっただろうか。どうしよう。会話が途絶えてしまったけど、何が気持ち悪いのかなんて女の子に聞けない。

 

「目が……気持ち悪いんだって」


 沸ちゃんがボソッと呟いた。さっきまで大股で一段一歩で下りていた階段を、一段二歩のペースでゆっくり歩いていく。

 

「両目の色が違うから」

「両目の色?」

 

 沸ちゃんが片目を前髪で隠しているのはそのせいか。今、見えている目は桃色だ。さっきも思ったけど、少し垂れているのがちょっと可愛い。

 

「でもそれならメルトさんも……」

 

 確か、黒と赤のオッドアイだった。

 

「だって、叔父さまだって混合精だもの。叔父さまは火と土の、あたしと弟は水と火の混合精ハイブリッドよ」

 

 あれー……ということは、初めて会った混合精ハイブリッドは沸ちゃんじゃなくて……メルトさんだ。それと、もうひとつ気になったことがある。

 

「弟さんがいるの?」


 沸ちゃんはさらっと流したけど、弟さんも混合精ハイブリッドらしい。

 

「そうなの! 私の本体は下にある露天の温泉で、弟の温泉は上にあるの。今はちょっと体壊しちゃったけど、良く一緒に遊ぶよ!」

「そっか、仲が良いんだね」


 満面の笑みで大きく頷く沸ちゃんを見てちょっとだけ羨ましいと思った。自信をもって仲が良いと言い切れる姉弟がとても羨ましかった。


「いいなぁ」

「何が?」

 

 思っていたことが声に出ていたことに僕自身が驚いている。沸ちゃんは片目を少し見開いて、キョトンとしていた。

 

「僕には兄姉が百人くらいいるんだ。でも僕が……兄弟姉妹の中で僕だけが川じゃなくて泉だから、しかも季位ディルだったから……皆、僕を嫌ってたし、弟だなんて認めてなかったと思う」

「……」

 

 ずっと元気に喋っていた沸ちゃんだったけど、黙って聞いていてくれた。兄姉に襲われたこと、それよりもずっと前から美蛇に狙われていたこと。全部ではないけど少しだけ僕の話を聞いてもらった。

 

「でも、そのお陰で僕の地位ではあり得ないくらいすごい方たちに出会って、色んなことを経験させてもらってるから、良いこともあったんだけどね」

 

 沸ちゃんは慰めとか憐れみとか、そんな言葉は何ひとつ言わずに、そっか、とただ一言だけ僕にくれた。

 

「あたしもね、火精からよく苛められたの」

「え?」

 

 沸ちゃんはまた元気よく歩きだしていた。遠くの方で光が見えて、出口が近づいているのが分かった。


「あたしは一応水に籍があるの。混合精ハイブリッドでも所属は決めるのがルールだから。火の力も持ってる水精なんて火精に嫌われて当然でしょ」

 

 火精で優しかったのは父さまだけ。そう呟いたときはちょっと寂しそうだった。亡くなったフューズさんのこと思い出してしまったかも知れない。


「それに……あたしの片目が気持ち悪いって、自分達と違う色だって、そう言われるから」


 だから片目を隠してるのか。片方は桃色だから確かに火精を思わせる。もう片方は何色なんだろう。

 

「でも、メルトさんの目は別に気持ち悪くなかったよ」

「本当? でも普通は皆、不気味だって言うよ? 叔父さまは気にしてないみたいだけど」

「うーん……どこが不気味なんだろう?」

 

 メルトさんの両目を思い出してみる。真っ赤な目と真っ黒な目。どちらも意思の強そうな濃い色で光っていた。濃い色の瞳と言えば淼さまもだけど……やめよう。これ以上考えると、ホームシックになりそうだ。ホームじゃなくて王館だけど。

 

「どこって……そういうのって考えるんじゃなくて、感じるものだと思うんだけど」

 

 え、真剣に考えようとしていたのに。何故か変なものを見るような目で見られている。

 

「あ、そこよ! あたしの温泉」

 

 徐々に明るくなってきたから、もうすぐだろうと思っていたけど、階段を下りきった途端に外へ出た。目の前に広がる温泉は辺りを高い岩に囲まれていて、外側からは見えにくいだろう。

 

「温泉の……においだね」

 

 独特の臭いがちょっと苦手だったけど、本人を目の前にそんなこと言えないので誤魔化した。

 

「ねぇ、良かったら入ってみる?」

「え、大丈夫かな」

「な、失礼ね! 昔は怪我した水精がいっぱい来てたのよ!」

 

 沸ちゃんが真っ赤になっている。まずい、怒らせてしまったけど多分誤解だ。

 

「ち、ちがうよ! そうじゃなくて! 焱さんはお仕事中なのに、僕だけのんびり温泉に入ってて大丈夫かなって」

「あ、あ、なんだ。そういうこと」

 

 沸ちゃんからプシューと言う音が聞こえそうだ。案外すぐに怒りが収まったようで良かった。

 

「良いんじゃない? 焱さまも後でこっちに合流するって言ってたし」 

 

 この温泉は切り傷や疲れに効くって言う。特に怪我も疲れもないけど、折角なので入らせてもらおうかな。荷物を下ろして服に手を掛けた。

 

「え、ちょちょちょちょちょっと待って! ここで脱ぐの!?」

「え?」

「え? じゃないから!」

 

 えーと、あー……そうか。女の子の前で脱ぐのはまずいよね。掴んだ布地を放して腕を下ろす。でもせめて靴は脱いでおきたい。

 

「脱ぐならあっちの岩陰で……って、雫ー!」

「え?」

「え? じゃないから! 何で服のまま入ってるの!」

 

 え、違った? 脱ぐのが駄目なら、服のままなら良いかと思ったんだけど。服は後で気化させればすぐに乾くから大丈夫だと思う。もう腰まで浸かっちゃったし、少しゆるめで気持ちが良い。

 

「色々間違ってるわ……」

 

 沸ちゃんの遠い目には何故か既視感があった。

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