31話 来訪
急いで食事の片づけをして自室に戻った。歯を磨いて、忘れない内に
手早く服を着替えて自室を出た。向かうのは離れの座敷だ。客間は、
扉の前でいったん立ち止まる。あまり見慣れていない扉に少し緊張する。息を吸ってノックをした。
「雫です。参りました」
「入って」
僕が来るのを分かっていたようなタイミングですぐに返答があった。少し声が遠い。
「失礼します」
この部屋は執務室と異なり、靴を脱いで上がらなければならない。床に敷かれた
遠くに見える上座には予想通り
「雫!」
「あ、兄上!?」
「雫、元気そうで何よりだ」
母上のところで他の兄弟を傷つけてしまったが、
「兄上、なぜこちらに」
「……御上と雫に謝罪をしに来たのだ」
「謝罪ですか?」
兄上はそういうと僕に向けていた体を
「雫も参りましたので、改めてご挨拶と謝罪をさせていただきたく存じます」
「許す、好きにせよ」
「はっ」
兄上はさらに頭を低くして続ける。本当は、
僕のお客ということで通したって言ってた。
「ひと月前、里に戻りました雫を襲撃した弟三名、並びに
「ご苦労である」
「謝罪は雫にするように。余は被害を受けていない」
あ、でもしゃべり方は
「雫」
兄上が再び僕に向き直った。僕は頭を下げる兄上に反応できなくて、目と首だけで兄の動きを追っていた。
「雫、ごめんな。また守ってやれなかった。あんなことがあったから、家を出た方が雫は安全だと思ったんだ。まさか、五人も襲いに行くとは思ってなくて……。本当に申し訳ない。兄である私の注意不足だ。怪我もしたと聞くが、もう怪我はいいのか?」
兄上が頭を上げて僕を見た。心配そうな目をしている。安心させてあげなければ。
「もう大丈夫です、兄上。だか」
「良かった。……いや、良くない。大事には至らなかったとはいえ、犯した罪は変わらない。謝って許されることではないが、どうか謝罪を受け入れてほしい」
頭を上げてくださいと言おうとしたのに、兄上はさらに頭を低くしてしまった。どうしていいか分からない。
「兄上、頭を上げてください」
「雫が許してくれるまで上げるつもりはない」
「初めから兄上のせいだなんて思っていません」
元々、兄上からは何もされていない。代わりに謝ると言われてもちょっと困る。
「許されるまで頭を上げないという主張はいささか卑怯だ。雫もそういっていることである。面を上げよ」
「……はっ」
淼さまが一言添えてくれたこともあり、兄上もやっと頭を上げた。
「雫、ありがとう。私はもっと
「兄上にそんなこと言いませんよ?」
「そうか? 雫は優しいな」
優しいのは兄上の方だ。今回だってわざわざ僕に謝りに来てくれたんだから。
「あいつらにも聞かせてやりたい」
「あいつら?」
「雫を襲った奴ら。兄である私のいうことをちっとも聞かない」
そうなんだ。兄上は
「母上の言うことなら多少は聞くけど、母上はあまり強く言う方ではないから」
「そういえば、母上はお変わりありませんか? 先月、お体が思わしくないとおっしゃっていましたが」
「あまり良くはないな。お休みになることが増えてきた」
「そう、ですか」
母上はお加減が悪いのか……心配だな。
「寝たきりとまではいかないが、体調が悪いことで、目が行き届かないことも増えてきた。私が長兄として代わりに弟妹たちを
兄上は膝の上で手を握りしめた。きっと悔しいのだろう。
「そなた……
「はっ、左様でございます。本体は華龍河の支流である美蛇江にございます」
「華龍どのは病なのか?」
母上のことを気にかけてくれているようだ。
「いえ、病などではないようですが……。申し訳ありません。本来ならば、
「それは構わぬ」
「……数ヶ月前、母が
「済んだことだ。そして何より水精の安定も私の仕事のひとつである。気にする必要はない」
「それはそうと、見たところ、そなたは
話題が変わった。母上の話は終わってしまったのだろうか。もう少し様子を聞きたかったな。
「恐れながら、私の川は年々長くなり、所有する理力も比例して多くなっております。そのため、
「ふむ」
「……
兄上が息継ぎもしないでしゃべっている。淼さまは身動きひとつしない。
「しかし、雫を守ることに失敗を重ね、その身を危険にさらしました。もし、お咎めがあるならば、いかようにも受ける所存でございます」
また僕のせいで誰かが罰を受けるの?
そんな……そんな。
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