31話 来訪

 急いで食事の片づけをして自室に戻った。歯を磨いて、忘れない内に前掛エプロンを外す。僕にお客といわれても、そんなこと一度もなかったので何をしていいか分からない。


 手早く服を着替えて自室を出た。向かうのは離れの座敷だ。客間は、びょうさまが招いた場合や非正式の目的で使われるみたいだけど、僕には違いがよく分からない。先生みたいに近しい方なら執務室まで入ることも許されるんだろうけれど。そういう方は滅多にいないみたいだ。


 扉の前でいったん立ち止まる。あまり見慣れていない扉に少し緊張する。息を吸ってノックをした。


「雫です。参りました」

「入って」


 僕が来るのを分かっていたようなタイミングですぐに返答があった。少し声が遠い。


「失礼します」


 この部屋は執務室と異なり、靴を脱いで上がらなければならない。床に敷かれた藺草いぐさ絨毯カーペットを歩き、横開きの扉を開けると、向かいあう人物がいた。向かい合うと言っても相当な距離が開いている。

 

 遠くに見える上座には予想通りびょうさまの姿。下座にはみどりの頭が見えている。


「雫!」

「あ、兄上!?」

 

 みどり色の髪がサラリと揺れる。振り向いたのはひと月前に再会した兄だった。横開きの扉をそっと閉め、兄に近づく。淼さまに一礼すると、黙って軽く頷いてくれた。


「雫、元気そうで何よりだ」


 母上のところで他の兄弟を傷つけてしまったが、美蛇みだの兄上は変わらず僕に接してくれる。


「兄上、なぜこちらに」

「……御上と雫に謝罪をしに来たのだ」

「謝罪ですか?」


 兄上はそういうと僕に向けていた体をびょうさまに向けた。僕も兄上の隣に足を折り曲げて座る。


 藺草いぐさの香りは清涼感があって、頭がスッキリする。ふと隣を見ると、兄上が正面を向いて藺草いぐさに両手をつけていた。


「雫も参りましたので、改めてご挨拶と謝罪をさせていただきたく存じます」

「許す、好きにせよ」

「はっ」


 兄上はさらに頭を低くして続ける。本当は、叔位カールの兄上も、簡単に理王には会えない。僕は季位ディルだから、もってのほかなんだけど。

 

 僕のお客ということで通したって言ってた。びょうさまはあくまでもそこに同席しているだけ、というていを崩さない。

 

「ひと月前、里に戻りました雫を襲撃した弟三名、並びに鍾乳洞しょうにゅうどう内にて襲撃した弟妹五名。回復しましたので尋問したところ、その詳細が明らかとなりました。弟どもは雫を非難する言葉を述べておりましたが、悪質極まりなく、母の名の下に、全員謹慎処分としました。叔位カール 美蛇江がこん名代みょうだいとして謝罪に訪れた次第でございます」

「ご苦労である」


 びょうさまは膝に手を乗せたまま動かない。でも、今お召しの黒い服は普段来ている服とはちょっと違って襟元が楽そうだ。黒い服に銀髪がゆったりと流れてとても美しい。


「謝罪は雫にするように。余は被害を受けていない」


 あ、でもしゃべり方は窮屈きゅうくつそうだ。表情は変わらないけど何となくご機嫌が悪い。僕のお客につき合わされて、お仕事が進まないからだろうか。


「雫」


 兄上が再び僕に向き直った。僕は頭を下げる兄上に反応できなくて、目と首だけで兄の動きを追っていた。


「雫、ごめんな。また守ってやれなかった。あんなことがあったから、家を出た方が雫は安全だと思ったんだ。まさか、五人も襲いに行くとは思ってなくて……。本当に申し訳ない。兄である私の注意不足だ。怪我もしたと聞くが、もう怪我はいいのか?」

 

 兄上が頭を上げて僕を見た。心配そうな目をしている。安心させてあげなければ。

  

「もう大丈夫です、兄上。だか」

「良かった。……いや、良くない。大事には至らなかったとはいえ、犯した罪は変わらない。謝って許されることではないが、どうか謝罪を受け入れてほしい」


 頭を上げてくださいと言おうとしたのに、兄上はさらに頭を低くしてしまった。どうしていいか分からない。

びょうさまを見ると目が合った。深く頷いてくれたので許してやれということだろう。


「兄上、頭を上げてください」

「雫が許してくれるまで上げるつもりはない」

「初めから兄上のせいだなんて思っていません」

 

 元々、兄上からは何もされていない。代わりに謝ると言われてもちょっと困る。

 

「許されるまで頭を上げないという主張はいささか卑怯だ。雫もそういっていることである。面を上げよ」

「……はっ」


 淼さまが一言添えてくれたこともあり、兄上もやっと頭を上げた。


「雫、ありがとう。私はもっと罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられるかと思っていた」

「兄上にそんなこと言いませんよ?」

「そうか? 雫は優しいな」


 優しいのは兄上の方だ。今回だってわざわざ僕に謝りに来てくれたんだから。

 

「あいつらにも聞かせてやりたい」

「あいつら?」

「雫を襲った奴ら。兄である私のいうことをちっとも聞かない」


 そうなんだ。兄上は叔位カールの中ではかなり強いと聞いたことがあるけれど、それでもやっぱりダメなんだ。

 

「母上の言うことなら多少は聞くけど、母上はあまり強く言う方ではないから」

「そういえば、母上はお変わりありませんか? 先月、お体が思わしくないとおっしゃっていましたが」

 

 くしを髪に刺してすぐに部屋に下がってしまった母上の姿を思い出した。

 

「あまり良くはないな。お休みになることが増えてきた」

「そう、ですか」


 母上はお加減が悪いのか……心配だな。

 

「寝たきりとまではいかないが、体調が悪いことで、目が行き届かないことも増えてきた。私が長兄として代わりに弟妹たちをいましめてはいるが、同じ位のせいかなかなか素直に言うことを聞かないんだ」


 兄上は膝の上で手を握りしめた。きっと悔しいのだろう。

 

「そなた……美蛇みだと申したな?」

「はっ、左様でございます。本体は華龍河の支流である美蛇江にございます」


 びょうさまが突然兄上に話を振った。兄上はまた手を前について頭を低くした。


「華龍どのは病なのか?」

 

 母上のことを気にかけてくれているようだ。

 

「いえ、病などではないようですが……。申し訳ありません。本来ならば、仲位ヴェルである母が手続きを踏み、御上に謁見を求めた上で、雫に謝罪に参るところではございます。しかし……」

「それは構わぬ」

「……数ヶ月前、母が御上おかみに救済を求めたことがございました。子である支流に侵略されそうになりました。あの時にはすでに体調が悪かったようでして、御上の手を煩わせてしまいました」 

「済んだことだ。そして何より水精の安定も私の仕事のひとつである。気にする必要はない」

 

 びょうさまは相変わらずちょっとだけ機嫌が悪い。どこがどうというわけではないけど、なんとなく機嫌が悪いのが感じ取れた。

 

「それはそうと、見たところ、そなたは叔位カールとは思えぬ理力を有しておるな?」

 

 話題が変わった。母上の話は終わってしまったのだろうか。もう少し様子を聞きたかったな。


「恐れながら、私の川は年々長くなり、所有する理力も比例して多くなっております。そのため、叔位カールとして不相応な理力を所有しております。お許しくださいませ」

「ふむ」

 

 びょうさまが少し考える様子を見せた。特に怒っている様子はないけど。


「……叔位カールとは季位ディルを守る者。私はこの力を姉弟の中で唯一、季位である雫を守るために使おうと……そのために力を得たのだとそう理解しておりました」

 

 兄上が息継ぎもしないでしゃべっている。淼さまは身動きひとつしない。

 

「しかし、雫を守ることに失敗を重ね、その身を危険にさらしました。もし、お咎めがあるならば、いかようにも受ける所存でございます」

 

 また僕のせいで誰かが罰を受けるの?

 そんな……そんな。

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