29話 罰と別れ

「もう一点気になるんだけど」

「火精か? 水精か?」

「水精の方。これを」

 

 空中から小指に乗るくらいの小さい水球を取り出す。正確には水球ではないが、この際それは置いておこう。親指と人差し指で摘まんであわに渡す。

 

「これがどうした?」

「『拡大氷鏡アイスルーペ』」


 淡に氷の拡大鏡を渡す。淡は首をかしげながらも受け取り、私に促されるまま水球を覗きこむ。

 

 直後にズザザッとソファの上に足まであげて、水球を放り投げた。拡大鏡は握りつぶされたらしく、ジュッという音で蒸発したのが分かった。

 

「そうやって火の理術を使うから、『あわ』の仮名かりなが剥がれかかってるじゃないか」 

 

 宙を泳ぐ水球を目で追いながら、人差し指で引き寄せる。

 

「うるせぇ! んなことどーでもいい! 何つーもん見せんだよ!」

「……雫の頭に付いていた」

「はっ?」

「帰ってきてすぐに雫の頭に触れた。違和感を感じたらこれだ」

「これが付いてたって? 寄生性原虫アメーバだぞ? 流没闘争りゅうぼつとうそうの時にさんざん使われて……」

 

 淡が眉をひそめて、気持ち悪そうな顔をしている。水球の中には薄紫色をした不定形の生物が動いている。

 

 ――寄生性原虫アメーバ

 

 湿地に存在する精霊を喰う生物。その多くは川に生息する。川にいる分には問題ないが、川から出ると精霊を襲い、喰い始める。

 初めは喰われていることに気づかないが、気づいたときにはもう手遅れ、精霊は消滅するしかない。本体は脱け殻となってしまう。

 

「いくら本体が無事でも、これに喰われれば精霊としては終わりだ」

「雫は?」


 あわがハッとしたように私に尋ねた。

 

「心配ないよ。特に被害はなかった。これは精霊が持つ理力に反応して補食活動をするからね。おそらく雫の理力が少な過ぎて反応しなかったんだろう」

「……他の精に反応しなかったのか? ていうか俺にも反応しなかったぞ」

 

 淡はホッとしたようだ。ソファにあげていた足をやっと床に下ろした。

 

「雫の頭の上ではすでに活動していなかった。理力がほぼない水精の気配を川本体か何かと勘違いして、落ち着いていたんだろう」

「やべぇ……こんなの付けられてて気づかないのかよ」 

 

 全くだ。淡も先程言っていたが、もう少し警戒してほしい。そう思って火精に襲われる可能性も話しておいたのに、意味がない。


「早く処分しろよ、それ」


 淡が私の持つ原虫をあごで指し示した。

 

「いや、これ自体は悪くないんだ。川や沼にいれば水を健やかに保つ。でも、水から上がるとパニックになって精霊を襲い出すんだ。だからしかるべき場所に戻さないと」

 

 むしろ川にいて欲しい生き物だが、自分で積極的に動くことはない。雫に付いていたなら、誰かに直接付けられたと考えるのが妥当だ。 

 

 雫が徐々に近づいてきたのが分かった。応接間でずいぶん長居をしていたようだ。茶菓子の吟味でもしていたのだろうか。

 

「雫の警戒心を養う必要があるね」

「あ、思い出した。先々代にも贈り物をしたいって言ってたぞ。言われたわけじゃねぇけど、また市に行きたいとか言い出すんじゃないか?」

「わぁ……二度も襲われたとは思えないね」

「危機管理の教育はしてもいいんじゃねぇ?」

「そうだね、少し反省させないと。……一芝居うとうか」

 

 扉に視線を向ける。雫の気配がすぐそこまで近づいてきた。

 

 

 

 

 

 

 お菓子で一杯にした容器を両手で持って執務室の前まで来ると、中から怒声が聞こえてきた。

 

「どういうことだ!?」


 びょうさまの声だ。聞いたこともないような大きな声だ。入るのを躊躇ためらってしまう。

 

「どういうことだと聞いているんだ!」

「……申し訳ありません」

 

 淡さんの声もする。謝っているようだ。

 

「私は出発前、あわに何と言った?」

「……『雫のことを頼む』と仰いました」

「そうだ。火精から狙われる可能性も考えて淡を護衛につけた。にも関わらず、火精に襲われたとき側にいなかっただって?」

「……仰る通りです」

 

 まずい。淡さんが怒られている。市で火精に襲われたことでやっぱりお叱りがあるんだ。

 

「しかも今の話だと、水精にも襲われたそうだな。そのときも側にいなかったのか?」

「はい」

 

 淡さん、僕が兄弟に襲われたことも話してくれたんだ。

 僕はその話をびょうさまにしていない。身内のことだから余計な心配をさせてしまうと思ったからだ。

 

「何のためにあわをつけたと思ってるんだ!」

 

 どうしよう。淡さんは悪くない。悪いのは僕だ。淼さまの声はいつもより低くて、大きくて、冷たい。

 

「その外套の破れ具合から想像するに、相当な攻撃を受けたはずだ。あわが任務を怠ったせいでね!」

「弁明のしようもありません」

 

 僕は菓子入れを片手で持ち直し、ノックをしようかしまいか悩んでいる。

 

「謝罪も弁明も聞きたくない。私の命令を無視したのだから」

「……」

「っ失礼します」

 

 いつもなら絶対しないけど、思いきってノックとほぼ同時に扉を開ける。

 

「あぁ、雫おかえり」


 淼さまの声は低いままで、僕を見ようともしない。あわさんの姿はソファにはなかった。淼さまの隣で膝をついている。

 

「あ、あの」

「雫、水精の件は淡から聞いた。さっき話してくれた火精の件もね」

「あ、の、僕が」

「我が儘を言ったというのはさっきも聞いた。でも、それを止めるべきあわが、止められなかったというのは大問題だよ」

「いかなる処分も受ける所存でございます」

 

 びょうさまと僕は同時にあわさんを見た。淡さんは跪いたまま顔もあげない。

 

「なるほど?」

「っ……淼さま! 申し訳ありません。悪いのは僕なんです!」

 

 淡さんの隣に一緒に膝を付く。菓子入れは投げ出してしまった。音を立てて床にお菓子が散らばる。

 

「……確かに雫も悪い。ただ、雫は『無事に帰る』という命令を守った。だから罰することは出来ない。それがルールだからね」

「……そんな」

 

 淼さまは理王だ。いくら優しくても穏やかでもルールを犯すことはしない。

 

伯位アル あわ

「……はっ」


 淡さんが頭を更に低くした。

 

「雫の受けた怪我の治療、および火精からの救出に免じ、位は残す。その上であわの名を没収する。私が良いというまで謹慎きんしんせよ」

 

 ゴゥッという音と共に隣にいたあわさんが水の柱に飲み込まれた。

 

「ぅ……」 

「あっ……あ、あっ」

 

 名を呼ぼうとした。でも……呼びたいのに、呼びたいのに知っているはずの名前が分からない。

 

「雫も……少し反省するように」

 

 水の柱がおさまるとそこには誰もいなかった。びょうさまの声はいつもの高さに戻っていて、少しだけ切なさをはらんでいた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る