第16話 仲直り失格


「昂輝? なに~、こんなところで」

「お、綾かい?」

「そうなんだけど」

 食堂で昼食をとっていると、俺の前に花木がやって来た。宮戸も紗子ちゃんも食堂に来ることが分かったことで、いつか二人に会えないだろうかと言う醜い下心も、そこにはあった。そしてなにより、あの時紗子ちゃんを無視してしまったことを謝りたかった。

「最近昂輝サークル来てなくない?」

 責めるように、花木が言う。

「いやあ、忙しくてねえ」

「佑大も同じこと言ってたんだけど」

 小田の名前が出てくる。インターンに言っているだとか、もう就活を始めているから確かに最近会わなくなった。

「佑大インターンが忙しいから行けない、って言ってたんだけど」

「僕も佑大と前会った時にそう聞いたねえ」

「三年から就活って、佑大ちょっとキモくない?」

「そうだねぇ~……」

 相槌を打つ。

「私頑張ってるオーラとか出されたら本当気持ち悪い。サークルより就活の方が大事なの、って言いたくなるし」

 当り前だろ。そう思う。花木も自分と向き合うことから逃げて逃げて、遊ぶことで自分の劣等感から目を逸らし、自分の無力さを知ろうとしていない。


 俺と、同じだ。


「昂輝、今日は来る?」

「……あ」

 花木が剣呑な目で見る。お前も小田と同じなのか、そう問いただすような目で、俺を見てくる。

「いやあ、今日は行くよ。今日行かなきゃいつ行くっていうんだい」

「知らないし~」

 笑いながら、花木は言った。俺の返答に満足した様子だ。結局俺は食堂で花木に捕まり、階上のたまり場へと連れていかれた。


「あれ? 昂輝じゃん! おひさ~」

「おひさ~」

 俺に気付いた山田が一番に声をかけてくる。

「最近昂輝見てなかったし、超心配したんだけど。何? 風邪?」

「いやあ、最近ちょっとやることがあってねえ」

「へえ。まあどうでもいいけど。じゃあ昂輝、今日ラクワン行くって話出てるけど、行く?」

「あ~……」

 一瞬の間をおいて、

「もちもち~、行くに決まってるよ~」

「それでこそ昂輝~」

 俺はまたサークルのメンバーと遊ぶことを了承した。

 人間は、弱い。自分を強く律しなければ途端に弱い方へと流れていく。水が低い場所に流れていくように、人間も弱い方へと流れていく。何より、頑張ることよりも遊ぶことの方がはるかに楽しくい。頑張ろうとしても頑張れない。そこに頑張ることよりも楽しい何かがあるなら、俺は自然にそっちに行ってしまう。

 一度知ってしまうと、この喜びと享楽からは逃げられない。知らない間に堕ちていく。そうやって落ちて、自分がしてきたことに目を向けないで、何か夢に向かって邁進する連中を馬鹿にする。そうすることで自分の正しさを見つける。

 頑張ることでは何も生まれない。何をやったって俺たちは一生平凡な人生を送るしかない。そうやって否定して否定して否定して否定して、最後には何も残らないかもしれない。

 でもそれでも、俺は今この瞬間を後悔はしないだろう。俺は今この瞬間の楽しさを、きっと一生後悔しないだろう。自分が楽しいと思う事と向き合うってことは、そういうことだと思う。楽な方に楽な方に逃げようとそう思ってしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。




 以前紗子ちゃんと遭遇したゲームの講義に、俺は今日も来ていた。講義五分前、きょろきょろと辺りを見渡す紗子ちゃんが、そこにいた。相変わらず言動が可愛い。

「さーえっこちゃん」

「ひゃいっ!」

 紗子ちゃんに気付かれないように後ろから接近し声をかけると、中々甲高い声で返事が返って来た。

「い……生島さん、驚きますから……」

「まあまあ。どこに座ろうか?」

「……あそこですか?」

 紗子ちゃんは左端の前から五番目の席を指さした。あそこなら確かにちょうど教授の死角にもなっていいかもしれない。

「うん分かった。じゃあ行こうか」

「はい」

 俺が出来るだけ教授から見えないように、紗子ちゃんの左に座った。ここなら黒板もよく見えるし教授の声もよく聞こえるし、スマホをいじっていてもバレ辛いだろう。もっとも、俺は紗子ちゃんの隣でスマホをいじるつもりはないけれど。

 時間が来ると、講義が始まった。

「え~、では資料を回すので一人一枚ずつ取って下さい」

 いつものように資料が配られる。紗子ちゃんは講義資料がたくさん入ったファイルを出した。真面目すぎる。俺は無手のままぼーっと資料が来るのを待っていた。

「生島さん、一緒に見ましょうか?」

「ありがたいねえ」

 そう言うと、紗子ちゃんは俺にも見えるように資料を置いた。自然、紗子ちゃんとの距離が近くなる。これはこれで中々いいもんだ。

 が――

「このようにムーアの法則というものがあり、ゲーム業界においてもこの法則がよく知られています」

 いかんせん、講義が非常に退屈だ。まるで頭に入ってこない。

 ペンをくるくると回す。俺は紙を取り出し、落書きをしだした。完成した落書きを紗子ちゃんにそっと見せる。

 「え~であるからして~」とお決まりの文句を書き添えた教授の似顔絵に、紗子ちゃんは少し笑った。声を押さえ、肩で笑っている。勿論、教授が気付くようなレベルの大仰なものではない。

 そしてその絵の下を指さした。

『前は無視しちゃってごめんね。怒ってる?』

 紗子ちゃんへの謝罪の言葉も、そこに書いていた。何とも女々しいやり方で、紗子ちゃんに謝ってしまった。我ながら非常によくないと思うが、紗子ちゃんに面と向かって謝るのはなんだか少し照れくさく思えた。紗子ちゃんは俺の謝罪文の下に、また言葉を書き連ねた。

『怒ってないです。私もお友達と一緒にいたのに手を振っちゃってごめんなさい』

 なんともけなげな言葉が返って来た。違うよ、紗子ちゃんは何も悪くない。悪いのは全部俺だ。

「っ……」

 が、言えなかった。許してくれてありがとう、と一文で返すと筆談は終了した。俺は、弱い人間だった。だが、紗子ちゃんがその下にもう一文書き足した。

『その代わり、私欲しいパソコンがあるんです。一緒に買いに行ってくれませんか?』

 紗子ちゃんが悪い笑顔で俺を見て来た。紗子ちゃんは俺にここまで心を開いてくれるようになったのか。あるいは、俺が罪悪感を感じないように言ってくれてるのか。なんていい子なんだ。

 俺はもちろん、と返した。俺の返答を見た紗子ちゃんは、とても可愛く笑った。



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