77 訃報
翌日、歯医者と美容院の後、早めの昼食と買い物を済ませて帰宅した一希は、玄関の鉄扉を開いた瞬間、いない、と直感した。気配か物音、さもなければ処理室の赤ランプで、新藤が在宅の時は大抵すぐにわかる。
早朝から監督役でデトンの安全化に出かけ、一希が起きた時にはもういなかったため、今日はまだ顔を合わせていなかった。
それにしても、とっくに帰宅しているべき時間だ。いつもの寄り道にしては長い。一希は黙って気をもむぐらいならと、電話番号簿を
〈業務管理、
「あ、お世話になっております、不発弾補助士の冴島です。あの、処理士の新藤が今日デトンの安全化を
〈ああ、お陰さんで無事片付いて、現場はもう引けてますよ。ブツも届いてます〉
「そう、ですか。わかりました。すみません、お騒がせして……」
〈あ、そうそう、ついでにちょっとお尋ねしますがね。来週のザンピの交代要手配ってメモが入っとるんですが、これ新藤さんでお間違いないですか?〉
「えっと……」
カレンダーを見ると、確かに一週間後にザンピードが予定されている。
「あ、交代、ですか? 私は特に聞いてませんが」
〈あ、そう。いや実は電話受けたのが新入りの名前になっとるもんで、もしかしたら補助士の
とりあえず礼を述べて電話を切った一希は、妙な胸騒ぎを覚えた。帰りが遅いのもその件と関係があるのではないか。例の偏頭痛なら座敷で寝ているはずだし、一週間後の休みを今から取ることはないだろう。ただごとではない。そう直感した。
買い物袋の中身を片付けながら、もしや昨日残したボタンのせいではあるまいかと不安に駆られる。
気もそぞろなまま洗濯物を取り込んでいると、電話が鳴った。急いで受話器を取る。
「はい、新藤です」
〈冴島、俺だ〉
「先生! どうされました?」
〈……悪い知らせがある〉
一希は呼吸を整えて待った。
〈菊乃婆さんが……〉
嫌な予感ほど的中する。
〈今朝、亡くなった〉
一希は首を振って否定した。新藤にはどうやらそれが見えたらしい。しばし事実を呑み込む時間が与えられた。息を吸った瞬間、一希の喉からヒッと高い音が漏れた。
〈くも膜下出血、だそうだ〉
そんな言葉には何も感じなかった。理由が何であれ、もう生きていないのだということを理解するだけで精一杯だった。
(どうして? どうして……あんなに元気だったのに)
電話の向こうに新藤がいると思うと余計に泣けてくる。
〈冴島〉
(先生……)
声を出そうとして咳き込み、そのはずみでいくらか正気を取り戻した。
「先生、今どちらに?」
〈
新藤は現場から直接向かったのだろうが、これから通夜だ葬儀だとなれば、何日かは帰ってこないだろう。身の回りの物を届けてやらなくていいだろうか、と案じたその時、
〈お前も見送ってやれ〉
「あ……はい、もちろんです」
葬儀の日時や斎場の名前をメモしなければと手を伸ばしたが、その必要はなかった。
〈日没前には埋葬される〉
(……え?)
〈日没自体は五時過ぎだが、四時にはこの家を出て墓地に向かう〉
反射的に壁の時計を見上げたが、現在時刻の情報は一希の頭に入ってこなかった。日の入り前に埋葬。亡くなったのが夜間であれば翌朝の日の出より前に。スム族の流儀だ。もっとも、近年では伝統にこだわらず、ワカと同様に火葬を選ぶ者も出てきていると聞くが。
「菊乃さんって……」
〈ああ。やっぱり聞いてなかったか〉
「そういうことは何も……」
〈まあ話題になる場面がなければそれまでだからな。本人は別に隠してたわけじゃない。……隠すような人じゃない〉
「ええ」
それはわかる。それに、もし隠していたとしても責める理由はなかった。
〈三十分後に迎えの車が行く。一晩泊まることになるが、特に準備する必要はないぞ。みんな着の身着のままだ。喪服とかそういうのも気にしなくていい。金もいらん〉
気にすることすら忘れていたが、スム流なら一希は二度経験しているから話は早い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます