quatre-vingt-sept
週末、私は弥生ちゃんと一緒に駅前ビルでバレンタインチョコを物色中。まぁ先日の計画通り『文子洋菓子堂』のマカロンは決まってるんだけど、何と申しますか折角だから色々見て回りましょうや的なノリでフロア内をブラブラと歩いていた。
「やっぱり混んでるね」
「何だかんだで皆チョコ買うんだね」
なんてことを言いながら可愛くディスプレイされているチョコたちを見ていると、偶然隣でディスプレイを見つめている安藤に遭遇した。
あら随分と真剣な表情で……こっちも弥生ちゃんと一緒だからお声掛けはやめておこうかと思ってたら、これまた見憶えのある女性に声を掛けられた。
「五条さん? お久し振り」
え~っとこの子は……木暮さんだ、確か野球部のマネージャーでてつこと仲が良かったわ。有砂情報によると去年ご結婚なさったとか、ご主人のためのチョコ選びですな。
「お久し振りです……っとご結婚おめでとうございます、内海から軽く伺いました」
さほど親しい間柄でもないから何のお祝いもしてないのよね、結婚式にも呼ばれてないし連絡先も存じ上げないのでね。
「あらいたの五条、職場の義理チョコ?」
あれ? この二人ペアで行動してたの? 確かに学科は違えど高校は同じだから接点があったのね。
「まぁそんなところ。そっちは?」
「似たようなものよ、あ~味もろくに分からない奴らにあげるくらいなら全部自分で食べたい」
この子結構なお嬢様なんだけどたまにジャンキーになるのね、何か水無子さんとキャラがかぶってるような気がする。
「またそんなこと言って、中西君にあげればいいじゃない」
木暮さん、焚き付けてるつもりなんだろうけどもう昔話になってると思うよ。
「今年は娘さんにあげようと思って。この春で中学生になるからそのお祝いを兼ねて」
「やっぱり娘さんと親しくしておいた方がいいものね」
うん、そこは千引きしてやってよ木暮さん……安藤は今更感半端ない表情で苦笑いなさってるわ。
「杏璃と会うことあるの?」
「最近は挨拶程度ね。バレーボールやってるから身長も伸びてて、もうじき追い抜かされそう……って込み合った話はまた今度」
そうだね。で別れようと思ったのだが、弥生ちゃんが『文子洋菓子堂』の名前を出したのでちょっとだけ事態が変わった。
「えっ? もうそんな時間?」
安藤と木暮さんも時計を見て慌ている様子だ。ひょっとして二人ともマカロン狙ってる?
「あの、お嫌でなければ一緒に行きませんか?私たちもそこに用がありますので」
弥生ちゃんは安藤&木暮コンビを誘い、二人の了承を得て開店間近の『文子洋菓子堂』に向かう。その道中で唯一全員を知っている私が軽く他己紹介すると、弥生ちゃんと木暮さんは案外気が合って早速仲良く談笑なさってる。
「やっぱり未婚と既婚の溝ってあるみたいね」
安藤は後ろを歩く二人に聞こえぬ声でぼそっと呟く。多分てつこの名前引き出されたことを言ってんだろうね。
「まぁしょうがないんじゃない?」
う~ん、人によるんじゃない?私で言えば後輩の桃子、ご近所さんの梅雨ちゃん、茉莉ちゃん、ミトちゃんなんかがそうだけどあんまり溝は感じないなぁ。
「同級生でヘタに過去恋を知ってるから余計そう感じるのかも、くれちゃん……木暮さんとは高校時代一番仲が良かったから」
「へぇ、そうなんだ」
まぁ安藤と木暮さんとの仲はまぁいいとして、総合高校の普通科だった彼女と商業科だった有砂とは大して接点が無いと思っていた。それだけにてつこはともかく有砂も結婚式に招待されてたってのを聞かされた時は正直意外だったもん。
「お~いなつぅ~」
ん~その声は……開店したばかりの『文子洋菓子堂』の前に有砂が~部長と~おデートちっくに~いらっしゃるわ~。
「今日はやたらと知り合いに……」
「みたいだねぇ、おこんち~安藤、くれちゃ~ん」
なんて軽いノリで後ろを歩いてる木暮さんにも手を振ってらっしゃるわ。今の今まで知らなかったけど、高校時代で結構仲良くなられてたのね。
「ひょっとして彼氏さん?」
木暮さんは有砂の方へ駆け寄って親しく話ししている。こんな光景初めて見る……別の高校に通っていた私はちょっとした浦島太郎気分を味わっていた。
「こういうのって何か良いよね、私も同級生と連絡取ろうかな?」
木暮さんから離れて私のそばに来た弥生ちゃんは、キャッキャとはしゃいでいる有砂、安藤、木暮さんを微笑ましく見つめている。部長は年齢も出身高校も違うのだが、人見知りしない性分なのであっさり馴染んで楽しく会話なさってるわ。
むしろ私はここにいる全員とは顔見知り以上の間柄であるはずなのに、彼女たちと私との間には妙な膜が張られているように感じ、その輪に入ることができなかった。弥生ちゃんにとっては全員が知らない人たちなので、ここは輪から離れて別行動を取った方がいいかも知れないな。
「弥生ちゃん、後で……」
「お~いなつぅ~、マカロン買うんだろぉ?」
とこんな時に限って余計なお誘い。
「煩いから出直そ……」
「行こう夏絵ちゃん、こういうのはさっさと入って良いのを選ぶに限るよ」
弥生ちゃんは案外乗り気で私の腕を組み、ヴェールの張られた四人組の輪の中に突進していく。ここでの彼女は人見知りではなく勝負師の性格が前面に出た形となり、私以上にその空気感を楽しんでいらっしゃった。
「疲れた~っ!」
『文子洋菓子堂』でマカロンを買った後、何故か盛り上がって例の六人でランチへとなだれ込んだ。有砂、安藤、木暮さんが高校の同級という関係柄、話題の中心は三人の高校時代の与太話だった。てつこのことはまぁ分かるけど依田稔って誰だよ?
聞けばてつこと同じ総合高校野球部で安藤のクラスメイト、今は社会人野球の選手で木暮さんの旦那らしい。野球経験のある部長は依田とかいう男性をご存知のようで、意外にも弥生ちゃんも彼のことを知っていた。
『中学時代から有名だったのよ。今は
……だそうで、とにかく私にはちんぷんかんぷんな内容だった。時々有砂、部長、安藤、弥生ちゃんまでもが私を気遣って補足説明はしてくれたんだけど、それ以上に疎外感が凄くて早くこの場からいなくなってしまいたかった。
『そう言えば憶えてる?』
話の主導権はほぼ木暮さんが握っていた。彼女から出てくる話題は中学時代から高校時代の部活動が中心で、中学時代なら所々分かる内容も含まれていた。
そこを取れば私を気遣ってくれているとも言えなくもないが、野球に大した興味を持っていない私には知らないも同然だった。苦痛だ、とにかく苦痛だ……はっきり言ってしまえば、新人研修の宿坊の方がよっぽどマシだと思った。
帰りたい……そう言いたいけど、他のみんなは楽しそうに盛り上がっている。まして誰一人面識の無い弥生ちゃんも笑顔を見せていて、何というかこの空気を壊すことすらできず楽しんでいる振りを演じてしまった。ひょっとしたら弥生ちゃんも苦痛に耐えてるのかな? そう思うことで自分を慰めている間も木暮さんの話は止まらない。
『卒業式の後、内海がやらかしたじゃない』
『あぁ、依田の第二ボタンのやつかぁ』
『そうそう、建築デザイン科の教室にあった拡声器で……』
『えっ? アレ内海さんだったんですか?』
『ん? 三井さんまさかの参加者?』
ねぇ有砂何やらかしたのよ?本来であれば高校時代のことなんてどうでもいいんだけど。
『いえ友達が。でも私も付き添いで総合高校にいたんです』
『ホントに? 凄い縁じゃない? じゃあアレ見てたんだ』
『はい。外野で見ていただけで恐ろしかったです』
私の無理矢理な慰めとは裏腹に心底楽しそうになさってる弥生ちゃん。
『あのね夏絵ちゃん、校舎の二階……三階だっけ? から依田君の第二ボタンを投げ落として、拾った子にあげますよってのが突発的に始まったの』
『へぇ、そんなことして怒られなかったの?』
当然のことを聞いただけなのに一瞬にして空気が止まる。
『うん、滅茶苦茶しぼられた~』
有砂が通常運転で返答してくれて空気が元に戻る。何か私いない方がいいみたい……そんな拗ね子的感情が胸を支配し始めた中で、ケータイの振動音が響き渡る。
多分私だ……そう思ってバッグを漁ると通話着信が。ところが電話帳登録をしていないケータイ番号で、正直出てよいものか躊躇うところだが、ある意味この針のむしろからの脱却のチャンスでもあった。
『どしたなつぅ?』
『うん……通話着信だから席外すね』
私は全ての荷物を持ってから、逃げるように店を出て今に至る。
ブーン、ブーン、ブーン……
またしても通話着信だが、『文子洋菓子堂』にいた時に掛かってきた同じ知らない番号。さっきは結局スルーした、仮に知っている人や用事があるのならば、きっと留守電機能にメッセージを残しておくはずだ。当然のように今回もスルーでやり過ごすことにする。ただ前回と違って今回は留守電にメッセージが入っていた。
【留守番電話メッセージ有り】
と表記されている画面をタップし、内容を聞いてみると……。
『佐伯明生です、ケータイ番号変えました』
私は気がおかしくなりそうだった。
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