quatre-vingt-cinq

 まさかの告白劇に狼狽えていた私だったが、一週間ほど考えた末明生君とお付き合いすることにした。当時は彼氏いない歴イコール年齢で、恋のいろはなど何も分からなかった。何もかもが初めてだった私は、今思えば相当浮かれ回っていたと思う。よく分かりもしないくせに恋愛とは何ぞやなどと知ったか振りしてみたり、性に合ってもいないのに乙女になろうと必死だったように思う。

『君は君らしくいて』

 彼はそんな私に呆れもせず(本心は不明だが)いつも優しく隣にいてくれた。初めてのデート、初めての恋人繋ぎ、初めてのキス……“初めて”の相手は全て彼だった。明生君も何気にモテるので、交際相手が私と分かると逆転可能と見て彼にアプローチする女の子もいた。けどそんな子たちに見向きもせず、交際期間中はほとんど喧嘩もせずずっと一緒にいたと思う。

 三年生の後半になると就活に忙しくなってデートなんてしてる暇は無かったけど、一緒にセミナーに行ったりエントリーシートを作成していた。

『新卒入社して、一日でも早くデートしたいね』

 その言葉を胸に念入りに準備を進め、一心不乱に就活していたように思う。その努力が実を結び、明生君は世界展開している超有名な時計メーカーの、私は海東文具の内定を頂けた。その他扱いも何だが、学部仲間である降谷も保科酒造から内定を貰い、他の子たちも新卒採用を勝ち取り無事大学を卒業した。

 

 ところが就職したらしたでオリエンテーリングやら研修やらで案外忙しくなり、休日に出掛けるという元気も無くなる日々だった。明生君も同じような感じで、連絡は取り合っていてもなかなか会える機会に恵まれなかった。

『やっと研修期間が終わったよ』

 入社して半年近く経過してようやっと二人で会える時間が取れた。私はひと月ほどで研修も終わり、下っ端ながらも仕事に慣れてきた時期だったので随分と長い研修だなと思っていた。

『この研修次第で配属先が決まるんだ』

 先程も申し上げた通り彼の会社は世界展開をしており、時と場合によっては海外勤務も十分に考えられた。なので英会話の研修に時間を割いていたようで、ビジネス英語を使いこなせるよう特訓レベルの勉強をしていたそうだ。

『さすがに一年目で海外勤務ってことは無いと思うよ。現時点で実務経験は皆無だからね』

 私はその言葉を信じていた、まぁ疑いようもないんだけど。彼も多分そう思ってたんだと思う、実務三年以上の社員というのが慣例だって言ってたくらいだから。

『仮の話だけど、僕が海外勤務になったらどうする?』

『えっ?』

 私はどう答えてよいのか分からなかった。彼を愛しているのであれば、迷わず仕事を辞めてついて行く選択を考えるものなのかも知れない。

 でも英語力の無い私に海外生活が出来るだろか? 当時は家事全般できなかったので、理想の妻的なことは期待できる状態ではなかった。それに何より、海東文具という場所が合っていたので、一年もしないうちに退職するのが嫌だった。

『せっかく就職した所を一年そこらで退職はしたくないよね? 僕が夏絵の立場ならそう思うよ。それに僕たちなら遠恋だって上手くいくと思うんだ』

 そうだよね。私もそう思っていたし、例え何があっても数年後には結婚できると思っていた。


 ところが、それから一週間ほどで私たちの関係は突然ピリオドを打った。あの夜明生君の車で送ってもらった際、玄関先まで迎えに出てくれていた姉と対峙し、たったそれだけの面識で一目惚れしたと言われてしまった。

『僕はそんなに器用な男じゃないんだ』

 一方的とも言える別れ方をされ、流石に落ち込んで泣きまくった。柄にもなく熱まで出してしまい、仕事にも穴を開けてしまった。そんなことなど知る由もない姉は、付きっきりで私の看病をしてくれた。最初のうちは心の中に恨み節が渦巻いていたが、悪いのは姉ではないと思い直して彼を忘れることにした。

 それから六年が経つが、残念ながら交際に至った男性は一人もいない。付き合いで多少ながらも合コンに参加し、デートまではしたお相手の男性にも姉に一目惚れしてフェイドアウトされた。

 結局はこうなるのかよ……ここ数年は自宅と会社の往復、あとたまに腐れ縁と飲むくらいの付き合いしかしていない。さすがにこのままでは蕾のまま腐ってしまう! と一念発起しているが成果は得られず、そうかと言ってもう二度とあんな思いをしたくないという思いも多少ながら燻っている。

 姉のことは勿論大好きだから、今更そのことを蒸し返してグズグズ言うつもりは毛頭ない。けれど霜田さんの時も結局その展開だったので、最早恋の女神に嫌われてんじゃないかと天を仰ぐしかない今日この頃。なので、今更元カレと再会したところで気まずい以外何も思わない。ただ古傷の瘡蓋かさぶたを引っ剥がされた地味過ぎる苛つく痛みが残っている。


 それから数日が経ち、これまたご丁寧に保科酒造で働いている降谷から元カレ帰国のメールが届いた。

【結構前に戻ってたらしいんだ、俺も最近知ったんだけど】

 降谷とは今でも細々とした付き合いが続いている。お互いに恋愛感情で見る必要性の無い間柄なので、何というか気楽に付き合える男だ。

 降谷の話によると、これまた大学時代につるんでいた小久保こくぼという名の男……元カレの幼馴染なんだけど。その小久保が言うには、正月休みに高校の同窓会でサプライズのようにひょっこりと現れたらしいのだ。

 小久保とは確か一番仲が良かったはずだ、それなのに帰郷の連絡すら入れず今年になっていきなり姿を見せた。一体どういうつもりなのか? 今更気にしてやる必要も無いのだが何かモヤモヤする。そんなことを考えていると、久し振りに大学時代のグループメールが作動する。発信者は小久保、多分元カレの話題だろうな。

【小久保:明生の件、伝わった?】

 一応見ているが反応はしない。

【降谷:五条には伝えた】

亘理わたり:んじゃ全員に伝わってるな。にしてもアイツ三年半も前に戻ってきてて何で教えてくんなかったんだろうな?】

【降谷:これも外してるし連絡先も変えちまってるし。ソウルにいた時はローミングで連絡取れてたんだぞ】

 へぇ、そうだったんだ。全然知らなかった。

【小久保:やっぱりか。俺実家にまで連絡したけど、ご家族の方も本人に伝えますでそれきりだったんだ】

【亘理:俺もそんな感じ、誰に聞いても似たようなもんだった】

 みんな何だかんだで情報収集してたんだ、小久保にしろ亘理にしろ県外で働いてるのに。

【小久保:言っても大した用事がある訳じゃないからさ、そうしょっちゅうご実家にも連絡しづらくてさ】

 じゃあ何かあったのかな? 三年半も前に戻ってるのであれば、前の会社を辞めたのってもっと前になるよね?

【小久保:正直五条には言ってると思ってたんだけど】

【亘理:ソウル行き直前で別れてるから逆に言いにくくないか?】

 別れた女に今更用なんて無いでしょ。

【降谷:俺たまに会うけどそんな素振り無かったぞ】

【亘理:口止めされて黙ってたにしてもあいつ女優じゃないからなww】

【小久保:すぐ挙動るから多分気付くww】

 ちょっと参加してないと思って人のことネタにしてんじゃないわよ。まぁ三人ともいっつもこんな感じだし、隠し事のできない性分ではあるけどさ。

【降谷:で、今はどうなんだ? 元気そうか?】

【小久保:病気してる感じじゃないけどかなり痩せてた】

【亘理:ってかやつれたよな、ソウルで何があったんだ?】

【降谷:知るかよ、悩んでたにしても連絡よこせっての。できることなんて大して無いけどさ、孤独じゃないと思えればどうにか何とかなんないか?】

 ホント降谷は変わんない、一見滅茶苦茶なんだけどメンタルは安定してるんだよね。

【降谷:俺らがどこかしら受け身だったのも明生の口を閉ざした原因の一つかもしれない】

 突き放してそうで突き放してない、伝わりにくいけどこの男なりの優しさが垣間見れる内容だ。

【降谷:けど顔を見て会話できない以上察してやるのは無理がある。気が変わって戻ってくることがあれば受け入れるつもり、それでいいんじゃないか?】

【亘理:だな、メンタルシックの可能性もあるし】

【小久保:気長に待ちますか】

 これでグループメールは静かになった。多分元カレの元にみんなの思いは届いていないのだろうけど、仮に連絡先を知っていたとしてもこのことは多分知らせないと思う。私はケータイを閉じ、のんびりとした休日を過ごすことにした。

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