quarante-cinq
私たちはゆっくりと食事を楽しみ、大して内容の無い雑談で盛り上がった。先輩……ではなく兄はそれほどお酒が強くないらしく、グラス一杯のビールでほろ酔い状態になっていた。一方の姉はいいペースで熱燗を一升近く消費し、せんぱ……兄の隣に寄り添って上機嫌だった。冬樹は未成年なのでお料理を余すところなく平らげ、食の細い秋都の分にも侵食してご満悦だ。酒好き秋都はお料理そこそこお酒ガンガンと言った感じで、私は完食しつつ地ビールもたらふく頂いた。
「ん~余は満足じゃ~」
仲居さんの片付けが終わった後、冬樹はお腹をさすって寝っ転がる。
「ほらまだ起きてなさい、消化に悪いから」
「え~じゃあはる姉ちゃん起こして~」
んもぅ~、姉は少々面倒臭そうにしながらも冬樹の側に歩み寄って体を起こす。姉は何気に酒豪なので一升飲んだくらいではさほど変わらない、結構な量だとは思うが。
「はる姉ちゃんお酒臭~い」
「だったら離れなさい」
「やだ~」
冬樹は嬉しそうにギューッと抱きついてる。五条冬樹十九歳、甘えたい年頃です?
「きょうだいずっと一緒~」
「急に何言い出すの? あんたこそっとお酒飲んだんじゃないでしょうね?」
「飲んでないよ~、僕未成年だよ~」
「ほらもうちょっとしっかりして」
姉は冬樹の背中をポンポンと叩いて宥めてるけど効果はあまり無い。
「いたる兄ちゃんもこっち来て~」
「おっおぅ……」
先輩もとい兄は冬樹に呼ばれ戸惑いながらも二人の側に寄っていく。冬樹は早く早くと手招きし、手の届く辺りまで近付いてきたところでせん……う~ん慣れないなぁ、もうこのまま進めよう!先輩の体に抱き着いた。
「えっ?」
「むぎゅ~っ」
「ちょっとふゆ! 何であんたが抱きついてんのよ~!」
先輩は冬樹に抱き着かれて慌ててるし、姉は弟の浴衣を引っ張って嫉妬むき出しで引き剥がそうとしている。これちょっとしたカオスだな……秋都は呑気そうに面白がってるけど。
「ハハハ、はる姉も抱き着きゃいいじゃねぇかよ」
そんなからかいの声は三人に届いていないようだ。
「んもぅ! 退きなさいふゆっ」
「え~やだ~っ」
何でよぉ~、姉は泣きそうな顔で冬樹の背中を叩いてる。
「はっ春香、これは別に……」
「分かってるわよぉ、分かってるけど……」
先輩は姉に助けを求めるような視線を送ってるけどそれに気付かない姉は冬樹の態度に拗ねてしまっている。
「ふゆ、ちょっと離れよう。春香が……」
「んじゃこうしたらいいの~」
冬樹は片方の腕を先輩から外して姉の細い腕を掴むといとも簡単に引き寄せてしまった。普段へぼへぼなのにどこにそんな力があったんだ? ってくらいに姉の体は二人の方に引き寄せられ、首根っこには冬樹の腕、腰には先輩の腕が巻き着けられた。
「これならいいでしょ~?」
「至君と二人が良かった」
「え~はる姉ちゃんワガママ~」
ったく何やってんだ男三人で……でも冬樹は人見知りが激しく、こういう態度を見せる事ってほとんど無い。
「何か面白そうだから俺も参加しよ」
軽~く酔っ払ってるっぽい秋都も抱き着き合ってる男の集団に混ざる。いくらきょうだいでもそこに入るのは無理だわなんて苦笑いしてたら私のバッグの中からブーンと音が聞こえてきた。ん? これは職場っぽいな……と気になってバッグからケータイを取り出すと弥生ちゃんからのメール、何だろ?
「なつ姉ちゃんまたメール〜?」
冬樹は不服そうにこっちを見てる、いや同期だから許して。
「仕事関係かも知れないから」
「構わないわよ、それを無視するのは良くないわ」
うん。私は姉のお言葉に甘えてメールをチェック。
【社長から伝言、火曜日出勤したら社長室に寄ってくださいとのことです。それとちょっとだけ通話させてもらってもいい?】
ん? メールで良かったんだけど……こんなこと珍しいしあんまり残したくない内容なのかな? 弥生ちゃんそういうの割と気にするからこっちから掛けようか。
「同期からだった、ちょっとだけ通話してくる」
分かった。姉は私ににこやかに返事してるけどその絵面おかしいからね、男四人抱き着き合って塊●みたいになってんじゃないの。私は何ともシュールな四人を尻目に部屋を出て弥生ちゃんの番号に通話すると……。
『夏絵ちゃん? ゴメンね旅行中に』
「うん平気、ちょうど男のじゃれ合いに付いてけなかったところだから」
『へぇ、五条家って仲良いよね。私一人っ子だから羨ましいな』
いえね、それを実際に見ると結構滑稽よ。ましてうちクロスドレッサーとバイがいるからこんなのが横行してて……無菌室の箱入り娘には毒だと思うよこの環境。
「ハハハ……やめといた方がいいよ、煩いだけだから」
『そうなの? 大人しか話し相手がいないのも寂しいよ……あっ、本題から逸れるところだった』
お~そうそう、通話にしたかった内容って何?
「仕事で何かあったの?」
『う~ん、仕事でじゃないんだけど……今日は水無子さん、東さん、睦美ちゃんの四人で会社を出たのね』
「うん」
『そしたら会社の入り口前で誰彼構わず声を掛けてる男の人がいたの』
「うわっキモッ! 何それ?」
物騒な世の中になったなぁ。
『でしょ? 出る時は別の人が捕まってたからそれで良かったんだけど、こんな時に限ってお弁当箱忘れちゃって』
「うんうん」
『戻る時はその人から視線逸れてたし営業課の軍勢に紛れられたから。で、忘れ物取りに戻ってタイミング良く社長に会えたから報告だけしたのね。社長が警備に連絡して追っ払ってもらって一緒に出てくれたまでは良かったんだけど、みんなと合流するまでの一本道でその人に捕まっちゃって『海東文具の方ですよね?』って』
「えっ? それで?」
うわぁ~怖いなぁそれ。
『うん、見られてた可能性もあるからそこははいって答えたんだけど……その人『五条夏絵さんはどちらに?』って聞かれたからさすがにそんなの言えないじゃない。だから分かりませんって答えたら『一緒に働いてるんじゃないのか?』って凄まれて』
え~知らない所で迷惑掛けちゃってるよ私……。
「ゴメン弥生ちゃん、私のせいで怖い思いさせちゃって」
『どうして夏絵ちゃんが謝るの?』
えっ? だってそいつ私に用があったんだよね?今日たまたま有給取っちゃったがばっかりにこんなことになってるんだから。何でそうなったかなんて分からないけど、そこに私が関わってる以上やっぱり私にも一定の責任はあると思う。
「だって今日出勤してたらこんな事態には……」
『ならなかったかも知れないけど私が忘れ物をしなければ防げたことなのよ、そいつの行動にまで責任を感じる必要は無いと思うけど』
「いやでもさぁ……」
『幸い怪我も無かったし運良くみんなが私を心配して戻ってきてくれたから大丈夫よ。水無子さんが『課が違う人だと思うから分からない』って執り成してくれて。『知り合いならご本人に直接連絡なさったらいかがですか?』って言っても『返信が無い』でゴネられて、『なら同じ会社の人間全員の勤務実態をいちいち把握してますか?』って訊ねたら『してる』って言うし……』
何そいつ? 頭おかしいんじゃないの?
「そんなの把握してても教えるわけないじゃない」
『でしょ? だから『あなたが逆の立場であれば教えますか? 個人情報保護法に違反しませんか?』でやっと解放されたって感じ』
水無子さんたちが戻ってきてくれたのは良かったよね、けどそいつどんな感じの奴だったんだろ?
「弥生ちゃん、怖くて思い出したくもないかも知れないけど」
『そりゃ気になるよね? 身なりもきちんとしてて育ちは良かったんだろうなぁって感じの方だっただけに悪目立ちしてた印象。ひょっとしたら声を掛けられて浮足立っちゃった人も居そうだから火曜日の出勤はちょっと用心してた方がいいかも』
「うん、気を付けるわ。ありがとう、事前に教えてくれて」
『そんなのいいよ、あまりメールとかで残さない方がいいような内容かなって思っただけだから。それに何も知らないまま詮索されちゃうのも具合が良くない気がして。こんな話しておきながらアレだけど旅行、楽しんできてね』
「うん、ありがとう。お土産買ってくるからね」
『楽しみにしてる、じゃあまた火曜日ね』
おやすみ。私たちはそれで通話を切った。さて部屋に戻るかと思ったら秋都が財布を持ってすぐそばに来ていた。
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