第四章 2.
ティセの体が強ばるのが見て取れた。しかし、これは初めから決まっていた話だ。雪が溶けるまでこの小屋にいてもいい――そういう約束だったはずだ。
リイザルは、ふうとため息を吐いてから、言う。
「彼女はボクの婚約者でね。返してもらうよ、力尽くででも」
トウヤは言い返そうとした。けれど、うまく頭が回らないことに気付く。頭が回らない理由も、考え付かない。何か言い返さなくては、主導権を握らねばという、なんの意味もない思考だけが頭蓋の中を反響する。
カラカラに渇いた喉の奥で、ひゅうひゅうと息が鳴っている。そしてそれは、傍目からは有無をも言えない様子に見えてしまうほどの醜態だった。
「では、入らせてもらうぞ」
リイザルが命じ、それに答えるように、槍を構えた騎士が数名、小屋へと押し入ってきた。トウヤは何も抵抗できず、押し退けられるままに彼らの浸入を許してしまう。
「い、いや、やめて下さい! 私は、外へ……世界を見たいんです!」
「そのようなことは言わずに、どうか一緒に来て下さい。あなたは次期王女となられる方だ、この国のために、さあ!」
騎士が、ティセの腕を掴む。彼の言葉からも分かるように、それは節度ある接触であったはずだ。しかし、その手は払われた。大きく振るったティセの腕と、そしてその悲鳴によって。
「やめて! 私を、構わないで! 私はここにいたいの! もうあのお屋敷には、戻りたくないんです!」
小屋の外にも、その悲鳴は響いたのだろう。リイザルは不満げに顔を歪めて、側近の騎士になにやら耳打ちする。騎士はすぐさま走り、小屋へと突入してきた。入り口の脇に、まるで枯れ木のように立ち尽くしていたトウヤは、その浸入を阻むことはできなかった。
「きゃあ! や、やめて! 放して!」
騎士が二人がかりで、ティセを無理矢理に抱え上げていた。それは王子の婚約者をお連れするというような様子ではなく、まるで人攫いのそれだ。じたばたと暴れるティセを、まるで狩りの獲物のように抱えて連れ出そうとするのを見て、トウヤはギリと、奥歯を噛み締めた。しかし、体は微塵ほども動かない。
「トウヤさん!」
ティセが呼ぶ。彼女の顔を見ることができない。どろどろに汚された、小屋の床を見るばかりのトウヤ。しかし、どうしてか彼の目には、ティセが泣いているところが見えた気がした。
「トウヤさん、助けて! 私を一緒に、連れて行って!!」
それは、悲鳴にも似た懇願だった。形など持たないはずの声が、肉体を切り裂くような痛みがある。その正体を、トウヤは理解できない。頭がまったく働かない。ただの痛覚として、神経をジリジリと焼かれる拷問にあっているような気がするばかりだった。
森に積もった雪を落とすような、少女の悲鳴。それを聞いて、リイザルは不快げに顔を歪めざるを得なかった。無理もない。ティセは、連れて行かれることに対して悲鳴を上げているのだから。
「……彼女を確保したあと、第二の作戦を実行するのだ」
側近に命じる。彼は苦い薬草を噛んだような表情となったが、結局は御意と答えるだけだった。
ティセが、小屋の外へ出てきた。運び出された、というべきかも知れない。両手、両足を騎士に掴まれ、荷物か家畜のように運び出された彼女の姿を見て、誰もが悲しげに目を伏せるしかない。端から見れば、悪い魔法使いに誑かされた哀れな娘、まさにそれなのだから。
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