第四章 1.

 ドアが、ノックされた。トウヤの体はその瞬間、凍り付いたように動きを止めていた。ティセが何かを言うより先に、彼の目線がそれを制す。不必要なまでに静まり返った小屋の中では、精霊の呟きですら聞こえそうなほどだった。

 再度、ドアが叩かれる。続けて、大きな管楽器のように太く、よく通る声が飛び込んでくる。

「私は、リシュウト国精霊騎士団、スルト・フィーレである! 森に住まう異邦人に用あって参上した! 抵抗の意思なければ貴殿を傷付けることはないと、騎士の誇りと精霊主に誓おう! 十数える間に扉を開け放たれよ!」

 カウントダウンが始まる。トウヤはティセに視線を向けた。

 リシュウト国。彼女の祖国だ。そして精霊騎士団――すなわち、軍隊のようなものだ。それも、最精鋭の。

 ティセは、訳が分からないとばかりに目を白黒させている。トウヤはそんな彼女を視界の端に捉えながら、一瞬だけ考えた。文字通り、一瞬。その一瞬でトウヤは、ここでの抵抗は危険だと悟った。どんな理由があってここにやってきたのかは分からないが、殺すつもりであれば、すでに小屋に火を放っているだろう。

 トウヤは、ドアを開けた。兵士は八を数えようとしていた。

 ぞっとするような、白い空気が流れ込む。その冷気の中に、微かに懐かしいような甘い香りと、それとは別の鉄臭い香りが混合している。それはトウヤの警戒を最上級まで引き上げるのに充分だった。

 ドアを叩いたであろう騎士は、こちらを向いたままするすると下がる。背中に隠しきれていない槍が、銀色に太陽の光を反射した。

 いかにも軍隊らしい集団の中央に、大きな馬にまたがった男がいた。顔立ちがトウヤとは異なり、ティセと同郷であることを示す白い顔に、少し意外そうな表情が浮かんでいる。その男が、にぃやりと笑って口を開いた。

「ワタシはリシュウト国次期国王、リイザル・フェン・リシュウト。今は、精霊騎士団の騎士団長も兼ねておる」

 仰々しい貴族言葉でそう言い放って、そして男――リイザルは続けた。

「……この森で生きている魔法使いだ、どれほど人間離れした魔物なのかと思っていたが、ほとんど人間と同じ姿だとはな。いや、それとも男であるというのは、ワタシにそう見えるだけ、ということだろうか?」

 偉そうな喋り方だ、とトウヤは思う。よくよく考えて、それなのにほとんど間をおかずに、トウヤは言葉を返す。

「僕が魔法使いであることは間違いないけど、魔物と呼ばれたことはないですよ。この森に棲んでいる魔物たちのように、人間を襲うようなこと、普通はしない」

 打てば響くような答えに、リイザルはふんと鼻を鳴らした。頭はいい。そしてそれは、彼の有利を示している。

 頭のいい人間なら、これだけの数を相手に抵抗はしない。

「まあ、貴殿の正体がなんであろうと、それは構わない。こちらも人間で、話が通じる相手となら、わざわざ矛を交えようとは思わないのでね」

 だとすれば、用件は一つ。トウヤはちらりと、ティセのことを伺った。彼女は、生まれ落ちたばかりのウサギのように、小さく震えていた。

「ここに、ティセがいることは分かっている。彼女を奪い返す為に、我々はここにいる」

 リイザルの言葉は、すなわち宣告だ。トウヤは表情を変えずに顔をしかめた。

「奪い返す……まるで僕が、無理に彼女をさらったような物言いだ。けれど、誤解ですよ。彼女は、森を抜けられないから、雪解けまでここに居候することになっただけです。現に、あなた達も、そんな物々しい格好をしなきゃ森に入れない。そんな森から、彼女が無事に抜け出す可能性は、極めて低い。そうじゃありませんか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る