第三章 5.
年齢不詳な視線で、彼は僕のことを値踏みするように見下ろして、それから言った。うちの妹が直接会いたがっている、と。
なるほど、値踏みされるのも頷ける。きっと彼にとって彼女――妹とは、とても大切な存在なのだ。そして、その妹が会いたがっている男が、果たして彼女に悪い影響を与えないかが、心配なのだ。
僕には、兄弟がいない。だから、背の高い疲れた顔をしたこの人からにじみ出す優しさや、その裏返しである警戒心が、ある意味で心地よかった。
「実は、」と男が言って、手探りの会話が始まった。「うちの妹……知ってるか?」
「実は、」と「知ってるか?」の文章の噛み合わなさが、彼の混乱を伝えてくれる。と同時に、僕もそんなどうでもいいようなことを気にしてしまうほど、この場から逃げ出したいと感じていたのだ。
「……あの、窓の、女の子?」
ですか、とは訊ねなかった。どうしてだろう、僕より明らかに年上のこの男に対し、僕は敵対心でも抱いていたんだろうか。
男は答える。しかし、僕の問いには答えない。
「あいつは、病気なんだ」「もう、長くない」「助けてくれとは、言わない」「ただ、あいつの心を、落ち着かせてやって欲しいんだ」
細切れの会話。いや、一方的過ぎて会話にもなっていなかったと思う。僕は頷くことも相槌を打つこともできずに、じっと彼の目を見上げることしかできなかったからだ。
「…………」
「…………」
沈黙が降りた。何を言うべきか、お互いに探っていた。僕は何かを言い返したかったけれど、しかし言葉はやってこなかった。幽霊が通ったような沈黙の中で、彼は絞り出すように言う。
「……妹に、会ってやってくれ」
そして、頭を下げた。どうしてそこまでできるのかと問い質したくなるほど、肩肘の張った、まるで直方体みたいなお辞儀だった。
「あ、や、止めてください……!」
頭を上げてください、と言うべきだったが、僕はどうしようもなく子どもだった。そして彼は、子ども相手に、本気で頭を下げているのだ。
「会います、会いますから! そういうの……止めてください」
彼は、顔を上げた。その時の表情を、僕はうまく言葉にすることができない。どこか傷付いたような、でも安心したような、そして何より、僕に縋るような顔をしていたのが印象的だった。今になって思えば、彼は僕に対して、初めて笑顔を見せたのかも知れない。
彼は、僕を家に招き入れた。ろくに知らない家に入るのは後ろめたいものがあったが、他人行儀な階段の上に彼女がいると思うと、足早に上階へと上り詰めてしまっていた。
ノック。返事が聞こえる。「はぁい」柔らかい声だった。両手いっぱいにすくい上げて、そっとその香りを楽しみたくなるような声だった。
ドアが開いて、僕はついに、同じ目線で彼女を見ることができた。窓越しではわからない、首筋の細さや、痛々しいまでに痩せた手が見えて、僕は少しだけ、ここに来るべきじゃなかったのかも知れない、と後悔した。
「始めまして」
彼女は言った。はにかむように笑い、そして、そっと囁くように、名乗る。
「ミキです。未来って書いて、ミキ。よろしく」
未来という言葉は、逃れられない死を受け止めて尚、未来を信じる彼女にぴったりな名前だった。
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