少年は別れを惜しむ
「ご明察」
澄んだ声がかかり、ロムは後ろを振り返った。いつから居たのか、白銀が静かに立っていた。
「今来たばかりだよ」
口に出していない疑問に答えが返ってきた。心が読めるのは魔法使い同士だけのはずだけど。顔に出ていた?
そばに控える使い魔が、倒れた茶器に気が付いて駆け寄って来た。倒したのは自分なので、申し訳ないと思って手伝った。
ザラムが、舌打ちをしながら白銀に話しかけていた。
「知ってたなら、すぐ、教えろ」
「そのために来たんだよ? でも、自分達で気付いたようだね」
「まだ、頼んでない。何、企んでる?」
「教えろと言ったり疑ったり、ちょっと矛盾してないかな?」
ザラムが面白くない顔で黙り込み、白銀は逆に楽しそうに微笑んでいた。
最初に来た時も似たような雰囲気だった。二人は旧知の仲と聞いたけれど、その仲が良いわけではないようだ。
なんとなく。言葉は悪いけれど、弄ばれているような気がした。そしてなんとなく、音楽と美術の某先生を思い出して、やっぱりなんとなく、ザラムに同情した。
「確かに、私は頼まれない限り動かないのだけど。今回は、うちの子達から手助けするよう懇願されてね。皆、君達の事が大層気に入っているようだ」
ロムの側で机を拭く使い魔の、フカフカな狐耳が忙しなく動いた。覗き込むと慌てて布巾と茶器を抱え、顔を袖で隠しながら部屋を出て行った。
本人が居る前でバラさなくてもいいのにと、使い魔にも同情した。そんなに意地が悪くても慕われているのかと呆れもした。
「さて、転移先を決めなければね」
白銀は、支えの付いた球体を机の上に置いた。
「それは何ですか?」
「最新の世界地図だよ。東にある大陸は知っているだろう?」
知らない。でもトールは頷いた。彼は名付け親と世界を旅していたと言っていた。行った事があるんだろうか。
球体の表面には、二色に色分けされた地図が描いてあった。帝国の名が書き込んであるのが今居る大陸とすると、東に広い海が広がり、その先に帝国と同じくらい広い大陸があった。
「そうだねぇ……このあたりがいいだろう」
すらりと伸びた指先が、その西岸を指した。トールが眉根を寄せた。
「もう少し東が良いのではないか?」
「あまりギリギリを狙うものじゃないよ。間違って朝に入り込んだら大変だからね」
「どうなるんですか?」
「事故、起きる」
「……事故?」
「海の中か、空の上か。見当違いの地に飛ばされるのだよ。万が一、岩の中にでも転移してしまったら……」
「そ、それ以上、言わなくていいです! わかりましたから……」
「それに、この辺りなら人里が少ない。この地に住む者達は縄張り意識が強くてね。下手に接触すると色々と面倒だよ? 急ぐのだろう?」
「それは、もちろんです……」
「決まりだね。ちょうど、君達の荷物も届いたようだ」
玄関の方から物音が聞こえた。王府に行ったフーヘンが、荷物を持って来てくれたのだと思う。
しかし、それにしては足音が多い。一人は随分と雑な音を立てている。フーヘンにしても使い魔達にしても、もう少し静かに歩くと思う。
「ロム!」
騒々しいままで部屋に入ってきたのはホンジョウだった。少し遅れてフーヘンも入ってきた。
「出歩かれていいんですか? 奥様の具合は?」
「平気だよ。怪我はないし、君達が大変だと知ってケツを叩かれたくらいさ。俺が来たって、何の役にも立たないのにねぇ」
「全くです。猫の手の方がマシですね。それより、アイラス様は大丈夫なのですか?」
酷い言われようだった。ふてくされたホンジョウを横目に、フーヘンに笑いかけた。笑う余裕ができている自分に少し驚いた。
「大丈夫です。一応、追う目処はつきました」
「では、行ってしまわれるのですね……」
そうだ。クロンメルに戻るという事は、ここの人達と別れるという事だ。慌ただしくて、心の準備ができていなかった。
フーヘンが荷物を差し出しながら微笑んだ。
「また今度、ゆっくりいらして下さい。次は観光にでも」
思わずその手を取った。フーヘンは訝しげな顔をしたけれど、そのまま固く握りしめた。
次があるとは限らない。魔法が無くなると、この地に容易く来られない。次に会う事は、もうないかもしれない。
こみ上げてくる気持ちを抑え込んで、言葉を絞り出した。
「すみません……。たくさん、お世話になったのに、きちんとお礼もできずに……」
「そのような事を気になさるには、あなたは若すぎます」
言いながら、握りしめた手が外された。革袋の紐をしっかりと握らされ、彼の大きな手が包み込んできた。
「今はもっと、周りの大人を頼って下さい。そのために、大人は先を歩いているのですから」
「でも……」
「あーもー、面倒くさいな! そこはさ、ありがとう、で良いんだよ! 人ってのは、お礼を言われたくて助けるんだからさ」
それはちょっと違うだろうと思ったけれど、ホンジョウらしくて笑ってしまった。
ふと思い出した。宝刀を借りたままだった。荷物を肩にかけ、肌身離さずにいた刀を腰から抜き取ろうとした。
その手に、今度はホンジョウの手が重ねられた。皇帝やフーヘンに比べ、随分と柔らかい。女性の手のようだと思い、失礼だから顔に出ないように気を付けた。顔に出やすい質のようだから。
「いいよ。それはロムにあげる」
「……えっ。……え!? ダメでしょう、高いって言われてたじゃないですか! また奥方様に叱られますよ?」
「それとコレもね」
こっちの話なんか聞いちゃいない。勝手に革袋の口を開け、ジャラジャラと音のする小さな袋をねじ込んでいる。嫌な予感しかしない。
「ちょ、ちょっと! 何入れてるんですか! これ以上は頂けないですよ!」
「これは俺からじゃないよ。バカ兄貴から」
「バカ……? 皇帝ですか?」
「そ。アイラスちゃんに肖像画の報酬を渡してなかったんだってさ」
アイラスの名を出され、気持ちが張り詰めた。緊張が伝わったのか、ホンジョウの顔からも笑みが消えた。
「詳しい事はわかんないけどさ、助けてあげなよ。ロムの大切な子、なんだろ?」
「……はい。絶対に……!」
改めて皆に礼を言い、トールとザラムを振り返った。
「では、行くかの……!」
「行こう」
強く頷いて、差し出された手を取った。
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