少女の思惑
アイラスは赤い夕日が照らす道を歩いていた。隣にはザラムが、前方には五親王府の門が見える。
門の前に辿り着くと、思わず息が漏れた。疲れのせいか安堵のせいかわからない。どっちでもいいやと考えて、後ろを振り返った。
そこには狐の耳を持つ少女が二人控えていて、両手を胸の前で組んで頭を下げてきた。フカフカの耳が夕日の色に染まっている。
触れてみたい気持ちをぐっと我慢して、アイラスも頭を下げた。
華奢な少女達に見えるが、護衛も兼ねて白銀様が付けてくれたのだから、腰刀はただの飾りではないのだろう。
毎朝、彼女らは王府に迎えに来てくれて、城で共に文献を漁り、夕方また送り届けてくれていた。
共にと言ってもアイラスは雑用ばかり、ザラムも目が見えないので内容の検証だけで、主に調べていたのは文官と少女達だった。
その少女達と別れて門を潜ると、すぐに武官らしき人がやってきた。ザラムと短く言葉を交わし、案内するように先に立って歩き始めた。
周りの言葉がわからない現状は、クロンメルに来たばかりの頃に似ていた。あの時はトールが、今はザラムが通訳してくれるので、そこまで不便を感じない。
ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちで彼を見ると、小さくため息をついていた。
「今日も、ダメ、だった……」
ぽつりと独り言のように呟いた。
成果はほとんどなかった。分霊の法が存在したという事実だけは、そこかしこで確認できた。でもその手順となると、どこにも見当たらなかった。——らしい。
目の前で気落ちするザラムに、何と言葉をかけていいかわからなかった。分霊できなければ、彼の大切な人——ミアも戻らない。
自分が悪いわけじゃないと理屈ではわかっていても、酷く残酷な事をしている気がした。
「ゴメン……」
謝っても仕方のない事だとわかっていても、言わずにはいられなかった。
「謝る、要らない」
「でもミアが……」
「ミア死んだ、仕方ない。アイラス死ぬ、仕方ない」
思わずザラムをマジマジと見た。以前はうんざりする程しつこかったのに、今は諦めの色が見えていた。
それは少し安心で、少し残念だった。アイラスは返す言葉が見つからなかった。
「——でも」
「でも?」
「記憶、戻せ」
企んでいた事を言い当てられた気がして、さらに何も言えなくなった。
帝国の資料や記録は膨大だが無限ではない。全て探して見つからなかったら、諦めてクロンメルに帰ろう。そして約束の絵を完成させ、もう一度みんなの記憶を消し、今度こそ全てを終わらせよう。そう思っていた。
ザラムがアイラスの方に顔を向けた。
気配を追っているだけで、見えているわけではない。それがわかっていても、見られている気がして、思わず顔を伏せた。
「ロム、弱くない」
驚いて顔を上げた。やっぱり見透かされている。
どうしてわかるんだろうと考えて、自分と同じなのだと気がついた。彼も、最も大切な人を中心に考えている。
アイラスの足が止まり、彼も立ち止まった。武官が訝しげに振り返ったので、慌てて歩みを進めた。
「ロム、強くなった。アイラスの、おかげ」
「わ、私……?」
「うん」
頷く言葉が弾んでいる気がして、横顔を伺った。
少し微笑んでいた。子の成長を喜ぶ親のように。
自分とそう違わない外見の彼が、随分と大人びて見えた。彼の本当の歳は幾つだったか。
一息吐いて、港へ向かう前のロムを思い出した。以前とは違う安定感があった。そう、強さを感じた。自分がその強さの一因になれたのなら、それは喜ばしい事だった。
「オレ……」
歩きながら、ザラムが再び話し始めた。
「記憶、無い時……何か、足りない、わからない。苦しかった」
静かな言葉が刃物のように胸に突き刺さった。自分が最善と思う方法は、間違っているのだろうか。
「オレも、ロムも、想い出で、生きていける。だから、戻せ。……もう、消さないで」
ずっと命令口調だったのに、最後は懇願のようだった。
それでも、アイラスは応えられなかった。
ずっと、他に方法はないと思っていた。だから迷わずに真っ直ぐ、そのためだけに進んできた。今になって間違っていると言われても、すぐに納得できなかった。
無言のアイラスに業を煮やしたか、ザラムが三度口を開いた。
「それに、トール」
「……えっ、トールが、何?」
「記憶、消えない」
「え……えっ? 何? どういうコト?」
「支配する者、忘れない」
「……私が支配される側だから? トールには、忘却の魔法が効かないノ?」
「そう。トールだけ、アイラス、忘れない」
今度こそ絶句した。
最初から変だと思っていた。
あの時、同じように魔法をかけたつもりだった。それなのに、トールだけ最初から全て覚えていた。納得のいく理由を突きつけられて、ぐうの音も出なかった。
同じ事をすれば、また彼が独りで秘密を抱え込む。ロムのためだけに、優しいあの人にそれを強いるのか。
再び足が止まり、今度は動かそうとしても動かなかった。地に足がついた感覚がしない。どうやって立っているのかすらわからなかった。
武官が心配そうにアイラスを見ていたが、いつものように笑顔を作れなかった。
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