少年はお茶を飲んだ
「ホンジョウから頼まれたんですか?」
先を歩いていたフーヘンが立ち止まった。振り向いて、何も言わずに横を向いた。視線を追ってみると、女官が一人歩いていた。
——聞かれて困る内容か。
フーヘンが女官に向かって歩き始めたので、何も聞かずに後を追った。
彼がお茶と部屋を頼むのを聞きながら、理由を色々と考えた。
昨日彼は、馬車で城に戻って以降この王府に来ていない。夕方に城から、諸々の文書を持った文官がやってきた。その時に同行の話は聞かなかった。
今朝もホンジョウは早朝の謁見に行っていて、彼とは入れ違いになっているはずだ。
——じゃあ、もしかして、皇帝から? 何のために?
「参りましょう」
呼びかけに我にかえると、足早に去る女官の背中が見えた。
小さな部屋に案内され、すぐに女官が盆を持って入ってきた。
盆には蓋付きの器が二つだけ。湯気が見えるので温かいお茶、だと思う。今まで出された物と様子が違った。
女官が去ってから聞いてみようとタイミングを見計らっていたら、フーヘンが先に口を開いた。
「港への同行は、皇帝からの命です」
「理由を聞いてもいいですか?」
「表向きは、不慣れな異国人だけでは不便だろうとの仰せです」
「裏があるんですか?」
「三年前のロム様を覚えていた武官が他にも居ました。危険因子ではと皇帝に申し立てがありました」
思わずこめかみを抑えた。それで昨日の謁見でやたらと注目されていたのか。十分考えられる事態だったのに思い至らなかった。
「皇帝は何と答えたのですか?」
「もちろん一蹴されましたよ。私の言を信じて頂けました。ですが、それを快く思わない輩が居ます。不穏な事を企んでいるのではないかと……」
「嫌がらせですか?」
「その程度ならいいのですが……」
フーヘンが言葉を濁らせた。はっきり言わない、言えない内容は何だろう。
——まさか、暗殺? 部外者なのに?
「ロム様が皇帝に目をかけられた事が気に入らないようです。都の中なら、お護りするのも容易いのですが……」
つまり、フーヘンは護衛としてついてくるわけだ。
でもロムの記憶では、帝国に強大な裏組織はなかったように思う。そのため、帝国内からの仕事も『人狼』には度々入っていた。
他に『人狼』の生き残りが居て、その技を継いで新しい組織が作られた?
適当に考えたけれど、それは有り得ない。三年前、自分以外は確かに死んでいる。それより前に抜けようとした者が居たとしても、全員処分されているはずだ。
素人紛いの暗殺なら、避けるのは難しくない。わざわざ彼の手を煩わせる必要があるだろうか。
「ご納得頂けないのはわかります。しかし、皇帝のお気持ちもご理解頂きたいのです」
皇帝の気持ち? そっちの方が不穏なのだけど。
「万が一があってはと、とても心配されています」
「は、はぁ……」
「大変気に入られているのですよ」
「俺の出生を知った後でも、そうなんですか?」
「ええ。そんな次元ではありませんからね。五親王のお客人でなければ……」
「それ以上は言わないで下さい……」
「白銀様から五親王にご紹介頂いたそうですね。流石というか何というか……あの方も抜け目がありませんので……」
白銀とはあのボロ寺の僧侶の事か。通り名だろうか。
皇帝の趣向を知っていたのに教えてくれなかったのかと、フツフツと恨みが沸いてきた。いや聞かない方が良かったか。確かに知りたくもなかった。
今度は恨みの矛先が、最初にバラしたホンジョウに向いた。
「ご納得頂けましたか?」
「いきませんが、するしかないでしょう……」
「では、お茶を頂きましょう。少し冷めてしまいましたね」
フーヘンは蓋をずらし、指で器用に押さえながら口元に運んだ。隙間からたっぷりの茶葉が見えた。口に入らないように蓋で押さえるらしい。
仕組みはわかったけれど、できる気がしない。今まで出されたお茶は、もっと小さな茶器で蓋もなく、茶葉も入っていなかった。
「どうかされましたか?」
「あ、の……この、お茶の飲み方は、したことがなくて……」
「ああ……」
微かに笑う声が聞こえた。恥ずかしい。帝国の作法は網羅しているつもりだったけれど、これは知らなかった。
「申し訳ありません。手間を減らそうと手軽なお茶を頼みました。両手を使って頂いて構いませんよ。女性はこうやって飲みます」
示されるのを真似て、左手で器、右手で蓋を押さえて、ゆっくり口を付けた。女性の所作かと思うと一段と恥ずかしい。でも仕方がなかった。
あっさりした軽いお茶だった。時間が経っているのに渋くない。そういう種類なのかなと思った。
「我が国に暮らした事があるわけではなく、作法だけご存知なのですね」
「はい……仕事で行く国の事は、一通り教わりました……」
「簡略的な飲み方ですので、作法の心得には無いでしょうね」
フーヘンがまた笑った。笑い過ぎだと思う。睨んだ目に、彼はすぐに気が付いた。
「失礼しました。年相応なロム様を初めて拝見しましたもので」
もうこの話は止めたい。咳払いを一つした。
「俺達を心配して同行下さるのは嬉しいですが、一つお願いがあります」
「何でしょう?」
「その敬語は止めて下さい。敬称も要りません」
フーヘンは少し考え込み、お茶を一口飲んだ。そして器を卓に置き、首を横に振った。
「私の心持ちを無視したとしても、それは出来ません」
「何故ですか!?」
「自分で言うのはおこがましいのですが……私の一族は皇帝直属で、私の姉は皇后です。私の名もそこそこ轟いております」
「だからこそ、なんですけど?」
つい刺のある言い方をしてしまう。フーヘンは困ったように微笑んだ。
「最後まで聞いて下さい。私の後ろ盾にたてつくには、相当の覚悟が必要です。私の態度が見えぬ敵への牽制になります」
あっと思った表情を読まれたか、また微笑まれた。常に上手を取られている気がして、色々やりにくい。
「襲ってくる者が居たとしたら雇われでしょう。『人狼』無き今、誇りを持って汚れ仕事ができる者はそうそういません」
「都から離れた港でも知られているんですか?」
「官位を持つ者は知っています。知らぬ者も、これを見れば一族の者だとわかります」
言いながら立ち上がり、豪華な腰刀を掲げて見せた。鞘には龍の文様があり、柄には赤と黄色の房飾りが付いていた。
「一番目立つものを持って参りました。こういった事は好きではないのですが、今回は致し方ありません」
刀を下げたフーヘンは、座ってまた一口お茶を飲んだ。ロムはもう何も反論できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます