少年は独りじゃない

 翌日の早朝。ロムは稽古場で、武官見習いのフーヘンを待っていた。




 今日からトールと二人で港に行く事が決まっている。


 帝国から外に開かれた港は一つしかない。都より遥か南で、その距離はクロンメルのある島が三~四つ分というのだから、馬を使っても1ヶ月以上かかる。ただ今回は、転移魔法が使えるから移動は問題ない。

 問題はアイラスだ。彼女は都に残って、ザラムに通訳してもらいながら皇帝の肖像画を描く事になった。


 ロムはしばらく都を離れる事になるのだから、本当は少しでもアイラスの側に居たかった。それなのに約束のせいで、フーヘンを待っていなければならなかった。……まあ、彼女はまだ寝ているのだけど。




 ——あんな約束、しなくてもよかった。




 皇帝は、全ての要望に許可をくれた。それどころか、資料を探すための人手も貸してもらえる手筈になっている。都だけでなく、港でもその旨の指示書をいただいている。

 こんなにすんなり事が進むとは、昨日は考えていなかった。




 すでに自分達の事は、フーヘンから皇帝に進言されていたらしい。しかも、かなり好意的に。それこそが会う目的だったのだから、もう達成されてしまっている。


 褒められたのは正直嬉しい。だけど、嘘を付かれたという事実だけが、気持ちに影を落としていた。






 長くは待たなかった。遠くに長身の姿を捉えて、ロムは座っていた石段から飛び降りた。

 昨日までとは少し出で立ちが違ったが、深く考える気持ちの余裕はなかった。




 彼とは都に来た日から何度も顔を合わせ、何度もお世話になった。多分、ホンジョウよりも。

 それなのに、精悍な顔に浮かべた優しい笑みが、今は憎らしく思えていた。




「おはようございます。昨日は申し訳ありませんでした」


 開口一番、頭を下げられた。反射的に返礼したけれど、挨拶を返す気にはなれなかった。

 何も言わないロムに、フーヘンはため息をついた。




「やはり怒ってらっしゃるのですね」

「……何故すぐに教えてくれなかったんですか?」

「その……ロム様があまりに褒めるもので……それは私ですと言いにくく……」


 再び頭を下げられて、ロムもため息をついた。


 なんだか自分が、拗ねているだけの子供に思えてきた。こんな情けない姿、アイラスには見せられない。

 それなのに彼は貴人のように扱ってくる。直視できず、顔を伏せた。




「その敬称も止めて下さい。というか敬語だって……あなたの方が身分も高いのに……」

「そうは参りません。五親王のお客人です。申し上げたでしょう? もう少しご自分に自信を……」

「俺は、たまたま武勲をあげて称号を頂きましたが、元は身寄りのない孤児です」

「孤児となったことに責任はないでしょう。国そのものが沈んだのですから」




 えっと思って顔を上げた。目が合い、戦慄した。




「……ホンジョウから、聞いたんですか?」

「いいえ。五親王もご存知なのですね」

「じゃあ……なんで、ですか?」

「シンが滅亡した時、港に多くの孤児が流れ着きました。他の武官と共に、私も対応に駆り出されたのです」

「俺を、見た……見ました?」

「ええ。『人狼』の子が混じっていると、話題にあがっていましたからね」

「俺、今は……違う……」




 罪悪感と恐怖で固まった。

 彼がここに来たのには密命があるのではないかとも疑った。いつもと違う出で立ちの理由がそうなのでは?

 フーヘンは帯刀していて、自分は丸腰だった。並の者ならともかく、彼相手に凌げる自信はない。




「わかっていますよ」




 想像とは真逆の優しい声に、凍りついた心が溶けた。眼差しはホンジョウのように穏やかだった。信がある事を確認する必要もなかった。




「最初から、わかってました?」

「ええ。一昨日、外城であなたを見て、すぐに気が付きました」

「怪しいとは思わなかったんですか? 元暗殺団ですよ?」

「五親王の名を聞いて、本気で驚かれていましたからね。あの方を平民と思っていても助けて下さった」


 最初の呼びかけが確認も兼ねていたとは驚いた。その慎重さが、逆に信じるに値した。




「それに、疑問より嬉しさの方が強かったです」

「……嬉しい?」

「三年前、大勢の子供達の誰も、あなたを知りませんでした。知っていたのは世話する大人の一部で、それも悪評ばかり。あなたは独りでした。今は違いますね」




 ——独りじゃない。




 その意味を深く噛み締めた。

 そうだ、独りじゃない。かつては独りで生きようとしていた。でもいつのまにか、周りには人が集まっていた。


 今は独りでは生きられないと知っている。誰かを助けたいと想う気持ちも、きっと相手のためじゃなくて、自分が生きるために必要なのだと思う。


 少し間があいたけれど、フーヘンをまっすぐ見て強くうなずいた。






「今朝はされないのですか?」


 何をと思ったけれど、鍛錬の事だとすぐに気がついた。


「そうですね……今は、そんな気分じゃないです」 

「では中に入りましょう。お茶を頂けないか頼んでみます」

「ゆっくりする時間があるんですか? お城にお勤めなのでは……」

「私も皆様と共に行くよう仰せつかっております」




 内容が唐突で意味がわからなかった。一度相槌を打ってしまい、一瞬間をあけて驚いた。




「え、港へ? ですか?」

「はい、支度も整えて参りました」




 ここでようやく、その出で立ちが旅装束なのだと理解した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る