少年は怒った
アイラスの目が驚きで見開かれ、すぐ硬く閉じられた。頭を横に振りながら、拒絶の言葉がつむぎ出された。
「あなたには、関係ないでしょ……」
「関係なくないよ。少なくとも、トールの大切な人なら、俺も大切にしたい。それすら許してくれないの?」
「わ、私……。……聞いてるんでしょ? 私、居なくなるんだから……」
「そんな事には! ならない!!」
カッとなって、声を張り上げてしまった。アイラスは、怯えたような顔で黙り込んだ。
よくないと思いつつも、気持ちはおさまらなかった。
別に好意を押し付けるつもりはないけれど、トールを始めとしてみんながアイラスを助けようとしている。それなのに、当の本人が諦めている事が腹立たしかった。
熱くなった頭を冷やそうと、歩く足を早めた。冷たい風を切るように。
「絶対、助ける」
歩きながら、独り言のように呟いた。
背中から、ため息のような返事があった。
「無理だヨ……」
「……それ以上言ったら、本当に怒るからね」
「もう怒ってるじゃない……」
言われて、その通りだと思った。
同時に、既視感があった。前にも同じように言った事がある。誰かに。
——誰に?
自分が誰かに対して怒るなんて、想像もできなかった。もう何年も、怒りという感情を抱いていない。最後に怒ったのは、母に対してだったか。
——いや、違う。
そんなに昔ではない。最近、強い怒りを抱いた気がする。でも、それがなんだったか。思い出せなかった。
大型討伐で隊長が殺された時? いや、あれは怒りではなく悲しみだった。
夢の中で母の幻影に追われた時? 違う、あれは恐怖だった。
「あっ」
思考は、アイラスの小さな叫びで中断された。前方に、鍛冶場が見えていた。
立ち止まり、アイラスを振り返った。
彼女は肩で息をしていた。失敗した。早く歩き過ぎた。
言ってくれれば良かったのに。そう思ったけれど、怒っている相手に言えるわけがない。
文句も言えず、必死で追いかけてきたんだ。申し訳なくて、かける言葉が見つからなかった。
「行かないノ?」
立ち尽くしたロムの脇をすり抜け、アイラスが入り口に向かって歩いて行った。
思わず追いかけて、その手を掴んだ。
「な、何……?」
「あっ……ごめん……あの……」
「だから、何? ……離して」
「あ、ごめん……」
慌てて手を離し、三度謝った。
「あの……ごめん……」
「何なノ?」
「えっと……ごめん……」
どう言っていいか判らず、ロムは同じ言葉ばかり繰り返した。上手く思考がまとまらない。顔が熱かった。
アイラスが、ふっと微笑んだ。
「なぁに? 変なロム。謝ってばかり」
笑顔は随分大人びて見えた。落ち着いた物言いに、少し気持ちが和らいだ。
「歩くのが早すぎた。気づかなくて、ごめん」
「なんだ、そんな事。大丈夫だヨ。気にしてくれて、ありがとう」
優しい笑顔のまま、アイラスは再び入り口に向かった。
「……らないネ」
小さな呟きが聞こえた。背中越しで、こもったような言い方で、よく聞き取れなかった。
聞き返しても、なんでもないとしか返ってこなかった。
鍛冶場の入り口から中に声をかけた。返事はなかったけれど、中から人の動く気配がした。
入ると、刀鍛冶が目をまん丸にして座っていた。どうしたのかと声をかけようとしたら、先に彼が口を開いた。
「お前が……女の子、と……?」
「そこ、驚くところなんですか?」
確かに浮いた話は一つもないし、女の子と話すのだって苦手なのだけど。
余計な事でからかわれたくなくて、ロムはすぐに本題に入った。
説明を受けて、刀鍛冶は渋い顔で頷いた。
「難しいですか?」
「いや、直せる……が……硫化、だけでなく……塩化、している……」
専門用語を並べられて、ロムもアイラスも戸惑った。それが伝わったのか、刀鍛冶が大きな手で頭をかいた。
「薬だけでは、落とせない……。修復…… 時間、かかる……」
「どのくらいかかりますか?」
「一ヶ月……欲しい……」
アイラスを振り返って、待てる? と目で聞いてみた。彼女は、ため息をついて渋々頷いた。可哀想だけど、ロムにはどうしようもなかった。
「じゃあ、お願いします。お金はレヴィに請求して下さい」
「お、お願いします……」
アイラスがぺこりと頭を下げた。ロムもそれにならってお辞儀をした。
ペンダントを預け、二人で鍛冶場を出た。もう用はないので、まっすぐ館に向かって歩き始めた。
今度は隣を歩かせてもらえた。それだけの事が、とても嬉しかった。どこか寄り道したかったけれど、何も思いつかない。せめてゆっくり歩きたかった。
「しばらく描けないね。描きかけで放っておいても大丈夫なの?」
「大丈夫だヨ」
また優しい笑顔を見せ、ふと何かに気づいたように立ち止まった。少し遅れてロムも立ち止まり、振り返った。
彼女が恥ずかしそうに、顔を上げた。
柔らかそうな黒髪が風に揺れた。それに触れた事があったと思い出して、ロムも恥ずかしくなった。
彼女の意識がない時に、悪い事ばかりしている気がしてきた。
だから、真剣なその顔を直視できなかった。
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