喪失
少年は心配した
雪山から帰ってくると、またいつもの生活に戻った。
魔法使いの集会では、いろんな事が起きた。それでも、得た情報は有用だった。いつ終わるとも知れなかった白い裂け目の出現に、期限が付いた事は大きい。騎士団長のグリフィスもホッとしているようだった。
期限は最大一年。それは短くはないが、対処は慣れている。誰かが悪魔になる事があっても、死なせずに人の姿に戻せている。出た犠牲は、最初の二人だけだった。
いつまでニーナの館で暮らすのかと思っていたけれど、それも最大一年という事になる。
ただザラムだけは、保護区に戻らないかもしれない。
彼の持つ魔法使いの認識票は新しくなったが、『神の子』である事は伏せられていた。老いのない彼が、長年保護区で過ごすのは無理がある。事情を知るニーナが雇い入れるのが無難という話になっていた。
本人はアイラスと離れる可能性を嫌がっていた。ロムとトールが、アイラスに万が一の事なんて起こさせないと約束して、渋々承諾させた。
どの道、しばらくは一緒にニーナの館で過ごすのだから、心配するのはもう少し先でいいのにと思う。
ザラムの言う「ずっとそばに居る」とは、どの程度の事なんだろう。アイラスが保護区を出たら、一緒に暮らすつもりなんだろうか。彼女とそうしたいのは自分なのに。
まさか、三人一緒に? いや、それはどうなの。
気づくと、自分も早すぎる心配をしていた。
アイラスは、今度の五月で11歳になる。保護区を出るまで五年と少し。手に職があるから、もう少し早いかもしれない。どっちにしろ数年先なのだから、今から心配しなくてもいい。
それより、今心配なのはアイラス自身だ。
最近、とても口数が少なくなっていた。時々遠くを見るような目で、ため息をついている。トールの話では、少しずつ魔法が使えるようになってきたらしい。そのせいで、疲れているだけならいいのだけど。
雪山の洞窟では、彼女と再び心が通じたと思ったのに、今はなんだか遠く感じていた。ロムの悪い癖で、あれは夢だったんじゃないかという気になっていた。
年初めの行事も終わり、街が落ち着いてきた頃、ロムはふと思い出した。
アイラスは、グリフィスから頼まれた絵に行き詰って、もう一度墓場に行きたいと言っていた。あの時は立ち入り禁止だったが、そろそろ解かれる頃だと思う。ジョージに聞いてみよう。
あの女性の幻影を再び見るにしても、今度は彼女自身が魔法を使えるかもしれない。それなら、自分が護衛になり、二人だけで出かける事も出来る。
ただ、最近のアイラスは全く筆を持っていない。画廊として使わせてもらっている部屋に、入ってすらいない。以前は毎日入り浸っていたのに、最近はずっとぼんやりしている。
何か悩みがあるんだろうか。絵の事が考えられないくらいの悩みなのか。でも、頼まれた絵を放り出すような事はしないと思う。一緒に出かけられたら、道中で相談に乗れるかもしれない。
そう思って、アイラスに話を持ちかけてみた。
「……墓場に?」
「うん。もう一度、あの人を見たいって言ってたよね? さっき聞いたら、閉鎖はもう解除されたらしいよ。あの魔法は、アイラスも使えるようになった?」
「あ、うん……使えると、思う……」
そう言って、アイラスは考え込んでしまった。もう少し喜んでくれると思っていたから、ロムは少しがっかりした。
絵に興味がなくなったのかな。それとも、自分と出かけるのは嫌なんだろうか。
彼女から明確な返事が来ないので、ロムは段々と不安になってきた。
アイラスが顔を上げた。少し困ったような顔で微笑んでいた。
「行く。いつか行かなきゃいけないって、思ってたから……」
「気がすすまないなら、急がなくてもいいよ?」
「ううん、行きたいノ。誘ってくれて、ありがとう」
やっぱり少し、元気がなかった。ロムには、原因がさっぱりわからなかった。
墓場には翌朝行くことになり、その日は二人とも早く寝室に入った。でもロムは、アイラスの事が気になって、中々寝付けなかった。
翌日、朝食を終えて寝室で身支度していると、レヴィとトールがやってきた。
「アイラスと出かけるんだって?」
「うん。二人共、どうしたの?」
「アイラスの事、よう見てやってくれんかの。最近、様子がおかしいのじゃ」
「二人の目から見ても、そう見えるんだね。俺もなんか、少し変だなって思ってたんだ」
「夜中に何度か、泣いていた事もあったらしい。リサが教えてくれたんだがな……」
全然気づかなかった。物音がすれば、同室のレヴィはもちろん、部屋が近い自分も気づくはずだ。
声を押し殺して泣くアイラスを想像して、胸が痛んだ。何をそんなに思い悩んでいるんだろう。
「俺達が聞いても、訳を教えてくれねえんだ」
「念話はどうなの? あれって嘘は付けないんでしょ?」
「偽りはできぬが、心を閉ざすことはできる。おぬしになら、本当の事を言うかもしれぬ」
「うーん……」
正直、今は自信がない。聞いて教えてくれるくらいなら、先に相談してくれるんじゃないかと思い始めていた。
「頼むぞ?」
「う、うん。わかった。気をつけてはおくよ」
遠くからアイラスの足音が聞こえてきて、レヴィがドアを振り返った。遠慮がちにドアがノックされ、ロムはどうぞと答えた。
ドアがゆっくり開き、微笑むアイラスが立っていた。やっぱりどこか、寂しそうだった。
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