少女は声に導かれた
「……ラス……アイラス!」
肩を揺さぶられ、はっと我に返った。ロムが心配そうにのぞきこんでいた。
「どうしたの?」
「だ、誰かが、呼んでる……」
「念話はここじゃ、使えないはずだよね?」
「違う……もっと、かすかな、でも、強い声……あっちから……」
アイラスは廊下の先を指さした。玄関とは反対方向で、そちらの案内はされていない。立ち入り禁止ではないが、先に何があるか知らなかった。
また、心に強く呼ぶ声が届いた。これは念話とは違う。強く引き寄せる力がある。なぜだかわからないけど、行かなければと感じていた。
歩き始めたアイラスの手にロムが触れ、再び我に返った。
「一旦戻ろう。もうすぐ集合の時間だから、みんなに相談して……」
彼の言葉が終わる前に、身体がふわっと浮いた。触れるくらいしか繋いでいなかった手が離れた。
「エッ?」
「アイラス!!」
ロムが手を伸ばし、アイラスも伸ばしたが、届かなかった。重力に逆らって、自分の意志とは無関係に、鳥のように飛んだ。
ロムが呼ぶ声がどんどん小さくなる。壁が後ろに流れていき、ある扉の前で止まった。扉が前触れなく開き、中に放り込まれ、また閉じた。
身体はふわっとゆっくり、浮かび上がったのと同じように床に降ろされた。
部屋の中は灯りもなく暗かった。閉められたカーテンの隙間から、満月の光だけが室内を照らしていた。
見える範囲には誰も居ない。でも、自分をここに連れてきた誰かが居るはずだ。
「誰か、居るノ……!?」
恐怖で声がうわずった。
「灯りが無いと怖いのかえ?」
ぱちんと指を鳴らしたような音が響き、室内が明るくなった。豪華なカウチに横たわる女性が見えた。
服装はゆったりとしているのに片眼鏡をかけていて、アンバランスな気がした。邪魔にならないんだろうかと余計な心配をする。
それより気になったのは、肌も髪も真っ白。目もニーナと同じ、薄桃色だった。
「『神の子』……?」
「ぬしは『知識の子』じゃの? 対となる『神の子』はどいつじゃ? ここにも何人か来ておるようじゃが……」
「……それを知って、どうするノ?」
「ニーナは毎年一人で、つまらなそうに参加しておったのにのぅ。今年は大勢連れて楽しそうじゃ。わらわとしては、いじわるの一つもしとうなるわ」
遊びに来たわけじゃない。だけど、さっきまでの自分は少し楽しんでいた。その様子を、この女性は見ていたのか。そしてそれが、彼女の逆鱗に触れたのだろうか。
「大事な大事な『知識の子』。おらんようなったら、ニーナの綺麗な顔は歪むかのう?」
殺意を帯びた目で、アイラスを舐めるように上から下まで眺めた。何だかわからないけれど、身の危険を感じて寒気がした。彼女の気まぐれで、殺されるのかもしれない。
思考を遮るように、ドアを乱暴に叩く音が響いた。
「アイラス! そこに居るの!?」
「ロム!」
ロムがすぐそこに来ている。それだけで深く安堵した。
ドアノブがガチャガチャと揺れたが、鍵が掛かっているようで回らなかった。内側からなら開くかもと思い、転びそうになりながら近づいた。
しかし、ドアノブに手が触れるか触れないかの距離で、また身体が浮かび上がった。
「わっ!」
悲鳴と共に、背中から壁に叩きつけられた。
「アイラス!?」
心配する声に答えたかったけれど、痛みでうめき声しか出てこなかった。身体全体が壁に押し付けられ、身動きも取れなかった。
突然、斬撃音が響いた。
風が吹き、ドアの正面にあったカーテンが揺れた。木製のドアに無数の切れ目が入り、真ん中が大きく崩れ落ちた。
「ほう……」
女性が感嘆の息を漏らし、少し上半身を起こした。
山になった木切れをまたいで、ロムが部屋に入ってきた。手には短刀が一本だけ、順手に握られていた。
「ロム!!」
ロムは壁に張り付いたアイラスを見て、それからカウチに寝そべる女性の方を向いた。
気を付けてと言う前に、ロムが残像を残して女性の方に飛んだ。
雷が落ちたような音と光に、アイラスは目を閉じた。同時に身体の戒めが解けて、床に落ちた。
したたかに打ち付けたお尻をさすり、痛みに耐えながら顔を上げた。
女性の喉元に向けたロムの短刀は、光の壁のようなもので遮られていた。
寝そべったままだった女性は、楽しそうな笑みを浮かべて立ち上がった。どこからか剣を取り出し、鞘から抜いた。
間髪入れず振り下ろされた剣に、彼が切り裂かれたかに見えて、アイラスの心臓は縮み上がった。
「大丈夫?」
真横から声がして、驚いて振り向いた。ロムは女性を警戒したまま、アイラスに手を差し伸べていた。
その手を掴んで立ち上がり、彼の胸に飛び込んだ。
「ごめんね。怖い思いさせて」
胸に顔をうずめたまま首を横に振ったので、ぐりぐりと押し付ける形になった。
「あいつ……『神の子』? 何のためにアイラスを?」
「わからない……でも、誰の『知識の子』かって聞かれたノ……」
「なんなんだ、あいつ……」
「この集会の主催者よ」
崩れたドアの向こうから、凛とした声が響いた。
山になった木切れをよいしょとまたぎ、ニーナとトールが部屋に入ってきた。
「ヘラ。うちの子達を、いじめないで下さる?」
ニーナの睨む視線から目をそらし、ヘラと呼ばれた女性は面白くなさそうにため息をついた。
「なぜここがわかった? 連絡は取れぬであろう。物音を聴きつけて来たにしては、早すぎる」
「うちの子が、印を残しておいてくれたの」
トールがロムに短刀を差し出した。
「集合場所に、これが刺さっておったでの。投げられたと思われる場所には鞘が落ちており、こちらの方向を示しておった」
ロムは構えたままだった短刀を鞘に納め、トールからもう一本の短刀を受け取った。
少し遅れて残りの四人もやってきて、部屋に入った。全員が入ると広い部屋も狭く感じた。
ヘラはますます嫌そうな顔をした。
「随分と仲間が増えたものじゃの」
「ええ。だからって妬まないでほしいけれどね」
「そう怒るな。まあ、そこそこ楽しかった。そこの少年は見込みがあるのう」
ロムが褒められた。アイラスは、殺されかけた事も忘れて嬉しく思った。もっと褒めて。
しかし、次に彼女が放った一言に身体がこわばった。
「ん……? なんじゃ。ニーナが連れておる虎は『知識の子』の使い魔か」
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