少女は悪魔の絵を描いた
アイラスは宮廷魔術師と話した事がなかった。でも、いつかの呪物で説明書を訳してくれたのは彼で、リンドの主でもあったのだから、無縁ではない。
そのリンドが酷く取り乱していた。泣きながら部屋を出て行ったので、トールが追いかけて行った。
リンドは雛の時に親鳥を亡くし、苦労して育ててくれたのは宮廷魔術師だと聞いている。彼女にとっては名付けてくれた主というだけではなく、親と同等だったのだろう。
アイラスは、その姿を武術大会で遠目に見た事があるだけだった。少しホークに似た雰囲気で、線の細い落ち着いた人だった。
あの人が亡くなったのかと思うと、心が痛んだ。
メイドの子は、身元もしっかりしていて真面目で、特に問題のない優等生だったそうだ。
なぜ彼女が変貌してしまったのか。ニーナはその原因を探ることが第一と考えているようだった。
犠牲者は、宮廷魔術師と彼の元にいた鳥の使い魔が何羽かだけで、城に居た普通の人は襲われず気づいてすらいなかった。
その後、トールの魔力に惹かれてレヴィ工房に来たのだと思う。
「その時、私はこの館の中に居たの。城からは、ここよりレヴィの工房の方が遠いのに、私には目もくれず上空を過ぎ去るのを感じたわ。より強い魔力を持つ者に引き寄せられるようね」
保護区では、シン出身の子に催眠術をかけたところ、何人か白い悪魔の大群を間近に見た子が居たそうだ。それでも生き残ったということは、魔法使いでない子供は捕食対象に含まれないのだろう。
彼らの特徴は、ザラムから聞いた通りだった。どの個体も行動や習性は同じで、大きさには多少の差があった。おそらくそれは、元となった人の特徴を受け継いでいるのだとニーナは推測していた。
「やはり魔法使いが最も危険なのね。明日、この街に居る魔法使い全員に会ってくるわ」
「みんな一緒に、ここに住むノ?」
「いえ……いつ現れるかわからない、現れないかもしれない脅威に怯えて、生活を犠牲にはできない。だから、転移魔法の補助具を渡しておこうと思うの。何かあったら、すぐここに飛んでこれるようにね」
「じゃあ、私達も保護区に帰るノ?」
「あなた達、特にトールはここに居て欲しいわね。もしまた現れたら、彼を狙ってくる可能性が高いのだから」
トールがまた、あの悪魔に狙われるかもしれない。その推測は、アイラスを震えさせるには十分だった。
「それから、アイラスには一つお願いがあるわ」
「エッ? 私にできる事、あるノ?」
「あなたが見た、白い悪魔の絵を描いてほしいの。魔法使い達と、見回りを強化してくれる騎士団に渡したいのよ。明日までに何枚描けるかしら?」
「色を塗らなくていいから、たくさん描けるヨ。何枚あったらいい?」
「そうねえ……」
ニーナはあごに手を当てて考え込んだ。想定外に多く頼まれたらどうしよう。役に立つのが嬉しくて、少し強がってしまったかもしれない。
「……だったら10枚、いえ20枚。頼めるかしら?」
「お、多いネ……」
「1枚描いたら俺に見せろよ。模写するから」
「レヴィと二人でなら描けると思う……ううん、描いてみせる!」
ニーナが紙を用意するよう使い魔に言いつけたので、アイラスもあわてて炭を取りに行った。
戻ってくると、テーブルのお茶とお菓子が片付けられていて、そこに紙の束が置いてあった。20枚よりはるかに多いように見える。描き損じを考慮されたのかもしれない。そんな事するもんかと、アイラスは気合を入れた。
「俺も手伝えたらいいんだけど……」
描き始めたアイラスの隣にロムが座り、申し訳なさそうに言った。
「じゃあロムは、絵にできない動きとかの特徴を、書き込んでくれる?」
「あ、うん。わかった」
テーブルにレヴィとロムと三人で向かい、夜遅くまで描き続けた。20枚描き終わる頃には、日付が変わっていた。
「終わったァ……」
「渡すのは、朝でいいよね」
「ニーナもまだ、準備が終わってないみたいだからな。お前らはもう寝ろ。着替えは寝室に用意してあるはずだ。男女で部屋が違うから間違えんなよ」
「レヴィはまだ寝ないノ?」
「ニーナの様子を見てから寝るよ」
ニーナの自室に向かうレヴィを見送ってから、ロムと二人で寝室の前まで来た。
繋いでいた手を離すと、急に心細くなった。ロムはおやすみと言い、そのまま隣の寝室へと歩いて行ったが、アイラスは一歩も動けなかった。
ロムが立ち止まって振り向いた。
「大丈夫?」
「うん……」
「ほんとに?」
近くまで戻ってきて、顔をのぞきこまれた。視線を合わせたらバレると思って、横を向いた。あごに手をかけられ、正面を向かされた。
「そらさないでよ」
一旦目が合うと、今度はそらせなくなった。顔が近づいて来た。
彼が何をしようとしているか気づき、あわてて手を振りほどいて距離を取った。
「ごめん……」
「ち、違う……嫌だったわけじゃ、ないノ。ちょっと、心の準備が……」
取り繕うような言い訳に、ロムは何も言わなかった。沈黙に耐えきれなくて、何か言わなければと頭をめぐらせた。
「あ、あのネ。今、私……不安なノ。不安な時は、ぎゅーって、してほしいノ」
何を言ってるんだろうと思った。ロムがしたい事を拒否して、自分がしてほしい事だけ要求している。
しなくていいと言おうとした瞬間、抱き寄せられた。
「俺も不安な時、こうしてもらうと安心する。自分もそうなのに、気づかなくてごめん」
「ううん。私こそ、わがまま言って、ゴメン」
「アイラスのわがままって、全然大したこと無いよ。もっと言っていいから」
ロムの優しさが、泣きたくなるくらい嬉しかった。
彼は自分にはもったいないと思う。何故、こんなにちっぽけで何もない自分を、彼は好きになってくれたんだろう。
「今は何が不安なの?」
「……トールが、心配なノ。またあの悪魔が現れて、トールを狙うって思ったら……」
「そうだよね……。俺も心配……」
「高くなった魔力って、おさえる事ってできないのかな……」
「アイラスの知識の中に、そういう魔法は無いの?」
言われて気が付いた。魔法で魔力を隠蔽すればいいんだ。それなら、方法が無くはない。問題は、その魔法を使う魔力が自分にない事だ。
もしかしたらニーナも、その魔法を知っているかもしれない。彼女にだって『知識の子』は来ている。教えてもらっている可能性は高い。
もし彼女が知らなくても、以前アイラスの魔力でも魔法を使う方法があると言っていた。また今度とはぐらかされたけど、今こそ聞く時だ。
どっちにしても、明日ニーナの用事が終わったら話してみよう。
「アイラス?」
「うん、ありがとう! 光明が見えたヨ!」
自分の中で色々考えて完結したので、ロムが怪訝な顔をした。ヒントをくれたのに申し訳ないと思い、順を追って説明すると、彼も嬉しそうに笑ってくれた。
「不安、少しは消えた?」
「うん! ロムのおかげ!」
「良かった……じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ!」
再び隣の寝室に向かったロムの背中を見て、アイラスはふと思いついた。
駆け寄って呼び止め、振り向いた彼に背伸びして口づけた。自分からこういう事をするのは初めてだった。
ふわふわした気持ちのまま自分達の寝室に入ると、リンドのベッドのそばに、椅子に座って頭だけベッドにのせたトールが居た。二人ともぐっすり寝ている。
リンドの目が赤くはれていたので、泣き疲れて寝てしまったのだとわかった。だから、トールがついていてあげたんだろう。
トールがここに居るという事は、隣の寝室はザラムとロムの二人だけという事になる。会ったばかりのロムは、ザラムを嫌っていたようだったから、そのままの状態が続いていたら心配だったなぁと苦笑した。今の二人は、かなり仲良くなっているから問題ないと思う。
あくびが出たので早く寝ようと思った時、ドアがせわしなくノックされ、ロムの呼ぶ声がした。その声に焦燥感があったので、あわててドアを開けた。
彼は息を切らせていた。この短時間に何があったのかと思った。すぐ部屋に入って来て、トールを確認して息を吐いた。
「トールはここに居たんだね。良かった……ザラムは?」
「えっ、居ないヨ? そっちの寝室に寝てないノ?」
ロムの顔から血の気が引いていくのがわかった。
「居ないんだ……他も捜したけど、どこにも……!」
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