少年は自己嫌悪した

「あ……わっ……わー!! ちょっ、ちょっト! ロム! 待っテ!」


 アイラスの必死の叫び声に、ロムは我に返った。


「あ……あ、ごめ……ごめん! 俺……何、やってんだ……」

「ウ、ウン……」


 ロムが身を起こすと、アイラスは急いでベッドから降りて距離を取った。怯えさせてしまった。当たり前だ。一体何をしようとしたのか。自分自身に、激しい嫌悪感を抱いた。


 それなのに彼女は、落ちたタオルを拾おうとしてか、再び近づこうとした。


「近づかないで! ごめん……俺に、近づかないで……俺、アイラスに嫌な事、するから……」

「でモ……」


 ロムはベッドにうつ伏せになって、両腕で顔を隠した。


「お願い……俺を見ないで……トールを、呼んできて……」

「わ、わかっタ……」


 ドアを開けて部屋を出て行く前、アイラスは振り返って恥ずかしそうに言った。


「あのネ、ロム。嫌だったわけじゃ、ないからネ? ちょっト、びっくりしタ、だけだかラ……」


 アイラスは、自分を傷つけまいとして言ったのかもしれない。でも今は、そういう事を言わないで欲しかった。ロムにとっては、自己嫌悪が強くなっただけだった。




「どうしたのじゃ?」


 あくびをしながら部屋に入って来たトールに、ロムは返事をせずにドアを指さした。彼が訝しげにドアを開くと、アイラスが小さな悲鳴を上げて倒れ込んできた。


「アイラス……盗み聞きは良くないであろう」

「ゴメン……」


 アイラスが部屋を出て、隣の自室に入る音を聞いた。足音に注意すれば、ロムには彼女がどの辺りに立っているかわかる。

 トールを手招きして、ベッドの近くに来てもらった。


「なんじゃ?」

「アイラスが壁際で……多分聞き耳立ててる……。近くで小さい声でお願い……」

「……異様なほど神経質じゃな。何かあったのか?」

「……アイラスは、何も言わなかった?」

「明らかに様子が変じゃったがの、何でもないと言うておった。一体何がどうしたのじゃ?」

「……押し倒した」


 トールは一瞬、凍り付いたように固まった。意味を理解するのに時間がかかったのかもしれない。それから苦笑してベッドのふちに腰かけた。


「おぬしなぁ……そういう事は、せめて風邪が治ってからにしてはどうじゃ?」

「あんな事、したくなかった……。でも無意識に……アイラスを見たら、気持ちがゆらゆらして……アイラスが嫌がる事、したくなかったのに……」

「ふーむ……熱のせいではないか? 正常な判断ができておらぬのじゃろう。アイラスもそのくらいわかっておろう。気にするでない」

「でも……アイラスにしてしまった事が、消えるわけじゃない……」

「大げさじゃのう……どうせ未遂じゃろうが。どこまでやったのじゃ?」

「……首を舐めた」


 言葉に出すと、その時の匂いと味と感触と、アイラスの喘いだ声がリアルに思い出され、また気持ちが揺れ動いた。恥ずかしくなって、枕に顔をうずめた。


「……は?……それだけか?」

「だ、だけ、って……俺にとっては、大変な事だよ……」

「奥手じゃのう……そろそろ結婚を考えても良い歳じゃろうに」

「ちょっと待って……その感覚おかしいよ……婚期が早い貴族でも、成人後の16だよ……それ以外は20くらいだし……俺まだ12だし……」

「そうなのか? 人の年齢は良うわからんわ」




 今朝にしても今にしても、なぜ急に自制が効かなくなったんだろう。アイラスに対する気持ちが、急に変わったわけではないと思う。変わったのはアイラスの気持ちを知ってしまった事。思い返せば昨日だって、アイラスがもしかして自分の事を……と考えてしまったから、手が出そうになったのだと思う。

 心のどこかで拒まれないとでも思っているんだろうか。だとしたらやっぱり最低だ。自分が嫌になって、大きなため息をついた。


「そんなに自分を責めるでない。薬も飲んだのだから、今は何も考えずゆっくり休むがよい」

「……薬? 飲んでないけど……」

「アイラスが口移しで飲ませておったぞ。風邪が移るからやめておけと言ったのじゃがな」

「……え?」


 汚れきった自分の中に、アイラスから注がれた薬が入ったのだと想像したら、それは背徳的で許されない事のように思えた。

 ロムは吐き気を覚えた。口を押えて、アイラスが置いていった桶に手を伸ばした。トールが意味に気づいて、あわてて構えてくれた。




 朝からほとんど何も食べていないので、胃液のような物しか出なかった。

 トールが鼻をつまんで中身を確認していて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「……薬は出ておらぬようじゃな。しかしおぬし……その反応はあまりにも酷いのではないか? 自分がするのは良くても、されるのは嫌なのか」

「違う……嫌なのは俺自身だよ……」

「……とにかく、わしはこれを片してくるでの」


 トールが部屋を出ると、隣の部屋に居るアイラスの足音が聞こえた。廊下でトールと話をしている。アイラスの声は高いのでよく聞こえる。話の内容から、彼女が桶を片付けることになったとわかった。


 自分の吐しゃ物をアイラスが処理しているのかと思うと恥ずかしかったが、前にもこんなことがあったなと懐かしく思い出した。

 あの時は、アイラスとこんなに親しくなるとは思っていなかった。こんなに想うようになるとは考えていなかった。こんなに苦しいとは想像もしていなかった。


 アイラスの顔を思い浮かべると、胸が苦しい。もう彼女の顔を見て話せないかもしれない。ずっとこのままだったらと思うと絶望しか感じなかった。


 今だけだろうか? 今風邪をひいて自分がおかしくなっているだけで、それが治ったら元通りになるんだろうか。以前のように、普通に話せるようになるんだろうか。今はいくら考えても、その答えは出なかった。

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