少年は少年と出会った
その日も、いつものように三人で工房へ向かっていた。
トールは保護区を出てすぐ人の姿になった。アイラスとだけなら念話で話せるのに、わざわざ人の形を取ったのは、自分と話してくれるためだと思う。自惚かもしれないけれど。
特に重要な話をするわけでもなく、アイラスは依頼の絵が完成に近づいていると教えてくれて、トールはホークがムカつくと愚痴ったりしている。他愛のない話に相槌を打つだけ。そんな些細な事が、今はとても嬉しかった。
急にアイラスが立ち止まった。眉間にしわを寄せ、険しい顔で脇道の方を睨んでいる。なんだろうと視線の先を見てみると、数人の人だかりがあった。薄汚れた荒くれ者の中心に、身なりの整った子供が立っていた。
——貴族の子だ。
護衛も無しにこの辺を歩くなんて不用心だと呆れた。呆れたけれど、見てしまったからには放ってはおけない。
「二人はここで……」
待っててと言おうと視線を戻すと、そこにアイラスは居なかった。トールだけが、目を真ん丸にして立っていた。
アイラスはすでに走り出していた。
「止メナサーーイ!!」
「いや、おぬしが止めよ!」
ロムとトールは慌てて追いかけた。
男達が振り向いた。
「保護区のガキか……お前らは金持ってねえんだよなぁ」
「見逃してやるからさっさと帰んな」
「ソノ子、放シテ!」
「あぁ!?」
ぎろりと睨まれて、アイラスはひるんだようだった。彼女の握った拳が震えているのが分かる。それでもアイラスは退かなかった。
赤い髪と目の貴族の子は、緊迫感の無い顔でアイラスを見た。中性的な顔立ちで性別がわからない。歳はロムと同じ位に見える。
子供は風で乱れた髪を手でかきあげ、優雅に微笑んだ。
「ありがとう。僕は大丈夫だから……」
そう言って、護身用の短剣を腰から抜いた。
「なんだ、やるのかぁ?」
男達が凄み、子供は短剣を前に立てて構えた。左手は背中に回し、右足を前に出して真半身で立つ。隙が無い。
——王宮剣術だ。
これはやられるなと思った。やられるのは子供ではなく、男達の方だ。子供は騎士見習いなのだろうか。
結果は見なくてもわかっていた。数分も経たぬうちに、地に伏していたのは男達の方だった。みな得物を落とされ、利き腕に傷を負っていた。
転がるように逃げる彼らが見えなくなってから、子供は短剣をおさめた。
アイラスはへなへなとその場にへたり込んだ。ロムより先に子供が駆け寄って、なんだか負けた気がした。
「大丈夫? 君、勇気があるね」
「コ、怖カッタ……」
「恐怖を感じないのは、ただのバカだよ」
そう言って、子供はアイラスに手を差し伸べた。その手を取って立ち上がったものだから、ロムは面白くなかった。いや、なんで面白くないの。なんなの、この不快感は。
「おぬしはここで何をしておったのじゃ? 一人で出歩くのは危ないであろう」
「……君、使い魔だね? じゃあ魔法使いなのは……?」
「その娘、アイラスがわしの主人じゃ」
「へえ……君が。だから、あんな無茶ができたんだね」
子供はにっこり笑って言った。
——違う。
アイラスは魔法を使えない。使えば自分が倒れてしまう。そもそもアイラスは、そんな計算をして行動しない。子供が危ないと思った瞬間、ロムやトールの事も忘れて走りだしたのだと思う。
アイラスの心を誤解された気がして、一段と気持ちが落ち着かなかった。でも彼女の弱点をバラしていいのかわからず、何も言えなかった。
「僕、ここに行きたいんだ。迷っちゃって。うろうろしてたら捕まったってわけ」
子供は住所が書かれた紙を見せてきた。その場所はレヴィの工房だった。
「私達、ソコ、行ク! 一緒ニ行コ?」
「ほんと? 良かったぁ。あ、僕はア……アドル。君は?」
「アイラス!」
アイラスとアドルと名乗った子供は、お互いにっこり笑って歩き始めた。
「どことなく、アイラスと似た雰囲気の子じゃのう……」
「……全然似てないよ」
「何ゆえおぬしは怒っておるのじゃ?」
「別に。怒ってなんかないし」
嘘だ。嘘だけど、明らかにしたくなかった。まだ何か言いたそうなトールを無視して、大股で歩き始めた。
工房に着くと、レヴィはあからさまに嫌な顔をした。
「なんだ、そいつは?」
「こんにちは。レヴィさんですね? 城から言伝を持って参りました」
アドルは、蝋で封がされた上品な封書を差し出した。
「お前は中身を知ってんのか?」
「ええ。近いうちに画商の方から正式に連絡が来ると思いますが、製作作業に関わると思って早めに伝えに来ました」
「ふ~ん……」
「ナニ?」
「納期を延ばして欲しいんだと。理由が書いてないんだが、知ってるか?」
「絵を飾る建物の建築が遅れています。こちらの都合なので、報酬は予定通りお支払いします」
「わかった」
「あの……」
「なんだ? もう用は済んだだろ?」
「見学していっても良いですか?」
「……見ておもしれぇ事なんかねぇぞ」
「そんな事ないです!」
「まあ好きにしな。邪魔だけはすんなよ」
レヴィは面倒くさそうに、封書をゴミ箱に捨てた。ロムも面倒くさいと思っていた。アイラスだけが嬉しそうにしているのが理解できなかった。
「早速手合わせでもするか?」
「今日はいいよ、あの子も見学してるし。そっちの作業を進めといて」
「勝手に見てるだけじゃねえか。なんで都合合わせなきゃなんねえんだよ」
「レヴィが暴れたいだけじゃないの?」
「それもある。身体動かすとスッキリするからな」
そういう事ならと立ち上がった時、後ろで話し声が聞こえた。
「二人は何をするの?」
「稽古! ロム、強イノ! レヴィ、モット強イノ!」
「へえ~……」
ちゃっかりアイラスの隣に座っているアドルが気に入らなかった。この気持ちは何なんだろう。娘を持つ父親ってこんな感じなのかな。
そんな事を考えながら、ロムは短い木刀を二本取り出した。短刀はまだ手に入れてないけど、稽古はそっちを想定して行っていた。
レヴィと向かい合って一礼し、構えてから間髪いれず踏み込んだ。どうせ隙なんて無いのだから、探して硬直する時間は勿体ない。
乾いた音が響き渡り、イライラしていた気持ちが落ち着いてきた。レヴィの言う通り、身体を動かすと雑念が消える。二人で踊るように打ち込みを続けた。
稽古が終わり、ロムは消耗しきっていたが、レヴィはすたすたと軽い足取りで工房の中に入っていった。腕前以外に体力も段違いだ。バケモノか。
いつものように、アイラスが水を持って来てくれた。アドルがその背後で難しい顔をして立っていた。
「ずるい」
「は?」
「僕にも稽古つけてくれないかな……」
「断る」
鋭い一言に振り返ると、工房の入り口にレヴィが立っていた。
「お前は城で王宮剣術とやらを習ってんだろうが。ロムには誰も居ねえから、俺がつけてやってるだけだ。大体流派が違うのに、まともな稽古になるか? 俺は王宮剣術なんて知らねえぞ」
でも、とアドルはロムを見た。嫌な予感がした。
「ロムはシンの暗殺術だ。型なんてあってないようなもんだ。効率よく殺し、生き残るためだけの術だ。我流の俺と似てるんだよ」
やっぱり知ってるんだと、思わずため息が漏れた。トールが息を飲んでいた。忘れてたわけじゃなくて、あえてその話題を避けていたのだと、今更ながら気が付いた。
ただ、今までのように眩暈も吐き気も起こらなかった。バレているかもしれないと思っていた。
「もう……もう、やめんか! お主、用が済んだなら帰れ! お主がいると和が乱れる」
有無を言わせぬ口調で言われ、アドルは黙り込んだ。レヴィは一瞥して、工房にさっさと入ってしまった。
「……失礼します」
アドルが歩き始めると、アイラスが後を追いかけて呼び止めた。なんで?
彼女の横顔が残念そうに見えて気分が悪くなった。何を話しているんだろう。そう思って見ていると、アイラスが視線に気がついた。彼女はアドルに近付き、耳元に口を寄せて何か囁いた。そこまでされると流石に聞こえない。ますます気分が悪くなった。
「のうロム……」
トールが声をかけてきた。それなのに、なかなか続きが出てこない。シンの名前が出た事で、気を使われているのだとわかっていた。今は、その気持ちだけでもありがたかった。
「大丈夫だよ」
「いや、わしは、別に……」
口ごもる獣の耳が垂れ下がっていた。本当に正直で不器用だなぁと思う。
「言いたくない事は、無理に言わなくて良いのじゃからな」
「……うん、ありがとう」
それだけ絞り出して、木刀を片付けた。終わってからもう一度、口を開いた。
「もし、言えるようになったら、ちゃんと言うから……」
そんな日が来るかどうかわからない。でも、それは本心だった。
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