少女は弟子入り志願した
夕方になり、三人揃うのを待ってアイラスは話を切り出した。
「やっと行く気になったか」
「ウン。ロム、案内、オ願イ」
「わかった」
ロムは嬉しそうに頷いた。管理人の言葉を思い出した。頼られる事が彼の救いになる。本当にそうだったらいいなと思う。
「いつ行くのじゃ?」
「明日、イイ?」
「明日は音楽の授業もないから、一日付き合えるよ。夕食の時に、明日のお弁当をお願いしておけば、朝食と一緒に渡してくれるから」
依頼で街の外に行く時は頼んでるんだ、とロムは楽しそうに話してくれた。彼にとっても、いつもと違う外出は楽しみなのかもしれない。
翌朝、お弁当を受け取ってすぐ保護区を出た。
「天気が良いから、お弁当は外で食べられるね」
日差しは強いが木陰は涼しい。ロムは本当に楽しそうに見える。
だが、その勢いは長く続かなかった。幼い事、女である事に良い顔はされず、絵を見せたらにべもなく断られた。思った以上に厳しい現実だった。
三人共、口数が少なくなった。自分はともかく、二人に気まずい思いをさせた事が気になった。実のところ、この結果を予想してなかったわけではない。でも二人は期待してくれてたのだと思う。自分の絵が認められなかった事より、二人をがっかりさせた事の方が辛かった。
「おーい! さっきのお嬢さーん!」
とぼとぼ歩く三人に、遠くから声がかけられた。栗色の髪の少年が駆けてきた。先程行った工房のお弟子さんだ。歳はロムと同じか、少し上のように見える。
「良かった、まだ近くに居て。先程は、うちの師匠が失礼しました」
「なんじゃ、やっぱり弟子にしてくれるのか?」
トールはフードを深く被りなおして聞いた。
「そうじゃないですけど、伝えておこうと思う事があって」
そう言って、呼吸を整えた。
「絵は、あまり見せない方が良いと思います。少なくとも、うちの師匠はあなたの絵を見て、弟子入りを拒否しました」
「どうして、そんな……」
「嫉妬したんですよ。才能を脅威に感じたから、弟子にしたくなかったんです」
そんなばかな、とアイラスは思った。
「絵は見せず、熱意を見せて。とにかく工房に入り込んでしまえば、簡単に辞めさせられないと思います」
でもそれは、なんだか騙すようで気がひける。
「この方法だと、すでに行ったところには使えないから……今までどこに行かれました?」
少年にバツ印のついた工房一覧を見せた。
「この辺りは、大体行ってしまったんですね……あれ?」
少年が一つの工房で指を止めた。
「レヴィさんのとこは、バツがないですね」
「ああ。そこは空き家になってたところだと思います」
ロムが思い出しながら答えた。アイラスはどこがどこやらわからないので、黙って聞くしかなかった。
「空き家? ……ああ、そうだ。あの人、少し前に家賃払えなくて追い出されたんだっけ…」
売れない画家。アイラスには他人事に思えなかった。
その人の名が一覧に合ったという事は、売れていなくても腕は確かなのだろう。アイラスにとって不利となる画家を、ホークが書くとは思えない。あの人は性格はアレだが、仕事は丁寧だ。
「新しい工房の場所は知らないけど、今の時間なら露店をしていると思います。絵を売ってるんです。大通りから南に一本外れた辺りに居ると思います」
ただ……と少年は言葉を濁した。
「確かお弟子さんは居なかったと思うので、もしかしたら取らない主義なのかも…。でも、技術は確かです。性根も、うちの師匠みたいに曲がってません。……レヴィさんになら、絵を見せた方が効果的かも」
「なぜお主、そんな師匠の元に居るのじゃ」
「性根が曲がってるは言い過ぎだったかな。臆病なんですよ。絵も技術的には凄いんだけど、響くモノがないというか…。僕も、盗める技術だけ盗んだら、辞めてもいいかなって思ってます」
可愛い顔のわりに、結構ずけずけ言う。弟子が師匠をそんな風に言っていいのかなと余計な心配をした。
とにかく、三人はお礼を言って大通りに向かった。
教えられた場所に行ってみると、黒髪の女性が地面に布を敷き、小さな絵を並べ、露天をしていた。丁度お客が一人来ていた。絵を数枚買って、こそこそと去っていった。
どんな絵を描く人なんだろう。興味が湧いて駆け出した。
「なんだ? ガキにはまだ早えと思うぞ?」
ボサボサの髪を無造作にまとめた女性は、からかうような声で話しかけてきた。全く手入れしてなさそうな髪は、目が隠れるまで伸びており、表情が読み取り辛い。
小さな紙には、一糸まとわぬ女性が描かれていた。絵は春画だった。
「何これ……アイラス、あまり見ない方が……」
「ほう? お主でも興味があるのじゃな」
アイラスが食い入るように見つめていたら、ロムとトールがそれぞれ反応した。だがそれらは、遠く雑音のように聞こえた。
シンプルな線に生の欲動としてのエロスがあった。線に愛がこもっている。特徴は全然似ていないのに、目の前に居る豊満な女性がそのまま絵になったような、生命力に溢れていた。こんな心に響く絵を、アイラスは見た事が無かった。
アイラスは地面に正座し、頭を下げた。
「弟子、シテ、下サイ」
「はぁ?」
アイラスは、先程の少年の言葉を思い出して、自分の描いた絵を取り出した。それを女性に、レヴィに差し出した。
「ふ~ん……」
一枚一枚丁寧に見てくれた。これは脈があるかもしれない。
「ガキのくせに、いいのを描くじゃねえか。でも無理だな」
「なぜじゃ!」
「俺は弟子を養うどころか、自分が生きていくだけで精一杯なんだよ」
「なんじゃ、貧乏暇なしか」
「現実は非常だからな」
想定外の理由だった。でもアイラスは諦めきれない。お願いしますと、もう一度頭を下げた。
それまで黙っていたロムが口を開いた。
「待って下さい! アイラスは、この子は保護区に住んでいます。住み込みじゃありません。養ってもらう必要はないです。毎日通います。俺が連れてきます。ダメですか?」
保護区と聞いて、レヴィの表情が変わったような気がした。気のせいかもしれない。
「でもこいつ、言葉も上手く喋れねえじゃねえか……」
「絵を描くのに、言葉は必要ですか?」
問われてレヴィは沈黙した。それから首を横に振った。
「ダメだ、ダメだ」
彼女は広げた絵を集め、荷物をまとめた。
「今日はもう商売にならねぇわ」
そう吐き捨て、足早に立ち去り始めた。
「待ッテ!」
急いで追いかけたが、角を曲がると姿が消えていた。
ロムが地面にしゃがみこんだ。足跡でも探しているのだろうか。そして、素早く顔を上げて空を見上げた。アイラスも上を見た。一瞬だけ、屋根を跳躍する後ろ姿が見えた。
「なんなんじゃ、あいつ……」
「アイラス、あの人の弟子に、なりたいんだよね。諦めきれないよね」
アイラスは強く頷いた。ロムは壁伝いに屋根に登った。
「俺が追いかける。工房の場所がわかったら戻って来るから、二人はここで待っていて」
そう言って、レヴィが消えた方向に音も無く走り出した。
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