無人島漂流生活と中年漂流生活は、いったい何がどう違うのか?

まず、私は無人島漂流生活をしたことがない……と、前置きしておこう。

あくまでイメージでしかない。

そういう環境で生き延びた人の話を聞くと、さすがに私にはできそうにない。

路上生活のときに、私は弱すぎたからね。

牢屋にいたときは強くいられたけど……。

無人島と言っても、その場所(緯度・経度)や面積・地形、それに、どんな気象条件でどんな植物や動物がいるかによっても違うだろうな……。


ただ、基本的に無人島と言えば、そこから見える景色は、海、山、小川、砂、土、岩、石、草、木、森、鳥、魚……くらいだろう。

絶海の孤島でない限り、稀に、船や飛行機が視界に映ることもあるだろう。

人間と繋がれないまま、ただ、時間だけが過ぎていく。

無念の死を感じながら、どんな日々を過ごすのだろう。

まさに、『生きるためだけに生き、死ぬためだけの人生』だ。

死んだあとは、動物の食料にされ、そのまま土に帰る。

その痕跡は完全に消える。


一方、中年漂流生活はどうだろうか?

ここから見える景色は、散乱するゴミ、散乱する衣類、積み上がった求人誌、AVが詰め込まれたUSB、大量のDМとレシート、ホコリ、睡眠薬、精神安定剤……。

家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしで終わった1回きりの人生……。

その現実に対する絶望と無気力だけがここに在る。

この世に会話の相手とメールの相手は1人もいない……。

人間と繋がれないまま、ただ、時間だけが過ぎていく。

無念の死を感じながら、どうすることもできない日々を過ごしている。

まさに、『生きるためだけに生き、死ぬためだけの人生』だ。

死んだあとは、無縁仏となる。

持ち物は遺品整理業者によって、売却または焼却処分される。

私の痕跡は完全に消える。


無人島漂流生活と中年漂流生活との違いは大きいはずなのに、最近は、あまりに変わらないように思えてきた。

ここは無人島ではない。

外に出れば、人間はたくさんいる。

だけど……、私という物体は認識されているのだろうけど、繋がる対象ではないから、ただ視界に入っているだけ……。

もともと、日本人は自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族で、他人の人生には無関心だ。

路上生活をしていたときも、声をかけてきたのは外国人だけだった。

天涯孤独の一人暮らし(中年漂流生活)に戻ると、それすらも無くなってしまった。

不思議なことに、最近は、無人島漂流生活から見える景色、すなわち、海、山、小川、砂、土、岩、石、草、木、森、鳥、魚以外、見ていない気がする。

決して気のせいではなく、本当にそう思える。

誰もいない世界でいつも思う……、私の存在は何だったのか……と。

全てが、どうにもならない……、なんの手段も無い……。

『生きるためだけに生き、死ぬためだけの人生』がここに在る。

無念の死を感じながら、そのまま無念の死を遂げるしかない現実だけがここに在る。

ここは無人島だ。

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