幸せな人生を送っている奴の悲しみって何?
葬儀告別式に参列した。
理由は、取引先の営業マンに不幸があったから……。
そいつの親かと思いきや、子供だった。
遺影を眺めながら人生を考える。
運命の名のもとに儚く散っていった小さな命……。
多角度からこの現実を考察したいところだが、私は一方通行にしかならなかった。
残念ながら、心に波風一つ立たない。
周りにいる奴は、みんな泣いているのに……。
私は、まるで機械のように感情が無い。
空気を読んでの喜怒哀楽ができたのは、遥か昔の話……。
私は会社を代表して葬儀に出席するという仕事をしているだけ……。
義理チョコみたいなもんだよ。
記帳したから、もう義理は果たしている。
結局、遺族の前では、冠婚葬祭マナーブックに書いてあるような定型文を感情ゼロで棒読みして終わりだ。
昔と違って今の時代は、結婚しているだけでも奇跡に近い。
子供がいるなんて、奇跡に奇跡を上塗りするようなものだ。
その子供が死んだからと言って、だから何なんだ?
私は、家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしで1回きりの人生を終えている。
幸せな時間なんて、人生の中で1年もあればそれで充分なはず……。
私は、そんな時間が、全部足しても24時間もない。
この人たちは、もうこの時点で、10年以上、いや、それ以上に、そんな時間があるではないか……。
そういう時間が永遠に続く……という前提で生きていられるのは、羨ましい以外の何ものでもない。
まぁ、大半の日本人は、そっち側なんでしょうけど……。
こんなの、数式にすると……、恋愛・結婚[配偶者]+出産[子供]+出産[子供]-死[子供]=配偶者と子供1人(と、恋愛の思い出)
何がツラいの?
私には、生涯、誰もいないのに……。
数式そのものが存在していない。
何の経験も無いからね。
それなのに、同じように時間は流れ、同じように老いていく……。
それが、どれほど生きていけない世界かなんて……、こういう場所に出席する人にはわからないだろうね。
日本人は「そういう人生なのは、お前が悪い」と頭ごなしに見下してくるか、「俺も……(私も……)そういう人生だ……」と勝手に同調してくるかのどちらかだ。
私の人生は私にしかわからない。
もし、同調してきたら「本当に、会話の相手とメールの相手が一人もいない天涯孤独か?」「それが何年続いている?」「どこの刑務所に何年いた?」「路上生活を何年していた?」「どこの精神病院に何年いた?」と、いろいろ質問攻めをするだろう。
日本人は自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない。
恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがるクソガキしかいない。
日本人は、家族の死・離婚・シンママ・病気・障害・失業・破産……などの被害妄想を、被害者として認識したがる。
その被害者という共通認識から外れている私とは、一切、関わりたがらない。
所詮は多数決社会……、日本人は、そういう共通認識の上で、そういう経験をした者に対して感情移入する。
私のような経験をした者には感情移入しない。
敵対視するか、無視するかのどちらかだ。
私も多数決社会における多数派でいたかった。
そうでなければ、私の言葉は、敵を生むだけだからね。
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