スクランブル

ここは中心市街地のスクランブル交差点だ。

私は、歩道にいた。

信号待ちをしている。

他にも、たくさんの人が、私と同じように信号待ちをしていた。


私の存在は、誰にも見えていない……、そう、思える。

不思議と、生涯、この世に会話の相手とメールの相手が1人もいない天涯孤独だけがそういう扱いなのだと、誰かに答えを言われた気がした。

路上生活をしていたときは、外国人にだけは見えていて、声もかけられたが……。

なぜか、日本人の集団に入ってしまうと、完全に消えてしまう。

家族観の無い天涯孤独は、想像を絶する世界だ。

人生の背景が違いすぎて、もはや誰が相手でも、会話すらまともに成立しない。

今から、向こうの世界の人たちが、四方八方から押し寄せてくるスクランブルに、その身をさらす。

誰かに、私の存在が見えるだろうか?


全方位の信号が赤になった。

車が停止した。

そして……、歩行者用の信号が、全方位で青に変わった。

横断歩道の誘導音であるピヨピヨとカッコーが鳴り響いた。


日本人が、ありとあらゆる方向へ動き出した。

まるで「フルーツバスケット」とでも言われたかのように、一斉に動き出した。

まぁ、昭和生まれじゃないと、この例えはわからないと思うが……。


日本人は自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族だ。

おまけに、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがるクソガキしかいない。


おい、お前たち、私が見えるか?


いろんな音が聞こえる。

革靴やハイヒールで地面をたたく音……。

紙袋がこすれ合う音……。

バッグとバッグがぶつかる音……。

近くの店のBGM……。

停車中の自動車やトラックのエンジン音……。

若い女性たちの笑い声……。

サラリーマンたちの声……。

大学生の、恋する2人の声……。

園児の声と赤ちゃんの泣き声……。

人とすれ違うたびに、音は大きくなったり小さくなったりする。


どうだ、お前たち、私が見えるか?


当たり前のように家族がいて、当たり前のように住む家があって、当たり前のように友人がいて、当たり前のように恋愛ができて、当たり前のように結婚できて、当たり前のように子供がいる、または、そのどれか一つでも経験したことのある、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想クズ日本人ども、どうだ、私が見えるか?


すぐに、『努力・我慢・行動・ポジティブ・ネガティブ・前向き・後向き・プラス思考・マイナス思考・諦める・諦めない・強い・弱い……』などという薄っぺらい言葉を使って、何でもかんでも自分の力で勝ち得たことにしたがる、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきただけの被害妄想クズ日本人ども、どうだ、私が見えるか?

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