ディズニーランドに行けない理由

どれほど昔だろうか?

学校行事で強制的に行かされたのが、ディズニーランドだった。

親しい友人がいなかった私は、先生主導の、人間のクズが集まる班にいた。

検索が身近になった今の時代なら、あの日のことは、調べれば西暦何年の何月何日まで特定できるだろう。

前日の夜、東京ドームで日本ハム対ロッテの試合を見た。

当日の夜、ホテルの部屋にあったテレビで、アニメ『ドラゴンボール』の放送(再放送でないリアルタイムの放送)を見た。

確か、亀仙人がピッコロ大魔王に魔封波を仕掛けて死んだという内容だった。

スペースマウンテンは5時間待ちだった。

覚えているのは、それだけ……。

なんか……、ディズニーランドって……、いつの間にか、恋する人たちや家族連れが訪れる象徴的な場所になったような気がする。

私は家族観が無いので、家族連れは死ぬまで見たくないし、恋愛経験も無いので、恋する人たちも死ぬまで見たくない。

こういう場所には、よほどの強制力が働かない限り行かないだろう。

会社の研修とか、社員旅行のレベルでは、私は会社を辞めるという選択を取るだろう。

そういう行事があると初めからわかっていれば、そういう会社とは関わらない。

私の人生観では、この場所は、そのレベルで受け付けない。

恋人がいると仮定すると、私はそこで何をするだろう?

無理やり笑ったり、無理やり楽しそうにしたり、無理やりテンションを上げたり、無理やり遊び慣れた自分を演じて、精一杯、恋愛経験豊富な自分でいるのだろう。

そういう自分を完璧に演じ切ろうとするのだろう。

どっちみち、それができなければ、前の彼氏と比べられて人間否定されるだけ……、真面目系の遊べない人間に生まれたら、それは宿命みたいなものだ。

ありのままの自分ではいられない。

恋愛経験無しという人生は、煮えくり返るくらいの葛藤があるが、私は全てを出し尽くした。

恋愛や結婚は、絶対的に不可能だとわかった。

精神が壊れて、路上生活をしたり、逮捕収監されたり、精神病院に放り込まれたり……、そうなるまで違う自分を演じ切り、彼女を作ろうとした。

何をやっても、どんな手段を使っても、最後の最後までできなかった。

恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがる被害妄想クズ女しかいないこの国では、私の理解者なんていない。

どうにもならないほどに、どうにもならなかった。

ディズニーランド……。

想像するだけで疲れ果ててしまう。

あの学生時代に訪れたときと同様にね。

それが私の、ディズニーランドに行けない理由……。

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