252 藤堂さんの勝負とその結末①

 翌日。

 やっぱりいてもたってもいられなくて、日中の隊務を終えるなり御陵衛士ごりょうえじが屯所にしている月真院げっしんいんへ向かった。


 近藤さんか伊東さん……。私が選んでも選ばなくても、今の状況ではきっと歴史通り進んでしまうのだろう。

 それでも、“伊東さんが亡くなったすぐそのあとに藤堂さんも亡くなる”という記憶。

 ただの希望的観測かもしれないけれど、すぐというのなら、多少なりとも時差があるはずで。この流れを変えることはもう難しいとしても、せめて藤堂さんだけでも……。




 月真院の近くへ着いたはいいけれど、今この状況で堂々と中へ入ることも、迂闊に近づいてはいけないことも理解している。

 ただでさえ藤堂さんと会うのだって、いつも偶然を装っていたくらいなのだから。仕方なく、少し離れた所で藤堂さんが出入りするのを待った。

 ……けれども時間だけが過ぎていくなか、見知った顔が何人か出入りするばかりで、藤堂さんの姿はなかった。


 日も暮れてきて、これ以上暗くなってしまうとこの距離で識別するのは難しくなりそうだった。

 残念だけれど、今日は諦めて屯所へと帰れば、途中、懐かしい人……土佐訛りの薩摩藩士さんに会った。

 向こうも私に気づいたようで、すれ違う直前に目の前で足を止めた。


「浮かん顔しちゅーがどうした?」

「え……いえ……」

「何か悩みがあるならきくぜよ? ま、わしには聞いちゃるしか出来んけんど」


 そう言って笑うけれど、新選組でも衛士でもない、何なら名前すらも知らないからだろうか。その言葉は妙に心地よくて、話の核心部分は避けつつも気づけば口を開いていた。


「なかなか思うようにはいかないなって……。結局、いっつも失敗してばかりで……」

「そりゃそうじゃ」

「え?」

「人生っちゅーもんはよういかんことの方が多い。ただ、何事も諦めん限り失敗なんてない。おんしが失敗思うちゅーそれも、成功へ至る道の通過点でしかない。やき落胆する暇があるなら、次の策を考える方がよっぽどええ」

「通過点……」


 にかっと笑う顔は自信に満ちていて眩しい。今の自分とはまるで正反対で、逃げるように視線を落とした。


「一度だって成功した試しなんかないんです……結局、いつだって……」


 そして今回も伊東さんを……。

 せめて藤堂さんだけでもって出てきたのに、天にすら見放されているのか会えなかったし。


「諦めん限り、人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もあるもんじゃ」

「何て言うか……凄く前向きな考え方ですね」

「疲れちゅーとどいたち滅入る。よう寝てよう食べて、ほいたら猛然と自信もわくってもんちや。やき、旨い軍鶏鍋でも食うて思いっきりやってみりゃええ」


 思いきり――


 私の事情なんて知らない人の、言ってしまえば無責任なはずの人の言葉なのに、不思議と元気づけられた気がした。

 そうしたらお腹が鳴った……。

 思えば昨日の夜からまともに食べていなかったっけ……。


「ちっくとは元気がでたがか?」

「っ! そ、そういえば、軍鶏鍋好きなんですか!?」


 初めて会った時も、軍鶏鍋を推していた気がする。

 おう、と笑う顔は相変わらず眩しいけれど、なんだかちょっとだけ元気が出たのも事実。今度はちゃんと顔を上げてお礼を告げた。


「世の中は大きゅう変わっちゅー。おんしの立場じゃ今より苦労することもあるかもしれんけんど、生き急いだらだめぜよ。どーんと構えて思いっきりやったらええ。当たって砕けろぜよ」


 そう言って自身の胸をたたくも、すぐに寝ぐせなのかくるくるとした髪を掻きながら笑った。


「あっ、砕けたらだめぜよ」

「……確かに」


 おかしくて笑い合うも、ほいじゃな、と去って行った。

 しばしそんな後ろ姿を見送りながら、ふと思い出した。


「土佐訛りの薩摩藩士さん……。って、そういえばいまだに名前知らないなぁ……」






 翌日、藤堂さんに会うため月真院へ行くもまた会えなかった。その翌日も、そのまたさらに翌日も同じだった……。

 隊務の合間を縫って行ったりもしたけれど、結局全然会えないまま。

 お昼過ぎ、部屋を出ようとしたところで土方さんに呼び止められた。


「今日も行くのか?」

「え、あ、いえ。えっと……甘味屋にでも行こうかな~って」


 咄嗟に誤魔化すも鼻で笑われてしまった。やっぱり、バレているのかもしれない……。


「あの……その、伊東さんに会ってるわけじゃないです……から」

「ああ。お前を疑っちゃいねぇよ。……平助、だろ?」


 やっぱり、全部お見通しらしい。


「あの時はああ言ったが、俺だってあいつを巻き込みたくはねぇ……。だが、表立って俺が動くわけにもいかなくてな」


 土方さんは悔しそうに拳を握りながら、……悪いな、と呟いた。

 任せてください、なんて言葉は軽々しくいえないけれど、それでもやれること、私にしかやれないことを思いきりやるだけだ。

 だから、行ってきます、とだけ告げて部屋を出た。




 月真院に着いていつものように遠目から藤堂さんを待った。

 けれど、待てども待てども今日もその姿を見ることが出来なかった。


 数日間ずっとこうしているのに、まだ一度もその姿を見ていない……まさか、避けられている?

 ……さすがにそれはないだろうと思いながら、また明日来ようと岐路につくも、途中、伊東さんに会った……。

 新選組と御陵衛士。両者の立場がどうであろうと、思いっきり目が合ったこの状況を無視するのはあまりにも不自然に思えた。

 だから、動揺を悟られないよう会釈をして、そのままただ横を通り過ぎる……つもりが、伊東さんの方が目の前で足を止めた。


「琴月くん。お久しぶりですね。元気にしていましたか?」

「……はい」


 咄嗟に出たのは自分でも呆れるほどそうは思えない声音で、慌てて伊東さんの方はどうかと聞き返せば、少し疲れを滲ませながらも相も変わらず爽やかな笑顔を返された。

 最低限の挨拶は終えたし、伊東さんと一緒に歩いている元新選組隊士の私に対する視線もあまり好意的ではない……。

 だから、このまま去ろうとするも私が声を発するより前に、伊東さんはその人を先に帰らせてしまった。


「……伊東さん?」

「この方角、屯所への帰り道だったのでは? 直に日も暮れてしまいます。途中までですが送りますよ」

「い、いえ、私なら大丈夫です! それに、伊東さんこそ帰りは一人になっちゃうじゃないですか。一人で歩くのは危険……だと思います、から……」


 何が、と言ったつもりはないけれど、それはお互い様では? なんて微笑まれてしまった。


「少し歩きませんか?」

「……はい」


 頑なに断ることも出来ず揃って歩き出すも、西日差す人の姿もまばらな往来に響くのは、言葉ではなく二つの足音だった。

 そんな沈黙を破ったのは、伊東さんだった。


「元新選組という肩書は、私が想像していた以上に重かったようです。なかなかいい報告を戻せなくてすみません」

「そんなことは……」


 裏で交わされているであろうやり取りの内容を、私は知らないので何か言える立場にない。

 それよりも、双方間者を放っていたのは事実だし、伊東さん自身も勤王思想で新選組とは決して相容れることはないのかもしれないのに、こうして言葉を交わしていると、やっぱり私の抱いてたイメージからどんどんかけ離れていく……。

 少なくとも、新選組に害をなそうなんて思ってはいないんじゃないのかな……と。


 時折見せるその爽やかな笑顔の下は相変わらず読めないし、本心なんてもっと知る由もない。あえて心地好い言葉を並べているだけかもしれない……そんな疑いだってゼロと言えば嘘になる。

 けれど、もしそうじゃないとしたら?

 一部の部下のせいで命を狙われているのだとしたら……こんな理不尽な話はない……。

 それでも、確信に触れることは出来ないと思いながら口を開いた。


「思うような活動が出来ないのであれば……こんな時勢ですし、衛士を解散して江戸に帰るとか……どうですか?」


 言葉だけを見れば凄く失礼で辛辣だ……。

 けれど、今の私が言えるのはこれが精一杯だった。

 気を悪くさせてしまったと思うも、伊東さんは予想に反してふふっと小さく笑った。


「あなたは本当に優しい人ですね」

「……え?」

「さっきも言いましたが、元新選組というだけで思うように活動が出来ないのは事実です。そして、衛士の中にはそれを打開すべく、過激な手段を取ろうとしている人たちがいる……。ですが、それは悪手というほかありません。そんなことをすれば、我々衛士はあっという間に壊滅するでしょう。だからこそ、そうならないよう説得している最中なのですが……おそらく、新選組はすでにその事実を把握しているのでしょうね」

「すみません……何のことだか、私には……」


 まるで顔に書いてあると言わんばかりの微笑みに、ついと視線を逸らしてしまったけれど、そんなことはお構いなしに伊東さんは言葉を続けた。


「あなたは私の身を案じて解散を提言してくれたのでしょう。ですが、同志のしていることとはいえ、そのせいで新選組が動こうとしているのなら、なおさら私は誤解を解かなければなりません」

「でも……」

「少し前、近藤さんに活動資金の援助をお願いしていたのですが、丁度工面がついたとの話が来ているのです。ですから、御陵衛士の長として、その時にでも誠心誠意伝えてみます」

「……はい」


 話せばわかる、わかってもらえる。そう信じて疑わないような顔で微笑まれたら、そう答えるしか出来なかった。

 思わず俯いて歩く私に、伊東さんはなぜか、ありがとう、と言ってきた。


「私はあなたにはあれだけの酷いことをしたので、もう口も聞いてはもらえないほど嫌われたと思っていました。だからこそ、こうして話をしてくれたことを嬉しく思います。ここ数日、あなたが月真院の様子を伺っていたのは、私が中心となって企てをしてると誤解しているからだとも思っていたので」

「あ、あれは……」


 って、バレていたのか……。もう下手な誤魔化しは通用する気がしなくて、正直に打ち明けることにした。


「実は、藤堂さんと少し話がしたくて……」

「なるほど、そうだったのですね」


 伊東さんは少し考える素振りを見せるも、そういえば……と、さっきよりもずっと暗さの増した空を見上げながら呟いた。


「明日の午後、近江屋へいく用事があったのを思い出しました。平助にも同行をお願いしなければいけませんね……あ、いえ、今のは独り言ですよ?」


 ……なんてわざとらしく言うけれど、それはつまり、私が藤堂さんと会えるよう計らってくれるということだろう。


「申し訳ありませんが、私も不用意に屯所へ近づくわけにはいきませんので、この辺りで大丈夫ですか?」

「はい、わざわざありがとうございました」


 こんな風に送ってくれたり藤堂さんと会えるようにしてくれたり……やっぱり、話せば話すほど伊東さんに抱いていたイメージが崩れていく……。

 同時に、こんな人がどうして……という思いと、私も決して無関係ではないという思いが胸を刺すのだった。

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