243 十四才の少年

 鉄之助くんは、土方さんの身の回りの世話や雑用など、緊張した面持ちながらも日々そつなく仕事をこなしていった。

 特に、お茶とお茶菓子を持ってきてくれるタイミングは毎回絶妙で、土方さんは沢庵、私は甘いものが好きだとわかると、それらもよく持ってきてくれた。


 そんな八月も中旬を過ぎた、ある日の昼下がり。

 非番の今日は、暖かな日差しを浴びながら文机の側で読書をしていたら、土方さんが訊いてきた。


「鉄之助の働きぶりをどう思う?」

「凄く優秀だと思います」

「ああ……ただ、優秀過ぎると思わねぇか? まだ十四だぞ」


 確かに。十四なんてまだ中学生だし、私がそれくらいの時は遊びに部活ばっかりで、勉強や家の手伝いは……。す、少なくとも、鉄之助くんほど気の利いた子供じゃなかったことだけは言える。


「そういえば、土方さんはバラガキって呼ばれてたんでしたっけ?」

「……うるせ。餓鬼の頃なんざみんなそんなもんだろうが」


 ……まぁね。大なり小なり悪戯の一つや二つ経験して怒られて……そうやって大人へと成長していくのものだとは思う。

 とはいえ、バラガキとまで言われた土方さんの悪戯とは一体どんなものか。興味がわいたので訊いてみれば、お寺の山門から通行人に野鳥の卵を投げつけたり……って、全然可愛げがない!?

 やられた方はたまったものじゃないし、野鳥も災難すぎる!


「んなことより鉄之助の話だ」

「え、あ、そうでした。でも、鉄之助くんをバラガキにするのはちょっとどうかと……」

「そこまで言ってねぇだろうがっ!」


 やっぱり、バラガキ時代はよっぽど酷かったという自覚が? ……なんて思ったら睨まれた。

 危うくデコピンまで飛んできそうになったところで、襖の向こうから鉄之助くんの声がした。

 今回もグッドタイミングでお茶を持ってきてくれたことに感謝しつつ、さっそく温かいお茶を啜りながら、一緒に持ってきてくれた大福にも手を伸ばす。


「副長。これから稽古場へ行ってもよろしいでしょうか……?」

「今日は特に何もねぇし構わねぇよ」

「ありがとうございます」


 失礼します、と丁寧に頭を下げる鉄之助くんも、近頃稽古を始めたと聞いている。

 大福を持っていない方の手でこぶしを握り、頑張ってね、というジェスチャーで送り出すと、残りの大福を頬張り私も読書の続きへと戻る。

 けれども小腹が満たされた今の状態で、日向ぼっこをしながらお勉強混じりの読書は危険すぎた……。

 数ページ捲ったあたりで視界は半分、何だか妙に視線まで感じるから慌てて本を閉じて振り向いた。


「ね、寝てませんからねっ!」

「……ぶっ」


 ……え? 吹き出された?

 隣で呑気に寝てんじゃねぇ! なんて言われる気がして先手を打ったつもりが……そこにあるのは予想に反して片肘をつき、穏やかにこちらを見ている顔だった。

 拍子抜けして私までじっと見つめてしまえば、今度はみるみるうちに眉間に皴が寄り、なぜか慌てたように声を荒らげた。


「寝てる暇があったら鉄之助の稽古でも見に行って来い!」

「はいっ! ……って、まだ寝てませんってば!」

「うるせ。寝る寸前だったじゃねぇか」

「なっ……」


 やっぱり見られていた!? ……でも、いつもならもっと早くに怒鳴っていそうなものだけれど……。


「土方さん、もしかして暇なんですか?」

「……あ?」


 鉄之助くんにもそんなことを言っていた気がするし、文机に広げた紙はいまだ真っ白のまま。そもそもその紙も、いつもの仕事用とは少し違う気がする。

 もしかして、趣味の句でもしたためていた?


「真っ白ですけど……いい句が浮かばないんですか?」

「……うるせ」


 図星らしい。


「じゃあ、気分転換に、土方さんも一緒に鉄之助くんの様子を見に行きませんか?」


 余計なお世話だ、と一蹴されそうな場面だけれど、土方さんも鉄之助くんのことは気にかけているようで、仕方ねぇな、と立ち上がるのだった。




 二人で稽古場へ向かうと、開け放たれた扉の一つからこっそりと中を覗き込む、沖田さんの姿があった。

 そして、私たちに気づくなり振り向き様に自身の口元に人差し指を立てるから、首をかしげながらも言われた通りそーっと中を覗いてみる。

 今日はいわゆる自主練の人たちしかいないようで、鉄之助くんと、鉄之助くんと同じ頃に入隊した隊士たちの計四人しかいなかった。


 ただ、まだ防具もつけていない鉄之助くんは他の三人に取り囲まれていて、どうも稽古をしているようには見えない。何となく良くない雰囲気が漂う中、隊士の一人が竹刀を投げつけるようにして渡したかと思えば、突然自身の竹刀を振り上げた。

 次の瞬間、勢いよく振り下ろされた複数の竹刀が、まだ構えすら取っていない鉄之助くんに迫る。

 けれど、鉄之助くんは全てギリギリのところで避けてみせた。


 へぇ~、と隣から聞こえた沖田さんの感嘆の声は、私が声を発するより前に、道場内から聞こえる理不尽な怒声にかきけされた。


「はぁ!? 何避けてんだよ!」

「…………」

「兄貴にくっついてきただけのガキが生意気なんだよ!」


 何がそんなに気にくわないのか、三人は怒りを露にして再び竹刀を振り下ろす。

 そんな彼らとは対照的に、鉄之助くんの方は落ち着いてしっかり動きを目で追っているように見える。だから、今度はきちんと反撃に転じるのかと思うも、鉄之助くんは避けることすらしなかった。


 反論も反撃もしない鉄之助くんに、理不尽な竹刀が振り下ろされる。

 稽古と称しながらチビとか出ていけとか、あげくどうやって副長に取り入ったんだとか。幼稚な罵詈雑言もそれに合わせて繰り出される竹刀も、明らかにただのいじめだ。

 これ以上は黙って見ていられず止めに入ろうとすれば、どういうわけか両サイドから腕を掴まれた。


「待ってください。あれくらい一人で対処できないようじゃ、ここではやってけませんよ~」

「でもっ!」


 一対複数はいくら何でも卑怯だ。


「まぁよく見てみろ。あいつ、いい目をしてるじゃねぇか」

「はい?」


 土方さんまで何を言っているのか。

 けれど、腕を離してもらえないどころか沖田さんに口まで塞がれ、声すら出せなくなった。

 抜け出すことが出来ないまま、解放されたのは鉄之助くんをいじめる三人が稽古場を出ていってからだった。

 今度こそ駆けつけようとするも、すくっと立ち上がった鉄之助くんが一人竹刀を振り始めた。


「いい年して寄ってたかって……お前らこそ弱いからじゃないか」


 それは、いつも文句一つ言わず淡々と仕事をこなす鉄之助くんからは想像もできない、初めて見る年相応な姿だった。

 不謹慎だとわかりつつも頬が緩むのを感じれば、土方さんと沖田さんの顔にも同じようにうっすらと優しい笑みが浮かんでいて、少しの間三人で見守った。


 しばらくして、沖田さんが動いた。

 鉄之助くんの愚痴が止んだところを見計らったように入って行くと、私たちに気づきどこか気まずそうにする鉄之助くんを気にもせず、落ちていた竹刀を拾い構えた。


「付き合いますよ~」

「……って、沖田さん!? そんなことより手当てを先に!」


 つい一緒になってぼーっとしていたけれど、袖から覗く鉄之助くんの腕は所々赤くなっている。袴で見えないけれど、おそらく足もだろう。


「琴月先生。私なら大丈夫です」

「でも――」

「大丈夫ですよ~。見た目より酷くはないはずですよ。ねぇ?」


 はい、と頷く鉄之助くんに向かって、土方さんまで手当てそっちのけで問う。


「鉄之助。お前、あいつらの動きを見切ってただろう。なんでわざとくらってやった?」

「……それは……」


 ちょっと待って。わざと……?


 土方さんと沖田さん曰く、鉄之助くんは彼らの剣筋を全て見切ったうえで、反撃どころか避けることもせずあえてくらっていたのだと。それも、相手にはバレない程度になるべく軽症ですむ位置に。

 半信半疑で鉄之助くんを見れば、諦めたように口を開いた。


「……終わらないからです」

「なるほどな」


 自身の未熟な剣技で中途半端に反撃しても避け続けても、相手を逆上させるだけで増長するだけ。だからさっさと相手を満足させ、最短で終わらせる方法を選んだのだと。

 次いで、いまだ構えを崩さない沖田さんも問いかけた。


「事を荒立てては、お兄さんにも迷惑がかかるかもしれないから、ですか~?」


 鉄之助くんが拳を握りながら俯くように頷けば、土方さんまで鉄之助くんに近づいた。


「お前なりに収めたつもりなんだろうが、本当は納得いってねぇんだろう?」

「そんなことは……」

「じゃあなんで、一人で愚痴をこぼしながら竹刀を振り回してたんです~?」

「それは!」


 鉄之助くんは勢いよく顔を上げるけれど、すぐにばつが悪そうに俯いた。そんな鉄之助くんの頭を、土方さんがぽんと叩く。


「強くなれ、鉄之助。ぐうの音も出ねぇくれぇ相手を打ち負かせるようになりゃいい」

「そうですよ~。というわけで、特別に僕が時々稽古をつけてあげます」

『えっ!?』


 思わず三人で声を揃えるも、鉄之助くんのそれはどこか嬉しさが混じっているようにも見える。

 もちろん私と土方さんは、沖田さんの例の指導方法だったり体調だったり……、何も知らない鉄之助くんと違って圧倒的に不安と心配を含んでいる。

 だから、すぐに自身の声色だけが違うことに気づいた鉄之助くんが慌てて辞退を申し出るけれど、沖田さんは笑顔を浮かべるだけで取り合わない。

 それどころか、私と土方さんの心まで読んだかのようににやりとして見せた。


「大丈夫ですよ~。これ以上隊士が逃げ出したら困りますからね、僕なりに気を遣って、最近は指導方法も少し変えたりしているんですよ~?」


 沖田さん曰く、近頃は竹刀を手に持たず、口頭での指導を中心に行うこともあるのだと。


「江戸へ行く日も近いですからね~。僕も怪我はしたくないですし~」


 いや、怪我をするのは相手であって沖田さんではない……。

 まぁ確かに稽古の付け方は人それぞれで、一歩引いたところから全体を見つつ言葉での指導を中心にする人と、自ら竹刀を握り、実践さながらまさに体当たりで教える人と別れる。

 言うまでもなく、土方さんや沖田さんは後者だけれど。

 土方さんも心配なのか、難しい顔で沖田さんに向き直った。


「総司。鉄之助の稽古は他の奴に――」

「嫌だなぁ~。“強くなれ”って鉄之助くんに言ったのは土方さんですよ~?」

「だからどうした」

「僕が教えれば、強くなると思いますよ~?」


 それは、あの出来て当たり前と言わんばかりの指導方法についていけた場合の話だと思う……。

 なんせ彼はまだ十四才。頑なに兄に迷惑をかけたくないとは言っているけれど、余りの厳しさに嫌気が差し、脱退したいとも言えないまま脱走という道を選んでしまったら……?


 とはいえ、沖田さんが一度言い出したことをそう易々と撤回するわけもなく。

 なにより、この状況におどおどしつつもその目は明らかに期待に満ちている鉄之助くんを、私も土方さんも無視することは出来なかった。


「じゃあ、さっそく稽古始めましょうか~」

「はいっ!」


 ひときわ大きな鉄之助くんの声が、道場内に響き渡るのだった。

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