143 鼠の正体

 十一月になった。

 隊務にも復帰して数日、すっかり旅気分も抜けたこの日は朝から沖田さんと一緒に巡察だった。


 ふと見上げた空は快晴で、澄んだ空気が一層青を綺麗に見せている。

 そんな空の下、浅葱色の羽織りを着なくなった新選組は、黒い羽織りや筒袖の陣羽織を羽織ったりとすっかり黒づくめだ。

 少し寂しい気もするけれど、こればっかりは仕方がない。

 小さな白いため息を吐き出せば、冷たい風が吹き抜け咄嗟に黒い羽織りの襟を掻き合わせた。隣を見れば、沖田さんも背中を丸めて縮こまっている。


「今日も寒いですね……」


 同意を求めた私に向かって、そういえば……と沖田さんが思い出したように口を開いた。


「寒いで思い出したんですけど、僕の愚痴を聞いてもらえませんか?」

「何かあったんですか? 私でよければもちろん聞きます」

「嬉しいな〜」


 そう言って、笑顔のまま私を見下ろし続きを口にする。


「実はですね、僕の部屋なんですけど、数日前から急に風がすーすー抜けていくようになっちゃったんです」

「風が抜けていく? どこか穴でも空いてるんですか?」

「うん。どうも押入れの方からすーすーするんですよね~」

「もしかして、押し入れの奥でネズミが穴を開けちゃったとか……」

「あ〜確かに。部屋に大きな鼠が入った形跡があったんでそうかもしれませんね。でも、どうやら襖の方に問題がありそうなんですよね〜」


 襖に……。

 それってまさか、土方さんが襖の裏側を破いてしまったのが原因だったり?


「で、でも、表はちゃんと貼ってあるから、そこまで風が抜けるとは思えませんし、襖じゃなくて他に原因があるんじゃないですか?」


 できれば襖の話題からは遠ざかって欲しい。私は何もしていないけれど、一緒にいたとバレては絶対に面倒なことになる。


「へぇ〜。表は、ですか〜」


 ……あ、しまった。

 これじゃ、裏はちゃんと貼っていないと言っているようなものだ……。


「ほ、ほら、裏側なんて普段見ないので、どうなってるかなんてわからないですしっ! それに、それこそネズミが破いちゃったのかもしれないですよ!?」

「僕は襖に問題がありそうとしか言っていないのに、どうして裏側が破けてるって知ってるんです?」

「え……あっ! それは、その……」

「春くんは素直でいい子なのに、まさか土方さんと一緒になって僕の部屋を荒らしに来るなんて……酷いですね~」

「ちょ、ちょっと待ってください! 私は荒らしてませんよっ!」


 まるで共犯者のような言われようだけれど、私は勝手に連れて行かれただけで襖には触れてもいない!


「でも、その場にはいたんですよね?」

「それは、まぁ……はい……」

「土方さんを止めなかった時点で共犯です」


 そう言って、沖田さんはとびっきりの笑顔で微笑んだ。

 共犯者はむしろ、山崎さんの方なのに!


「というわけで、罰として奪還作戦につき合ってくださいね?」

「奪還も何も、あれってもともと土方さんの物じゃ――」

「つき合ってくださいね?」


 満面の笑みを浮かべているけれど、目! 目が笑っていないからっ! 

 何にせよ、やっぱり面倒なことになった!




 巡察を続けていると、小間物屋を覗き込む見知った背中を見つけた。綺麗な着物を着た品のいい女性を連れ立っていて、もちろんその女性にも見覚えがあった。

 私の視線に気づいた沖田さんが、同じように先を見つめて言う。


「敬助さんと明里さんですね」

「はい。あの二人……その、上手くいったんですか?」

「うん。僕と春くんの作戦が功を奏したみたいですよ」


 そう悪戯っぽく話す沖田さんの顔は、どこか嬉しそうに見える。

 どうやら沖田さんと実行したあの作戦以降、山南さんと明里さんは怪我をする以前のような仲に戻ったらしい。

 作戦なんて大層なものじゃなくとんだ茶番劇だったけれど、それでも、二人が納得のいく形に収まったみたいでよかった。

 ここで声をかけるのは野暮な気がして、沖田さんも私も、仲睦まじく微笑み合う二人には気づかないふりをして巡察を続けるのだった。






 それから数日が過ぎたある日、いつものように巡査を終え戻ると広間に隊士たちが集まっていた。

 何の集まりなのかと近くにいた永倉さんに訊いてみれば、文武の才を買われ入隊早々副長助勤に抜擢された伊東さんが、勉強会を開くのだという。


「勉強会?」

「おう。何でも今の情勢やこれからについて、意見や議論を交わす場にしたいらしい」


 きっとまた、あの話をするのだろう。

 言っていることはもっともだし素晴らしい……頭ではそう思うのに、どうしても素直に受け入れられない。それだけならまだしも、本心では全く違うことを考えているんじゃないか……と疑ってしまう。

 そんな自分が少し嫌になり、思わずため息がこぼれた。


「せっかくだから、春も参加してみたらどうだ? 相手をろくに知ろうともしないで嫌うのはどうかと思うぞ?」

「私は別に、嫌ってるわけじゃ……」

「わかったわかった」


 そう言って笑う永倉さんに背中を押され、前から二列目あたりに座らされた。私の前の最前列には、山南さんもいた。


 永倉さんが言うように、確かに拒絶していては何もわからないままだ。

 新選組を二分する理由、近藤さんの暗殺を企てる理由。伊東さんの話を訊いていれば、その理由も見つかるかもしれない……と、このまま参加してみることにした。




「お待たせしてすみません」


 そう言って伊東さんがやって来た。たったその一言でみんなの注目を集めてしまうような、そんな魅力が伊東さんにはある。


 勉強会はすぐに始まり、みんな伊東さんの声に耳を傾けた。

 伊東さんの話や話し方はとても丁寧で、わからないことがある人が質問などをすれば、どんな些細なことでも嫌な顔一つせず丁寧に答えている。

 出払っている隊士も多いので、広間にいるのは十数名といったところだけれど、この勉強会とやらはそのうち人が増えそうな気がした。それがいいのか悪いのか、私にはわからないけれど。


 それから少しした頃、斎藤さんもやって来て隣に座った。


「随分と勉強熱心だな」

「そんなんじゃないです」

「なら、やはり惚れ――」

「違いますっ!」


 声を大にして否定するも時すでに遅し。

 すみません……と謝れば伊東さんに微笑まれた。


「斎藤さんこそ、遅れてでも参加するなんて勉強熱心じゃないですか」


 少々の嫌みを含めて小声で訊いてみれば、斎藤さんは全く意に介さずにやりと口の端をつり上げる。


「お前も参加しているという噂を聞いたからな。俺はお前を見に来ただけだ」

「なっ、さ、斎藤さんっ!」


 それなりに小声で言ったつもりなのに、目の前に座っている山南さんに、前回と同じような注意をされるのだった……。




 およそ半刻ほどの勉強会が終われば、釈然としない思いを抱えたまま部屋へ戻る。

 伊東さんの話は、聞けば聞くほど疑ってしまう自分が嫌になるくらい、いい話に聞こえてしまう……。

 はぁ、とため息をつきながら炬燵に突っ伏せば、筆を走らせていた土方さんが吹き出した。


「ため息をつくほど、伊東さんの勉強会は難しかったのか?」

「そういうわけじゃないです……って、どうして勉強会に参加してたって知ってるんですか?」


 土方さんはにやりとするだけだけれど、この間、尾形さんに監視を続けるように言っていたし、その辺りから伝わったのかもしれない。

 そんなことより……。


「伊東さんの勉強会って、これからも定期的にやりそうな感じでしたけどいいんですか?」

「許可を出したのは近藤さんだ。近藤さんがいいって言うんだからいいんじゃねぇか?」


 本当にいいのかな。あの人はいずれ新選組を二分してしまう。伊東さんに同調する人とそうでない人に別れてしまったら……。

 もしそうなのだとしたら、勉強会なんて盛り上がらずになくなってしまえばいいのに。


 山南さんは今回も最前列で熱心に伊東さんの話を聞いていたし、永倉さんも、伊東さんに対して最初から好意的で勉強会についても興味がありそうだった。

 斎藤さんだって、あんな冗談を言ってはいたわりには伊東さんの話を真剣に聞いているように見えた。


 もし、みんなそのまま伊東さんに同調して伊東さんの側についてしまったら……。

 そんな不安に再びため息をこぼせば、隣で何かを書き終えたらしい土方さんが、見てみろと言わんばかりに得意げにその紙を広げてみせる。


「何ですか? それ」

「長州征討に向けた行軍録だ」


 どうやら、お声がかかったらこの通りに隊列を組む、というものらしい。

 とはいえその長州征討に呼ばれる気配が全くしないのだけれど……それを口にした日には、馬鹿野郎! と怒鳴られ睨まれて、デコピンまで飛んでくるに違いない。

 私としては遠くの長州よりすぐ側にいる伊東さんの方をなんとかしたいのだけれど……そんなことを思っていたら、何度目かもわからない大きなため息がこぼれた。


「馬鹿野郎!」

「イタッ!」


 結局デコピンが飛んできた。

 声に出してはいないのに、どうしてバレたんだっ!?

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