120 現代と過去②
翌日の午後、会津藩士に連れられて一人の少年が屯所へやって来た。
山南さんが別室で二人の話を聞いている間、私は沖田さんの部屋で、“暑い、暇”と愚痴をこぼしながら横になるこの部屋の主を団扇で扇いでいた。
「春くん。これから戦が始まるかもしれないっていうのに、僕らいつまでここにいればいいんですか~?」
「沖田さんの体調が回復するまで、だと思います」
「なら、もう平気なんで今から九条河原に戻りましょうか」
「ダメですよ。朝も昼もあんまり食べられなかったじゃないですか。無理したらまた倒れちゃいます」
痛いところを突かれたのか、沖田さんは反論もせず拗ねた子供のように唇を尖らせた。
「僕だって戦いたいのに……」
「今はちゃんと休んでください。戦だって、このまま何もなく終わってくれるのが一番いいんですけどね」
長州対幕府……こんな構図、誰が見ても勝敗は見えている。躍起になって戦ったところで無駄な血を流すだけなのだから、とっとと兵を引き上げればいいのに。
「う~ん、さすがに今さら引くとは思えませんね~。もう一月近くも経つんです、引くならとっくに引いてますよ。それに、山南さんも言ってたじゃないですか~。長州は池田屋のことで躍起になってるって」
池田屋……。長州は会津公と会津藩ただ一藩だなんて書状をばらまいていたくらいだし、会津公の配下であり、直接池田屋へ斬り込んだ新選組のことだってよっぽど恨んでいるのかもしれない。
ところで……。
「沖田さん、やっぱり盗み聞きしましたね?」
扇いでいた団扇を止めてしまったせいか、不満げに顔を振り向かせる沖田さんを問いただすも、全く悪びれる様子のない満面の笑みが返って来る。
「嫌だなぁ。春くんの様子を見に行ったら、たまたま聞こえちゃっただけですよ~」
しばらくすると、山南さんが少年を連れてやって来た。
「二人とも少しいいかい? ああ、総司はそのままでいいよ、楽にしていて」
「それじゃあ、遠慮なく」
沖田さんは横になったまま身体の向きだけを反転させ、私は団扇を畳の上に置き、その場で山南さんと少年に向き直り居住まいを正した。
「こちらは
山南さんが紹介し終えると、少年もすぐに自己紹介を始めた。
「佐久間恪二郎、年は十七です。父は佐久間象山、叔父は幕臣、
父である象山先生が暗殺された時、その傷が武士として不名誉である後ろ傷だったがために、佐久間家はお家取り潰しになってしまったらしい。
そのため、象山先生の弟子でもある今日彼を連れてきた会津藩士の勧めで、仇討ちをすることにしたのだと。
象山先生を暗殺したのは過激な尊攘派、新選組が取り締まっているのも同じ。ここにいれば、仇討ちの相手も見つけやすいだろうということだった。
彼は象山先生と妾の間に生まれた子供だそうで、義母にあたる正妻が幕臣の妹らしい。つまり、その幕臣とは叔父と甥という間柄になる。今日は、その叔父からの紹介状も携えやって来ていた。
「勝殿直々に頼むとのことだから、二人も宜しく頼むね。佐久間君も今は辛いだろうけど……わからないことは遠慮せず聞いて、みんなを頼ってくれて構わないから」
「はい」
すでに近藤さんたちにも使いを出して伝えてあるらしく、山南さんは少年とともに部屋をあとにした。
畳の上の団扇を手に取った沖田さんは、再び縁側に向き直ると、自身でゆっくりと扇ぎながら面白そうに呟いた。
「猫ですね~」
「……猫? どこですか?」
野良猫でも迷い込んで来たのかと庭に視線を移すも、沖田さんは庭を見たまま小さく吹き出した。
「さっきの子ですよ~。言葉も態度も丁寧で大人しそうに見えましたけど、たぶん、猫かぶってるだけですよ~あれは」
「何でそんなことわかるんですか?」
父親を暗殺されたばかりなのだから、元気もなくて当然だと思う……とはいえ、私は少年の顔をまともに見ることもできなかった。
申し訳なさと罪悪感……。私よりも年下の子が父親を殺され家まで奪われて、そのうえ仇討ちなんて……。
父である象山先生の暗殺なんてなければ、あの少年は今も穏やかに暮らしていたかもしれないのだから。
「う~ん、何となくですかね~?」
何となくって……。
翌日、事情を知った近藤さんが屯所に一時帰営した。
心優しい近藤さんは少年の境遇に心を痛め、しばらく話をしたあと、象山先生の仇をともに討とうと食客ではなく正式に隊士として迎え入れることとなり、名前も佐久間恪二郎から
とはいえ、これから戦が始まるかもしれないこの状況。
幕臣直々に頼まれた甥っ子に預かって早々何かあっては面目も立たないので、丁度年齢も同じで近藤さんの養子になって間もない周平くんとともに、近藤さんの身の回りの世話や護衛という形で今回の戦にも参加するらしい。
近藤さんは今、山南さんの部屋で留守中のことなどの打ち合わせをしている。
終わり次第、三浦くんとともに九条河原へ戻るというので、見送るため一足先に玄関の外で空を眺めながら待っていた。
別に、空を見上げることが特別好きだったわけじゃない。
ただ……いつだってそこにあるものだから。
現代、過去、未来、どこにいたって変わらずそこにあるものだから、なんとなく見上げてしまうだけ。
こぼれそうなため息を誤魔化すように、夏の雲を掴もうと腕を伸ばした。
不可能なことくらいわかっている。すがりたいだけだということも。
けれど……指先一つ届くはずもなく、突きつけられた現実に力なく腕を下ろした。
「わかってる……」
ここは、私がいた平和な現代なんかじゃない。想像のつかない未来でもない。
志士たちが命懸けで生きた動乱の幕末、過去なんだってこと。
自分の無力さも嫌ってほどわかっている。
「わかってるのに……」
過激な尊攘派による天誅と称した暗殺は繰り返され、残された者は仇討ち……。
先の市中放火計画だって、阻止できたとはいえ政治とは関係ない一般市民をも巻き込むようなものだった。
このまま戦が始まってしまったら、今度こそ町の人たちだって無事では済まないかもしれない。
そして、そこで生まれる悲しみは、きっとまた新たな悲しみを生む。
終わりの見えない負の連鎖。
おそらくそれは、どこかで、誰かが断ち切るまで続いていく……。
悲しい結末なんて、誰もきっと望んでいない。
苦しい思いなんて、私もこれ以上したくない。
長州も過激な尊攘派も、自分たちの理想のために邪魔なものは全て消していくというのなら。
そこに、私の守りたい新選組が含まれるというのなら……。
それはきっと、もう……。
――――倒すべき“敵”なんだ。
お兄ちゃんだって言ってたもの。新選組はヒーローだって。
ヒーローが敵を倒すのは、ごく自然なこと。
複雑なバッドエンドなんていらない。単純明快なハッピーエンドがいい。
だからこそ、目の前に立ち塞がる敵は倒さなきゃいけない。
再び牙を剥くことがないよう、残らず排除してしまえばいい。
だって、敵なんだから。
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