114 明保野亭にて①
翌日、古高俊太郎が六角獄舎へと移送された。池田屋の話を耳にしてもなお、口を閉ざしたまま何一つ語ることはなかったらしい。
そんななか、東山にある明保野亭に長州の浪士が多数潜伏している、という情報が飛び込んできた。
武田さんが隊士を率いて探索へ行くことになり、私と原田さんら屯所にいた隊士数名と、柴さんを含む会津藩士五名が加わりおよそ二十名で出動することになった。
さっそく支度をしていれば、土方さんが少し言いづらそうに訊いてくる。
「武田が一緒だが……平気か?」
「そういえば、あれ以来何もないので大丈夫だと思います。それに、避けてたら仕事にならないですし」
「まぁ、それはそうなんだが……何かあったらすぐに言えよ」
心配する土方さんに頷いてから玄関へ行くと、立ち話をする原田さんと柴さんを見つけそこに加わった。
「おはようございます」
「おう、春か。病み上がりなのに、今日もこれ着こんでるが平気か?」
そう言って、原田さんは片手で自分の鎖帷子をしゃらりと鳴らしてみせた。
今回も敵陣へ乗り込むようなものなので、池田屋の時と同じく装備は万全なのだけれど……相変わらず重くて暑い。
私が倒れた本当の理由を知っているのは土方さんだけで、表向きは沖田さん同様体調が悪くて暑さにやられたことになっている。だから、原田さんは心配してくれているみたいだった。
「すみません、ご心配をおかけしました。でも、たくさん寝たのでもう大丈夫です」
「そうか。まぁ、あんま無理はすんなよ」
はい、と返事をすれば、柴さんも着込んだ鎖帷子を僅かに見せながら、少し硬い表情で言う。
「永倉さんに今日はこれもお借りしましたが、これ一つ着るだけで緊張感がまた違いますね」
確かに……と苦笑を返せば、柴さんでも原田さんでもない声がした。
「当然だ。その腰に差した刀も手にした槍も飾りではないのだからな。応援として来た以上はしっかり働いて頂きたい」
嫌みったらしい声に振り返ると、そこに立っていたのは武田さんだった。
「春も、病み上がりとて私とともに出るからには再び倒れられては困る」
「……はい、すみません。もう大丈夫です」
すかさず謝るも、見兼ねた原田さんが間に入ろうとした途端、武田さんはそそくさとその場から離れ隊を率いて出陣し始めた。
あの様子なら、私のことはきっぱりと諦めてくれたに違いない。嫌みを言われるのは面倒だけれど、好意を抱かれたままというのも余計に面倒そうなので、これでよしとしよう。
そんなことを思いながら三人で後方からついて行けば、原田さんが呆れたように口を開いた。
「ったく、相変わらず嫌われたがりな奴だな。二人とも、あんな奴の言うことなんて真に受けなくていいからな」
目上にだけペコペコと媚びへつらうような奴なんだ……と、原田さんは柴さんに向かって苦笑した。
「あれ? でも、柴さんは正真正銘の武士なのに、何であんなに上から目線なんですかね?」
ふと思った疑問を投げかけてみれば、今度は柴さんが苦笑する。
「武士と言っても、私は一藩士に過ぎませんから。皆さんの方がよっぽど武士らしいですよ」
柴さんが言うように、一藩士の人間に取り入っても出世はできないとでも踏んだのだろうか。
……だとしたら、みんなに嫌われるのも納得だ。
明保野亭が近づくにつれ、柴さんの表情が強ばっていることに気づいた原田さんが、元気づけるようにその背中をバンと叩いた。
「そんなに力んでも仕方ねえぞ。普段通りでいい」
「……はい!」
柴さんの表情は、それでもやっぱり緊張しているように見えた。
明保野亭につくと、武田さんの指示で数人が店の表と裏の門を固め、残りで店内を探索することになった。武田さんと原田さんは二階、私と柴さんはともに一階を担当する。
さっそく店主に事情を話し改めを開始するも、一階にはそれらしい人たち……というより、誰もいなくて静かだった。
「いなそうですね」
隣の柴さんにそう告げれば、突然ドタドタと二階の足音が騒がしくなった。
慌てて部屋を飛び出し二階へと続く階段へ向かえば、男が一人、勢いよく駆け下りて来た。同時に、上から武田さんの叫び声がする。
「そいつを捕まえろっ!!」
この人が捕縛対象の浪士なのだろうか。踏み込まれて逃げ出すのだからそうなのかもしれない。
武田さんの指示で慌てて駆け出した柴さんを追うように、私も外へ出た。
「止まれ!!」
柴さんが叫ぶも男は止まることなく、庭の垣根へ向かって逃走する。
「止まってください!!」
一緒になって叫ぶも、相手はよほど捕まりたくないのか垣根を破ってまで逃走を図ろうとした――その時だった。
一緒に追いかけていた柴さんが、意を決するような声を上げたかと思えば槍を構えるのが見えた。
「え、待ってっ!!」
咄嗟に突き出された槍の柄に手を伸ばすも間に合わず、柴さんの槍を握る手元を押すような形となった。
槍の穂先は、背を向け逃走する男の後ろ腰を僅かに突いた。
「ま、まっちょりや! ほれ以上突かんでくれっ!! わしゃ土佐藩士じゃ!」
え? 土佐……? 長州ではなくて?
そのうえ、藩士って言った気がするのだけれど……。
男は尻餅をついたまま片手で腰の傷を押さえ、もう片方の手を上げ必死に待ってくれという仕草をしている。
「土佐藩士、
これは……どういう状況?
私たちが捕まえに来たのは長州の浪士だったはず。それなのに、逃走して追い詰めた男は土佐の人間だと言う。しかも、浪士ではなく藩士だと。
槍を持ったまま呆然と立ち尽くす柴さんの後ろから、原田さんの声がした。
「何で逃げたんだ? 土佐藩士なら逃げる必用はねえだろ」
「それは……厄介ごとに巻き込まれたら面倒や思うてつい……」
ついって……。そのついでこうして追われる方が、よっぽど厄介だと思う。
遅れて武田さんもやって来た。
「確認が取れるまで、このまま身柄は預からせてもらう」
この場は武田さんたちに任せ、いまだ呆然としたままの柴さんを連れてその場から少し離れた。
「大丈夫ですか?」
顔色がもの凄く悪い。
いきなり槍を突き出した時は焦ったけれど、残党探索の命令は幕府と京都守護職から出されているもので、信じられないけれど、
だからこの場合、柴さんに落ち度は全くない。というより、そんな情勢なのにあの状況で逃げ出す土佐藩士の方が悪い。やましいことがないのなら、その場ですぐに名乗ればいいのだから。
「琴月さん、私はとんでもないことをしてしまったんじゃないでしょうか……」
「柴さんは悪くないと思います。それに、見た感じ傷も深くはなさそうですし、大丈夫ですよ」
しばらくすると身柄の確認が取れた。柴さんが傷を負わせた麻田さんは、どうやら本当に土佐藩士だったらしく、その場で釈放となった。
けれど、柴さんを責める人なんて誰もいない。あの武田さんですら、その正当性を認めていたくらいなのだから。
それでも、当の本人はずっと浮かない顔だった。屯所へ戻るまでの間に私と原田さんで励まし続けたけれど、青い顔をしたまま上の空で、放っておけないほどだった。
永倉さんに槍と鎖帷子を返しに行くというのでつき添えば、永倉さんも柴さんの様子がおかしいことに気づき、事情を説明した。
「相手は逃げたんだろう? だったら無理もないさ。逃げたら追うのが普通だ、間違ってない」
そう言って永倉さんも柴さんを励ますけれど、あまり効果はなかった。
そのまま土方さんの部屋へつれていけば、土方さんもやっぱりみんなと同じようなことを言った。
「いくら相手が土佐の藩士だろうと、そんな状況で逃げ出そうとする方が間違ってんだ。柴、お前は真面目に仕事をした、それだけだ。だから気に病む必要はねぇよ」
「……はい」
一度会津本陣へ戻り、会津公にも報告するという柴さんを土方さんと一緒に玄関まで見送った。
「柴さん、大丈夫ですかね……」
「柴がやったことは何の問題もねぇが……あいつ自身がああいう奴だからなぁ……」
隣で心配そうに小さなため息をつく横顔を見上げて、少し気になっていた質問を投げかけてみる。
「そういえば、土方さんて前から柴さんのこと知ってるんですか?」
土方さんの柴さんに対する話しぶりは、昨日今日会ったような人に対するものではないように感じる。
「まぁな。会津本陣へ赴く時なんかに顔を会わすことも多いからな。本物の武士のくせに人懐っこくてな、俺たちの方がよっぽど武士らしいなんて言いやがるんだ」
照れ隠しなのか言い方はぶっきらぼうだけれど、その横顔は凄く嬉しそうだった。
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