110 洛陽動乱⑤
しばらくすると永倉さんが戻って来た。応急処置だけはしたのか、手に巻いた布には血が滲んでいる。
「おかえりなさい! 消毒と薬はまだですよね? 私がやります!」
「おう。頼む」
ここには本職の医者がいるけれど、本職だからこそ、できるだけ重症な人や縫合等の専門的な治療が必要な人に専念してもらいたくて、消毒や簡単な傷の手当てくらいなら手伝えると、医者にも許可を得ておいた。
さっそく永倉さんを座らせて、赤く染まった布をほどいていく。左手の親指を深く斬られたみたいで、かなり痛々しい。傷口を確認した医者が縫合の準備をする間、消毒のためのお酒を掛けると永倉さんが吠えた。
「うおおおお。痛えええええ!!」
「すみません……少しだけ我慢してください……」
「お、おう。大丈夫だぞっ!」
必死に堪える永倉さんの目は、とてもうるうるしているのだった……。
医者が縫合を終えると、包帯を巻くのは任せてもらった。巻き終えると、永倉さんは片手を軽く振り具合を確かめる。
「刀振り回してる時は痛くなかったんだけどなぁ」
「それはきっと、アドレナリンがバンバン出ていたからだと……」
「あど……りん? 何だ?」
「あ、えーっと……痛みを感じないくらい興奮してたってことです」
「なるほどな」
うんうんと首を縦に振って納得する永倉さんは、私と周平くんが土方隊を呼びに行っている間の激闘の様子を教えてくれた。
池田屋にいた尊攘派の浪士はおよそ二十人。いくら武装して奇襲をしたとはいえその人数差は圧倒的で、こちらも無傷ではすまなかった……と負傷者を見渡しながら悔しそうに呟いた。
「すみません……やっぱり私も残るべきでした……」
まだ被害の全容を把握したわけではないけれど、私が残っていれば、ほんの僅かでも被害を少なくできたかもしれない……。
「いや、総司が春を伝令にやったのは正解だ。正直、土方隊の到着があと少し遅かったら、俺らは負けてたかもしれない。ほら、春は足が速いだろ?」
そう言って笑顔を作る永倉さんは、私を慰めるかのように頭をわしゃわしゃと撫でた。
不意に、入り口の方が騒がしいことに気づき、見れば残りの隊士たちが帰還したみたいだった。出迎えるために入り口へと向かえば、近藤さんの姿もあった。
「おかえりなさい!」
「おお、春。伝令ご苦労だった」
「……いえ。それより、近藤さんは怪我とか……大丈夫ですか?」
最初に池田屋に乗り込んだ近藤隊は、伝令で抜けた私と周平くん以外、大小の差こそあれみんな何かしらの怪我を負ったり倒れたりしている。
最初から最後までいた近藤さんも怪我を負っている可能性が高く、すぐに手当てを……と思ったのだけれど。
「ん? 俺は大丈夫だぞ」
なんてことない顔で返事をする近藤さんの横で、井上さんが感心したように言う。
「さすがは近藤さんだろう? 一時は一人で大勢を相手してたらしいが、見ての通り無傷なんだ。それより、春こそ大丈夫だったか?」
「私は大丈夫です。伝令で走ってただけですから……」
「伝令だって大事な仕事だぞ。ご苦労だった」
そう言って笑窪を作る近藤さんの羽織は赤く染まり、顔にもだいぶ疲労の色が見える。
けれどその声音も姿も確かに大丈夫そうで、井上さんが言う通り、傷一つ見受けられなかった。
さすがは新選組局長。普段は優しくてとても懐の深い人だけれど、天然理心流の四代目でもある近藤さんはやっぱり強い。
二人は私よりも遥かに疲れているはずなのに、近藤さんは私の肩を、井上さんは私の頭をそれぞれポンと一つ叩き、会所の中へと入って行った。
戻って来た隊士を全員出迎え終える頃、最後尾を歩いていた人物が突然怒鳴った。
「おい! そこの馬鹿!」
見れば、その人は随分と鬼の形相でこちらを睨んでいる。私のことではないことを願いつつ辺りを確認するも、ずんずんと私に向かってやって来る……。
目の前で足を止めたその人を見上げれば、無駄と知りながら訊いてみた。
「えーっと、どこの馬鹿でしょう?」
「お前だ、お前! この馬鹿っ!」
有無も言わさず容赦のないデコピンが飛んで来た。
どうやら再び戻った池田屋に、忠告を無視して一人で飛び込んで行ったことを怒っているらしい。
まぁ、予想通りではあるけれど、そんなに何回もバカって言わなくてもっ!
「まぁ、いい。ちょっと来い」
反論の余地すら与えてはもらえず腕を掴まれて、半ば強引につれて来られたのは会所を出てすぐの脇道だった。
会所から漏れる僅かな灯りの中、ゆっくりと振り向いた土方さんが、さっきまでとは打って変わって随分と小さな声で訊いてくる。
「総司の奴、相当具合悪かったのか?」
もう、言ってもいいのだろうか。
みんなには黙っているという約束だったけれど、期限は指定していなかったし、そもそも無理を押して倒れた時点でバレている気がするし……。
すでに無言を肯定と受け取ったらしい土方さんに、大きなため息をつかれた。
「えっと……黙っていてすみません……」
「大方、黙ってろと上手いこと丸め込まれたんだろ。お前のことだ、それでも心配で、無理やり総司の側にいようとしたんだろう?」
「……はい」
土方さんは全てお見通しのようなので、無駄な抵抗はしないことにした。
……って、あれ? そもそも、その上手いこと丸め込まれてしまった原因は、土方さんがバラしてしまったからじゃなかったっけ?
確認しようとするも、それより先に再び土方さんが訊いてくる。
「お前、総司が倒れること知ってたのか?」
「え? ……いえ。さすがにそこまでは……」
たとえ熱中症だろうと、倒れると知っていたなら何がなんでも止めていた。絶対に無理なんてさせなかった。
あの時、沖田さんが血を吐いてしまったんじゃないかと、本当に焦ったんだから。あんな思いは二度としたくない……。
「そうか。お前、近頃総司の体調にやたら過敏に反応してただろう? 他にも寝込んでる奴らはいるのに、やけに総司だけ気にかけてたから知ってたのか……と、って、おい……まさか……」
「な、何ですか?」
「……あいつは。……総司は……病で死ぬのか?」
さすがは土方さん。鋭すぎる。やっぱりその目は何でもお見通しらしい。
沖田さんの性格を考えたら、誰かに自分の未来を……ましてや最期を知られるだなんて嫌かもしれないけれど、できるなら伝えておいた方がいい。できるなら……。
まるで、次の私の行動を阻むかのように頭が痛み……苦しくなって……恐怖に包まれる……。
それでも必死に抗い、震える身体を押さえつけながら口を開いた。
「沖田さんは……。沖田、さん……は……」
立っていることすらできなくなって、一気にその場に崩れ落ちるも、先に膝をついた土方さんに抱き留められた。
「おいっ。いい! 喋るなっ!」
そんなの嫌。こんなわけのわからないことに負けたくなんかない。
沖田さんが、血を吐く姿なんか見たくない!!
まとわりつく全ての痛みや恐怖を振り払うように激しく首を左右に振れば、再び口を開こうとする私を土方さんが強く抱きしめた。
「訊いた俺が悪かった! だからもういい! 何も喋るなっ!!」
負けたくない。負けたくなんかないのに、そんなに耳元で大声出されたら、余計に頭が痛いよ……。
「沖田、さん……は……っ」
「琴月! 頼むから、もう何も喋るな!!」
負けたくない。負けたくなんかないのに、そんなに強く抱きしめられたら、余計に苦しい……よ……。
「……ろ……ッ! ……かはっ……」
一気に深海へと引きずり込まれるような感覚のなか、途切れる意識の間際に聞こえたのは、私を呼ぶ土方さんの苦しそうな声だった。
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