099 土方さんと昼寝

 部屋へ戻って支度をしていると、朝餉を終えた土方さんが戻って来た。


「出れるか?」

「行けます」


 よし、と頷く土方さんとともに揃って屯所を出た。

 厚い雲が低く垂れ込める中、向かう先は金戒光明寺。会津潘が藩邸代わりに陣を敷いているお寺で、近藤さんから預かった書状を持って行くという。


 書状くらい、わざわざ土方さんが持っていかなくても……なんて思うけれど、どうやら先月の大樹公帰東にともない新選組も下坂している間、上洛前の見廻組から会津潘へ申し入れがあったらしい。

 当初予定していた人数が集まらなかったので、その欠員補充を新選組隊士でしたいというものだったとか。


 戦ばかりだった戦国時代とは、打って変わってとっても平和だったと言われる江戸時代。

 けれど今は、後に幕末と称される激動の時期真っ只中。

 特にここ京では、過激な尊王攘夷派や反幕組織による天誅なんてテロが横行し、それらを抑えるためにも刀が振るわれる。いつしか刀は、侍の象徴ではなく本来の武器に戻っていった時期。

 そんななか、実践慣れした新選組ならそりゃあ即戦力にはなるだろうけれど。


 あちらは良いとこ出のお坊ちゃんばかり。つまり、名門私立学校に喧嘩っ早い不良少年が入学するようなもの?

 逆に問題を起こし兼ねない……なんて近藤さんや土方さんが思ったわけではないと思うけれど、当然のごとく、新選組としてはお断り案件なわけだ。


 すでにこちらの意向は伝えてあるというけれど、会津潘からのはっきりとした返答がまだないようで、本気度を伝えるためにも副長自らがこうして足を運ぶらしい。

 今はどこもかしこも忙しいから、単にそれどころではないだけだと思うけれど。

 そもそも副長より局長の近藤さんが行く方が、より効果的だと思うのだけれど、そこを突っ込んだら、近藤さんは忙しい、と返された。

 そのうえ、会津公は今体調が思わしくないそうで、おそらく謁見は叶わないだろうとも。体調が悪いなら、なお更それどころではないんじゃ……と思ったら睨まれた。

 どうしてバレたのか!


「どうせ会えねぇんだ、俺で十分だろ」

「なるほど……策士ですね」


 土方さんは、ふんっとどこか得意気に鼻で笑っていた。




 金戒光明寺に着くと、山門の辺りで待っていることにした。正しい礼儀作法もよく知らないのに、本物の武士がうじゃうじゃいるような場所に足を踏み入れるなんて、粗相を犯して首が飛んだら洒落にならないもの!


 四半刻も待てば、土方さんは戻って来た。予想通り、会津公には会えなかったらしい。

 このまま南禅寺にも寄って行くと言うので、少し前から降り出した霧雨の中、さっきよりも足早に歩く。

 南禅寺に着くと、山門には見張りの隊士が数名いて、楼上には忠蔵が縛りつけられていた。

 生首が晒されるより遥かにマシなのだけれど、何とも不思議な光景で仕方がない。ぽかんと口を開けて見上げていたらしく、隊士と話を終えたらしい土方さんが、笑いながら私のおでこをペチッと叩いた。


「ほら、行くぞ」

「っ! あれ、もういいんですか?」

「ああ。まだ動きはねぇみてぇだしな」

「……動き?」


 首を傾げる間にも、今さっき着いたばかりだというのに、土方さんはもう山門に背を向け歩き出している。

 慌てて隣に並べば、土方さんがどこか面白くなさそうに呟いた。


「大物でも釣れねぇかと期待してたんだがなぁ」

「どういうことですか?」

「餌だ、餌」


 餌……? え、ますますわからない。

 答えを求めるように土方さんの横顔をじーっと見つめていたら、若干面倒くさそうにしながらも教えてくれた。

 どうやら、忠蔵の関係者が接触してくるのを待っているらしい。忠蔵が何も吐かないから、接触してきた方から情報を引き出してやろうということみたいだ。

 忠蔵を餌に大物……主である宮部が釣れたら凄いけれど、さすがにそう上手くはいかなそうだ。




 通り道でもある祇園社に近づくにつれ、町は賑わいをみせた。“祇園御霊会ぎおんごりょうえ”というお祭りが行われるらしく、この辺り一帯の人も町並みも、凄く盛り上がっている。

 祇園御霊会とは、歴史も古く山鉾が巡業したりして、盛大に行われるお祭りなのだと誰かが言っていた。祇園、山鉾と聞いてピンときたのは祇園祭。おそらく祇園祭のことだろう。


「急いで帰るぞ」

「あっ、はい!」


 さっきまでは霧雨だった雨が、ポツポツとハッキリした雨に変わってきた。行き交う人々の足も、皆一様に慌ただしさを増している。

 そんななか、向かいから走って来た男の子がすれ違う人とぶつかってしまい、私たちの少し先で転んでしまった。すぐに起き上がるけれど、その場に座り込んだまま泣き出した。


「うっ。うわああああん」


 揃って駆け寄れば、正面にしゃがみ込んだ土方さんが、男の子の頭をポンポンと撫でながら声をかけた。


「おい坊主、大丈夫か?」

「あっ、おでこぶつけちゃったみたいですね」


 傷は大したことなさそうだけれど、男の子の額は少し赤くなっている。両手の甲を目元にあてがい元気に泣く男の子を、突然、土方さんが抱き上げた。


「ほーら泣くな。男子の向こう傷だ、めでてぇんだぞ?」


 ……本人にしてみれば、全然めでたくはないと思う。

 ところが、再びめでてぇ、めでてぇと言いながら高い高いをすれば、男の子が驚いた顔をしたのは一瞬のことで、キャッキャと笑い出した。

 そんな光景に少しだけ驚くけれど、何だか土方さんらしいと妙に納得もしてしまう。鬼の副長だ何だと言われても、この人の本質はやっぱり鬼なんかじゃない、そんな気がするのだ。


 すっかり泣き止んだ男の子が地に足を下ろすと、大きな瞳で土方さんを見上げ、その顔いっぱいに無邪気な笑みを浮かべた。


「おっちゃん、おおきにっ!」

「お、おう……」


 平静を装う土方さんのひきつった顔など気にもせず、母親らしき女性の元へと男の子は駆け出した。

 離れた場所から深々とお辞儀をする女性に、土方さんの分まで会釈を返してから、いまだフリーズしている土方さんの背中を押す。


「仕方ないですよ。あんなに小さな子からしたら……そりゃ、ね? それよりほら、雨足が強くなる前に早く帰りましょう!」

「あ? 何が言いてぇ!?」

「さすがは泣く子も黙る鬼の副長だなって、誉めてるんですよ」

「誉めてねぇだろうが! それに、あの坊主は笑ってたからな!」


 反論するとこ、そこ!?

 何だかおかしくて笑ってしまった。




 鴨川の近くまで来ると、とうとう本降りになってしまった。

 近くの店の軒先を借りて雨宿りをするけれど、すぐにやみそうにない。それどころか、次第にどしゃ降りになってしまい、気持ち早めの昼食を取りながら弱まるのを待つことになった。


 入った場所は料亭のようなところで、二階の座敷へと通された。

 思いがけないちょっとリッチな昼食に舌鼓を打つも、窓の外では相変わらず雨が音を立てて降り続いている。

 食事を終える頃になっても全くやみそうになくて、ゴロンと横になり始める土方さんを背に、私も窓枠に頬杖をついた。


「お仕事はいいんですか?」

「書状の類いなら、山南さんに任せてきたから大丈夫だろ」

「無理させ過ぎないでくださいね。ここのところずっと調子は良いみたいですけど、ただでさえ忙しいのにこんな天気続きだから、体調崩す人も増えてますし」


 忙しいのもこんな天気なのも、全くもって土方さんのせいではない。俺のせいにするな、と一蹴されると思っていたのに、後ろから聞こえるのは予想外の返事だった。


「早く落ちつかさねぇとな」


 土方さん一人が頑張ったところで、どうにかなる問題でもない。

 けれど副長として、どこかで責任を感じているのかもしれない。


「お前は、元気だな……」

「それってもしかして、遠回しにバカは風邪引かないって言ってますか?」


 いつの間にか、雨音にお囃子の音色が混じっていた。屋根から滴り落ちる雨を眺めながら、土方さんの回答をじっと待つ。こんなにも緩やかな時間は、随分と久しぶりかもしれない。

 しばらくして聞こえてきたのは、穏やかな寝息だった。


「……土方さん?」


 呼びかけと同時に振り返れば、目に飛び込んで来たのは片腕を枕にして眠る土方さんの姿だった。

 土方さんも、それだけ疲れてるってことだよね……。

 静かに立ち上がると、脱いであった土方さんの羽織をそっと掛けた。


 そういえば、こんな風に昼寝をする土方さんの姿を見るのは初めてだ。というより、寝顔すらちゃんと見るのは初めてかもしれない。

 夜は行灯を消してしまったら暗くなるし、朝はいつも土方さんの方が先に起きている。

 もしかして、これってかなり貴重かも!?

 このまま見逃すのは勿体ない気がして、私も土方さんの近くでうつ伏せになると、頬杖をつきながらその寝顔を観察することにした。


 藤堂さんや原田さんも相当な美男子だけれど、土方さんの色白で役者顔負けの整った顔は、たくさんの恋文をもらうのもわかる気がする。

 とはいえ、それを他人にあげる神経は疑うけれど。それでも、土方さんなりのジョークなのかもと思う今日この頃。

 ……いや、やっぱり女の子の気持ちを考えたらナシだけれど。


 不意に、何か夢でも見ているのか、穏やかな寝顔の眉間に皺が寄った。


「ふふ。夢の中でも怒ってるんですか~?」


 誰に怒っているのかと想像するも、頭に浮かぶのは沖田さんの顔ばっかりで、夢の中でも“おい、総司!”と怒鳴っているのかと思うと笑いを堪えるのに苦労する。

 吹き出す前に皺を伸ばしてしまおうと、眉間に人差し指をあてがった。


「あんまり難しい顔ばっかりしてたら、皺が取れなくなっちゃいますよ~」


 さすがに起こしてしまったのか、目を開けた土方さんに手首を捕まれた。


「すみません、起こしちゃいました」

「俺の顔で遊ぶんじゃねぇ……」

「ふふ。遊んでるわけじゃないですよ」

「どうせまだ帰れねぇんだ。お前も寝てろ」


 そう言うと、私の手首を掴んだまま再び瞼が閉じた。どうやら相当お疲れらしい。

 忙しい時に、こんな風にのんびりしていいのかと若干の後ろめたさもあるけれど。副長がこうして寝ちゃったんだもん。たまにはいいよね……。

 鳴りやまない雨音と、遠くに聞こえるお囃子の音色を子守唄に、私の瞼もゆっくりと下りていくのだった。

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