097 忠蔵とその主

 暦は六月に入った。

 まだ梅雨は明けないのか、相変わらず降ったり止んだりとはっきりしない天気ばかり続いている。


 そんななか、連日宿に泊まり込み怪しい店の監視をしているという監察方の元へ、文を持って行くよう言付かった。

 隊服は着用せず監察方のいるという宿の二階の部屋へ行くと、窓からこっそりと外の様子を伺う島田さんがいた。


 島田魁しまだ かいさんは、以前からの知り合いである永倉さんの紹介で、新選組が壬生浪士組だった頃に入隊したという相撲取り並に身体の大きな人だ。実際、相撲もかなり強いらしく、“力さん”なんてあだ名がついていたりする。

 軽く挨拶を交わしながら窓際に座る島田さんの隣に膝をつけば、土方さんから預かった文を懐から取り出し手渡した。すぐに文を開く島田さんの横で外の様子を伺ってみるけれど、これといった動きは特になく、読み終わった頃を見計らい視線を戻した。


「何かわかりましたか?」


 目を通したばかりの文を懐へとしまう島田さんは、若干疲労の滲んだ顔に苦笑を浮かべながら首を左右に振った。


「残念だが、すぐに報告すべきような新たな情報はまだ得られていない。副長にもそう伝えてくれ」

「島田さん、よければ少しだけでも休みますか? 怪しい人を見かけたらすぐに起こします」

「心遣いは有難いが、春もまだ仕事があるのだろう? 直に交代が来るはずだから大丈夫だ」

「わかりました。では、私はこれで戻りますね」




 宿を出て歩いていると、さっきまで厚く垂れ込めていた雲の切れ間から日が射した。

 思わず立ち止まって空を見上げながら、このまま梅雨も明ければいいのに、なんて思うけれど。明けたら明けたできっと、連日強い日差しが降り注ぐ。

 電気のない生活にも随分慣れたとはいえ、冷房器具も乏しいであろうこの時代の夏は大丈夫なのだろうか……。


 まぁ、今考えても仕方がない。気持ちを切り替えるように頬をパンッと軽く叩けば、道の先から見覚えのある顔がやって来た。

 空を見上げるふりをしながらちらちらと確認すれば、近づくほどに確信する。つい先日、角屋で見かけたばかりの顔……番傘を借りて行った忠蔵さんだった。


 あの時、忠蔵さんが宮部と呼んだ人物は、おそらくただの宮部違いだと思う。

 けれど、万が一宮部鼎蔵ていぞうだとしたら……忠蔵さんは宮部鼎蔵に近しい人物ということになる。

 このまま彼を追っていけば、宮部と呼ばれた人物に再び会えるかもしれない。鼎蔵かどうか確認できるかもしれない。

 悩んでいる間にも忠蔵さんは私の横を通り過ぎ、その距離はどんどん開いていく。


「モヤモヤを解消するには、確認するしかないよね」


 その場で踵を返すと、屯所とは反対の方向に向かって歩き出した。




 大通りの人波に紛れながら、見失わない程度の距離を保ちつつあとをつけた。

 こんなド素人の尾行にも気がついていないのか、忠蔵さんは後ろを振り返ることもなく、目的地へ向けて真っ直ぐに歩いている。やっぱり、尾行される覚えなんて全くない、宮部鼎蔵とは無関係な人かもしれない。

 それでも、半分意地でついて行けば南禅寺についた。そして、山門をくぐり広い敷地内にある天授庵へと入って行った。


「……ただのお参り? やっぱり、全然関係なさそう……」


 予想通りだったとはいえ、ほんの四半刻ほどの寄り道が急に無駄足に思え、どっと疲れが出る。

 どこで道草食ってやがった! と怒鳴る土方さんの姿まで頭に浮かび、慌てて踵を返そうとした時だった。


「春さん、こんなところで何してるんですか?」

「ひっ! って、山崎さん!? お、驚かさないでください!!」


 気配を消したまま背後から肩を叩くとか反則だ!

 簡単な尾行だったとはいえ素人なりに気を張っていたわけで、緊張が解けた瞬間に驚かされるのは心臓に悪過ぎるっ!

 もちろん山崎さんは優しいから、そんなつもりじゃなかったと思うけれど。


「驚かせてすみません。ところで、なぜあの男を尾行していたのですか?」

「あれ……もしかして、バレバレでしたか?」


 山崎さんは、首を縦に振る代わりに優しく微笑んだ。

 バ、バレてたー!


「さっきの男は、近頃よく桝屋を出入りしている人物ですね」

「桝屋?」

「四条小橋にある薪炭商です。枡屋喜右衛門ますや きえもんという人物がやっていて、馬具や古道具なんかも扱っている諸藩用達の大店です」

「なるほど。私はちょっとだけ気になったことがあって、あとをつけてきました」


 背中に添えられた手に優しく押され、天授庵から少し離れた場所に移動すると、話の続きを促す山崎さんの声音に合わせて私も小さな声で説明をした。

 先日の角屋での出来事。島田さんに文を渡してからのことを。

 けれど、私の話を聞いていた山崎さんの顔が、なぜだかみるみるうちに険しくなっていくのが見てとれた。


「春さん、今後二度とこんな危険なことはしないでください」

「え!? 尾行もバレないくらいでしたし、こんなところに来るくらいだから全く関係ない人だと思うんですが……」

「いえ、春さんの話を合わせると、先ほど天授庵に入って行った男、忠蔵は宮部鼎蔵の僕の可能性が高いです」

「ええっ!?」


 思わず大声を上げてしまい、山崎さんが慌てたようにしーっと人差し指を立てた。


 先ほど忠蔵さんが入って行った天授庵は、肥後藩が宿陣にしている場所だそうで、現在捜索中の宮部鼎蔵も肥後藩士。山崎さんは、少しでも宮部に関する情報が掴めないかと、この場所で張り込みをしていたらしい。

 だからといって、宮部と口にした人物が肥後藩の宿陣を訪れたというだけで、宮部鼎蔵の僕と言い切るには無理があると思うのだけれど。


「先ほど話した桝屋ですが、諸藩を相手に商いをするほどの大店ですから、人の出入りはもちろん武士の出入りも多い。忠蔵もそのうちの客の一人に過ぎないのかもしれません。ただ、番頭からの密告があり監察の方でも色々と調べていたのですが……」


 そこで一度話を切った山崎さんは、この先はよっぽどの機密事項なのか、身体を傾け口元を手で隠しながら耳打ちする。


「主人の桝屋喜右衛門は古高ふるたか俊太郎しゅんたろうという人物で、長州藩毛利家の遠縁にあたる者であることがわかったんです」

「長州……」

「ええ。宮部鼎蔵も長州ら尊攘派と行動をともにする肥後藩士です。そんな宮部と関わりがあるかもしれない人物が、肥後藩の宿陣や長州に繋がりのある店に出入りしているんです。疑わしいと思いませんか?」


 まだ、宮部が宮部鼎蔵と同一人物と決まったわけじゃない。それなのに、双方を出入りしているというだけで疑われてしまった忠蔵さんも、密告があったとはいえ、長州の遠縁というだけで疑われてしまった桝屋さんも、何だか少し不憫に思えてくる。

 すぐに返答できずにいると、今度は確認するように訊いてきた。


「角屋での忠蔵は、宮部の僕に見えたんですよね?」

「そうですね。そんな感じでした」


 すると山崎さんは、自信に満ちた笑みを浮かべながらうんうんと頷いた。


「なら、一つ試してみる価値はありますね。春さんを信じます」

「へ?」


 首を傾げる私から視線を遠くにやった山崎さんは、人差し指をしーっと自分の口元に当てると、行きます、とだけ言葉を発して足早に歩き出した。

 状況が飲み込めないまま慌ててあとを追えば、その先には、天授庵を出て来たばかりの忠蔵さんの姿があった。


 何かを試すと言っていたけれど、いったい何をする気なのだろう。まさか、いきなり取っ捕まえたりしないよね?

 しばらく距離を保ったまま尾行していたけれど、山門を潜り抜けたところで山崎さんは突然走り出し、背後から忠蔵さんの腕を掴んだ。

 って、本当にいきなり捕まえちゃったよ!?


「宮部鼎蔵の僕、忠蔵だな。何の用で肥後の宿陣へ来た?」

「な、何者だっ!?」


 慌てて山崎さんの元へ駆け寄ると、突然腕を捕まれて驚いたのか、忠蔵さんは随分と慌てた様子だった。

 そんなことはお構いなしに、普段はとても物腰の柔らかい山崎さんが、殺気を放つ勢いで容赦なく忠蔵さんを問い詰める。


「こちらの質問に答えろ、忠蔵。宮部鼎蔵の僕であるお前が何をしにここへ来た? 宮部に何を頼まれた?」

「お、お前らには関係ないっ!」


 忠蔵さんの返答に、山崎さんが僅かにニヤリとした。


「宮部鼎蔵の僕、というのは否定しないんだな」

「えっ、ああっ!?」


 あからさまにしまったという顔をする忠蔵さんに、思わず突っ込みを入れたくなるのをグッと堪えれば、その間にも山崎さんは縄で素早く縛り上げる。


「お前らいったい何者だ!? 離せっ!」

「新選組だ。屯所で詳しく話を聞かせてもらう」

「し、新選組だとっ!?」


 途端に青ざめた忠蔵さんは、最初こそ喚きながら縄を振りきろうと暴れたけれど、すぐに無駄だと悟ったのか大人しくなった。

 それからというもの、今度はだんまりを決め込んだらしく、山崎さんの問いかけにも一切答えなくなった。


 一連の様子から、忠蔵さん……もとい忠蔵は、宮部鼎蔵の僕とみて間違いなさそうだけれど。まさか山崎さんのあんなハッタリにまんまと引っかかるなんて。

 とんでもない人物を尾行していたのだと、今さらながら背中が寒くなる。あんな尾行にすら気がつかない間抜けで本当によかったとも思う。




 屯所に連行された忠蔵は、山崎さんたちによりすぐに尋問が行われた。

 けれど、知らぬ存ぜぬで頑なに口を割らず、その強情さはかえって宮部らとの繋がりを決定づけているようなものだった。

 結局、何も語ることのなかった忠蔵は、なぜか南禅寺山門の楼上に縛りつけられ、生き晒しにされることになったのだった。

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